こんな私たちの関係を何と呼ぶ

御厨カイト

こんな私たちの関係を何と呼ぶ


 とても憂鬱な朝だった。

 月曜日というのも勿論そうなのだが、今一番見たくなかった夢を見てしまった。

 いや、思い出してしまったと言った方が正しいのかもしれない。


 いきなりだが私こと草苅愛美くさかりまなみは数か月前、好きな人に告白し無事フラれた。

 玉砕覚悟ではあったがしっかり悪夢になるぐらいには傷ついた。

 覚悟はしていたが、好きな人からの「ごめんなさい」はその覚悟の数段上を行く威力だったのだ。


 やはり告白という物は相手にOKしてもらう以外は基本バッドエンドになるという事が今回、身をもって思い知ったのである。


 ――という事を逃れられない夢の中で一挙に思い出させられたのだから朝から憂鬱な気持ちになるのもどうか理解して欲しいし、頑張って学校にだって来たのだから逆に褒めて欲しい。


 ……なんて、誰に対する言い訳なんだか、ハハッ。


 若干ムスッとした顔を隠すように腕を枕にしながら机に突っ伏す私。

 周りのざわざわとした話し声や物をガサガサと置いたりする不協和音が耳に響く。

 高校生の朝の教室はいつも異様なほど騒がしい。


 そんな中でも知らず知らずのうちに負のオーラが出ていたのか私の近くに来る人はいない。

 腕を枕にしながら顔を右側に向け、若干伸びた黒い前髪で目元を隠しながらぼんやりと教室を眺める。

 でも、正直丁度良い。

 何だか今日は私も悪い予感がしてるから近寄らない方が吉だろう。

 こういうのを何て言うんだったか……あっ、そうそう『触らぬ神に祟りなし』だ。


 ……自虐しておきながら私は「はぁ」と静かにため息をつく。

 何だかネガティブな考えに押し潰されていく自分に嫌気が差していると、いきなり聞き馴染みのある声が私の耳を貫いた。



「ねぇ、愛美、どうしたの?朝からそんな怖い顔をして」



 おっと、早速悪い予感的中。


 私の視界に急に映ったのは私の顔を覗き込むように屈みながら明るい声色で話しかけてくる幼馴染、会田咲あいださきの姿だった。

 心配しているように聞こえる言葉とは裏腹に彼女はニコニコとした笑顔を浮かべている。



 最悪だ、今一番会いたくない相手だ。



「別に……何でもないよ」



 ぶっきらぼうに呟きながら右側に向けていた顔を彼女の視線から逸らすように左側に向ける。

 だが、咲も負けじと私の顔の動きに合わせて移動しひょっこりと覗き込んでくる。

 そこで私は諦めたように「ふぅ」と小さく息を吐きながら、机に突っ伏していた上半身を上げて彼女と相対する。



「本当に何でもないから。大丈夫だよ」



 少しハネてしまった前髪を手で整えながら私はそう言った。

 さっきよりも幾らか優しく、視線は若干外しながら。

 そんな私の事をじーっと眺めていた彼女だったが、もう満足したのか飽きたのか「ふぅん、そっか、なら良かった」とニッコリ微笑んだ。


 そこでやっと私は彼女の方へ視線を向ける。

 ……何となく彼女の見た目に違和感を持った私は彼女の装いに関して注目した。

 以前、先生から注意されたからか制服はもう着崩していなかったが珍しくメイクをしていた。流石に薄くではあるが。

 他にも爪を綺麗に整えてたり、茶髪で綺麗な彼女の髪の毛先がふんわりと巻かれていたり何か気合が入っているのがひしひしと感じる、そんな装いをしていた。

 と言っても、何の為かは容易に想像できる。

 どうせ、クラスメートであり付き合っている彼氏の為だろう。


 ……くっそ、気づくんじゃなかった。


 でも、気づいた事を何となく言いたかった私は軽い気持ちで口を開いた。



「咲の方こそどうしたの。髪とか爪とかなんか今日は凄い気合入ってんじゃん」



 少し茶化すような口調ではあったが当の本人からしたら驚きだったようで私の傍でぼーっとしていた表情から一転「えっ」と声を漏らし、また私の事を見つめくる。



「よく分かったね、愛美。気づかれないと思ったのに。流石、私の事好きだっただけのことはあるじゃん!」



「しまった」と思った。「間違えた」と思った。

 まさか、そう返されるとは思ってもいなかったが私も私でまた選択を間違えてしまったかもしれない。

 それにしても、平然と私の地雷を踏みぬいていくのは如何なものか。

 告白した側の私からしたらあの時の事は悪夢にもなっているというのに、案外告白された側の彼女からしたら取るに足らない出来事だったのかもしれない。

 ……だとしても、勝手に過去形にされるのも癪である。


 まるで苦虫を噛み潰したような表情で反論も兼ねて「……うるさい」と呟いたが、どうやら彼女には届かなかったらしく嬉々とした表情で何故この格好をしているのか事細かく話そうとしていた。



「今日ねー、彼氏の健一けんいちくんを私の家に誘うんだー!だから、色々整えてみたの」



 はい、始まった。一番私にとって苦痛な時間。

 好きな人による好きな人との惚気話なんて……現実はいかに残酷かがよく分かる。

 それでも、彼女は「爪を綺麗にするのには何を使った」だとか「こういう感じで髪をふんわり巻いた」だとか私には縁のない話をずっと続けていく。



「……何で今日はそんなに気合入ってんの?いつもはそこまでじゃないじゃん」



 話を聞いている中でふと湧き出た質問を彼女にぶつける。

 すると、彼女は「ふふっ」とどこか含みのあるような笑みを口元に浮かべた。



「実は今日ね、一緒に勉強とかイチャイチャするだけじゃなくてもっと特別な事もしようと思ってるんだ。……何か分かる?」


「特別な事……?何、分かんない」



 考える気も当てる気もさらさらなかった私がすぐに匙を投げると、彼女はまるで私がそうするのが分かっていたかのようにぬるりと椅子に座っている私の耳元に近づいて小さく、しかし恥じらいもなく囁いた。



「セックスだよ。セックス」


「セッ……!?」



 余りにも衝撃的な一言に私はパッと言われた側の耳を手で押さえながら、サッと椅子を深く座って身を退いた。



「あっ、これ彼氏には言ってないから秘密にしといてね」



「しーっ」という風に彼女が可愛く口元に人差し指を置いてる間にもまだ私は放心状態に陥っていた。


 今、彼女は何と言った。

 ……セックス、だと?あの性愛の権化か。

 それを……何だ?彼氏とするというのか。


 学校が終わった後、咲が彼氏を家に誘い、そのまま……

 その先の事を危うく考えそうになった私は、まるで描きかけの絵の上に真っ黒な絵の具を一面に塗るような感じで頭の中の想像を消す。

 だが、今度は逆にその黒くした部分が私の心などをグルグル巻きにして締め付ける。



「……愛美?そんなに怖い顔してどうしたの?もしかして……嫉妬した?」



 図星なんだと思った。

 その証拠に私は一層酷い顔をしている気がする。

 この心の黒い部分を言語化するなら『嫉妬』という言葉が一番近いのだろう。

 ……でも、よくもまぁ、そんなナイフよりも鋭い言葉を投げかけれるものだ。

 見事に「グサッ」と刺さった私はただ咲の事を睨みつける事しか出来なかった。



「やっぱり、その表情で確信したけど愛美ってまだ私の事好きだよね。まだまだ引きずりまくってんでしょ?」



 蛇のように私の思考を探るような視線でそう言い放つ彼女。

 言葉としては質問のようなのに口調としてはまるで断言しているかのように聞こえる。

 ここでまた黙り込んでしまう私も悪いのだが。

 確かに、フラれた後も目で追ってしまうぐらいにはまだ好きだよ。

 だから今こんなに苦しんでんじゃん。


 私がそうやって悶々と考えている内に沈黙している事で「その通り」だと思われたからか一瞬「にやっ」と思惑通りと言わんばかりの笑みを浮かべて続けた。



「だったらさ、学校終わった後一緒に私の家来ない?」


「……えっ?」



 怒涛に続けてくる彼女の話にやっと出せたのは困惑の一言。

 でも、そうなるのも仕方が無いくらい彼女が言っている事が分からなかった。

 さっきの言葉と脈絡も無ければ、突拍子も無い。

 そんな感じで私が戸惑っていると、咲は新しい発見を得た子供のような表情で言い放った。



「そこで私と彼氏のセックス見せてあげる。愛美が見ている『まだ大好きな会田咲』っていう幻想を私が私自身で綺麗にぶち壊してあげるよ!」


「……はっ?咲、何言って――」



 言っている事とは裏腹に凄く明るい口調だったから内容のヤバさに一瞬気付かなかった私は一息遅れて問い詰めようとするが、運悪く「キーンコーンカーンコーン」とチャイムの音が割り込んできた。

 即座に先生が教室に入って来て、教室の至る所で騒いでいた皆は急いで自分の席へと戻っていく。

 咲もその例に漏れず、私の言葉を置いてすかさず戻って行った。

 発言の真意を確かめようと彼女の事を目で追うが彼女はそんな私の視線に気づいたのかこちらを振り向いてニコッと笑う。





 結局、その日の授業は一切集中出来なかった。








 ********








 授業が全部終わり、放課後。

 荷物を全てカバンの中に入れ、いざ帰ろうとしていたその時「何してんの。ほらっ、一緒に行くよ」と咲に手を引かれながら言われた事で私は「あっ、朝言った事は本気だったんだ」と実感した。

 という事は、私は今から本当に咲と彼氏のセックスを……?

 軽やかな雰囲気で歩く咲の後を無言で付いて行きながら、私は自分の心や頭の中がどんどんとぐちゃぐちゃになっていくのを感じる。

 別に彼女の事を無視して帰ることも出来たのに……あぁ、引きづりまくってんな、私。


 そんな中で学校の近くのコンビニに近づくと咲は「暑いからちょっとアイス買ってくる。愛美は?」と私に問いかけてきた。

 私は首を横に振って「いらない」と言うと「そっか」と彼女はコンビニの中へ。

 数分後、アイスキャンディーを1本口にくわえた彼女がコンビニから出てきた。



「このアイスが当たりだったら愛美にあげるね」



 彼女はそう言ったが勿論外れだった。



 結局、私達がこの道中、まともに会話したのはただそれだけ。

 それからも無言の時間が続いたがいつの間にか彼女の家に着いていた。



「さぁ、入って。今日は親いないんだ」



 彼女にいざなわれるまま、あっという間に彼女の部屋へ。

 入った瞬間にふわりと香る女の子特有の甘い匂い。

 そして、目の前にはピンクを基調とした可愛らしい家具の数々。

 そんな部屋の窓側に置かれた机には教科書とノート、参考書などが乱雑に置かれている。


 ここに来るのは初めてでは無い。

 何なら私達は幼馴染という間柄の為、小さい頃はよく遊びに来ていた。

 だが、中学に入ってからというもの思春期真っ盛りという事もあり自然とお互いの部屋に行くことは無くなった。



 久しぶりに入るという事で僅かな物珍しさに部屋を見渡しているとあるものを見つけた。

 それは机に置かれている写真。

 そこには中学の修学旅行の時の私達の姿があった。

 咲が笑顔でピースサインをしている横で、恥ずかしそうにカメラから目を逸らす私。

 この写真を眺めているだけで、まるで昨日の事のように思い出せる。

 ……この時から私は咲の事が好きだったんだよな。


 世間の目もしがらみも知らず、ただ純粋に彼女に対しての恋慕を募らせていた、もう二度と戻る事のないあの日々を懐かしく感じると同時に胸の奥を針で刺されるような痛みを感じた。


 今からその大好きな人と彼氏がセックスをするという事実を改めて突きつけられてより一層胸の痛みが強くなる。

 そんな私の心情を知ってか知らずか、咲は私の方を向いてニッコリと笑って口を開いた。



「よしっ、それじゃ愛美はこのクローゼットの中で隠れててね。健一君には秘密だから静かにこっそりと見るんだよ」



 またしても咲がガラリとクローゼットの扉を開け「しーっ」という風に人差し指を口元に置きながら可愛く言うものだから、私は大人しくクローゼットの中に入る。

 だがまだ扉は閉めず、今度は私の方がじーっと彼女の事を眺めていた。

 咲はそんな私の視線を気にする素振りすら見せず、自分のベッドにそっと腰掛ける。



「そういえば、た、竹田君は?一緒に帰ったりするんじゃなかったの」



 どうしても気になったからここに来るはずの私が一番言いたくない彼氏の名前を仕方なく口にしながら彼女に問いかけた。



「ん?……あー、何か部活とかで少し用事があったみたい。多分、あとちょっとしたら来るよ」



 ちょっとした歯切れの悪さを感じつつ「やっぱり来るんだ」という事実が現実として襲ってくる。

 好奇心と見栄だけで後悔しそうな事をわざわざ聞いてしまうのが私の悪い癖だ。

 今更遅い脳内一人反省会を繰り広げている間にも、咲はベッドの上で髪を櫛でときながら赤裸々に話し始めた。



「初めてのセックスって一体どんな感じなんだろうね。やっぱり痛いのかな?それとも気持ちいいのかな?」



 そんな事を疑問形で、しかもいつもの雑談のテンションで聞いてこないで欲しい。

 聞かれてもまだ経験無いから知らないし、そもそも咲がまだ処女でその初めてを今私の目の前で彼氏に捧げるという歪なシチュエーションに吐き気がしてくる。

 何で、私にそんなのを見せようとしてくるんだろう。

 ……そして、何であたしはまだそんな彼女の事が好きなんだろうか。

 自分の中にある彼女に対しての好意についても分からなくなってきた。


 頭の中の考えをぐちゃぐちゃに掻き混ぜながら俯いていた顔を上げるとベッドにいる彼女と目が合った。

 今頃になって心配しているのかと一瞬思ったが、勿論そんな事は無く話を続けるために私が顔を上げるのを待っていただけだったらしい。



「落ち込むのにはまだ早いって愛美。それにしても、彼って最初に私のどこを触ってくるのかな。無難にキスするために頬かな?それとも手?あとは、意外と性欲に一直線だからこの胸とかかな!」



 言いながら、実際に自分の体を順番に艶めかしく触っていく彼女。

 自覚はあるだろうにもう十分傷ついた私のメンタルをより一層傷つけていくのは本当に性格が悪いなと思う。

 嫌に想像力を駆り立ててくる彼女の行動に私は軽く息を吐きながら目を逸らした。


 すると、いきなり彼女が「ねぇ、愛美!こっち向いて!」と大きな声で私の事を呼んでくる。



「逃げてないでちゃんと彼が私のどこをどんなふうに触ってくるのか考えてよ」



 無茶言わないでよ。

 咲が他の男とするってだけでただ死にたくなってくるのに。

 彼女の大声によって精神を追い込まれていた私は思わず、涙目になってしまう。

 どんどんと彼女に対しての好意がパズルのピースのようにバラバラになって、涙と共に零れ落ちていきそうになる。


 あぁ、何か……もう嫌だな。


 そう思った瞬間、私の心のダムが一気に崩れた気がした。



 こっちを向いてまだ話を続けようとしていた彼女に対して「……もうやめてよ!」と大声よりかは絶叫に近い声で言い放つ。

 まさか私がこんな大きな声を出すと思っていなかったのか、咲はぎょっと驚きの表情を浮かべるが一度決壊した想いはもう止まらなかった。



「なんでこんな事すんの!私がまだ咲の事が好きなの知ってるんでしょ?だったら、もうほっといてよ!……この恋はどうせ今更叶わないんだからさ。……グスッ、小中の時は周りが彼氏の話で盛り上がってても男の子の良さが一切理解出来なくて話についていけなかった時に、咲が別の話題を振ってくれたり励ましてくれたりして、他にも沢山私のこと助けてくれて何だか特別な感情を咲に対して抱いてたんだ。……スンッ、それが高校生になって『恋』なんだって気づいたのど同時に女の子同士が恋する事に対する世間の目とかしがらみも知って、それでも諦めきれなくて、周りにも相談できないまま沢山悩んで、やっと告白できたけど案の定振られて、そこまでなったけどいつも目で追っちゃうぐらい、ひ、引きづりまぐっで、結果出たのに諦めぎれない自分も嫌にな゛って……も、もうごれ以上私にどうじろって言うの!…………やっぱり、帰る」



 涙でぐしゃぐしゃになっている顔で文脈なんて無視して、ただ言いたい事を全部ぶちまけた私は床に置いていた鞄を持ってこの場から立ち去ろうとする。

 やっぱり、こんな所に来るんじゃなかった。

 しかし、そんな私の事を「ちょっと待って」と腕をギュッと掴みながら咲が止めてくる。

「これ以上何があるの!」と睨みながら吐き捨てようとする前に、彼女の衝撃的な一言が私の耳を貫いた。



「そんなに私の事が好きなんだったら今、私の事を押し倒したらいいじゃん。この場には私達しかいないんだからさ。絶好のチャンスだよ」


「えっ……いや、でも――」



 その先は言えなかった。

 彼女が私の唇を己の唇で塞いできたから。


 戸惑う私から「チュッ」という音と共に唇を離した咲は澄んだ目でジッと私の心を覗き込むかのように見つめてくる。



「何?私の事まだ好きなんでしょ?忘れられないんでしょ?諦めきれないんでしょ?だったらさ、その愛美の言う世間のしがらみとか目とかそんなの全部無視してさ、私の事奪ってみせてよ」



 今までとは打って変わって至極真面目で、それでいて少しだけ挑発するような口調。



「……いいの、ホントに?」



 未だに躊躇している私に今度は私のその言葉の返事のようにもう一回キスをしてくる彼女。




 決心がついた私はゆっくりと咲の事をベッドに押し倒して、震える手でボタンに手を掛けた。










 ********









 以前、祖母から桃を貰った時の事をふと思い出した。

 私はその時、その桃を身が潰れないように慎重に皮を剥いて、現れた綺麗な身を行儀悪く勢いよく齧り付いた。

 今回もそれと似たような物で違う点といえば綺麗な身を「齧り付いた」ではなく「貪り食った」というところだろうか。


 咲の身体を隅々まで味わいつくした私は彼女の横に勢いよく倒れ込んだ。

 お互い汗まみれなのに不快感は一切無く、むしろ心地良い気分。


 だが、これでも私からしたら案外あっさりと終わった印象だった。

 恥ずかしながら、咲とそういったコトをする妄想を普段してない訳じゃ無い私からしたら妄想は所詮妄想に過ぎないんだなと感じる。

 そういった本や漫画を読んで変な知識がついていたのかもしれない。



 ベッドの上でお互い息を整え、シャワーに一緒に入って色々なモノを流した後、急に恥ずかしさが込み上げてきた私は気を紛らわせるために少し雑談をして、ここでもあっさり解散となった。



「また明日」



 玄関の扉を開けて外に出ようとした時、そう彼女が声を掛けてくる。

 前を向いていたため、後ろで彼女が一体どんな表情で言っていたのか分からなかったが何だか嬉しく感じた。



 外に出て、一度深呼吸した私はカバンをもう一度背負い直して家に帰ろうと歩き始める。



 すっきりとした心と共にのんびりとした足取りで最初のT字路を右に曲がったその時――



「あっ、草刈!」



 突然、名前を呼ばれて振り返るとそこには今一番会うのが気まずい人が立っていた。

 私は思わず「……げっ」と小さく声を零すが、すぐにテンションを取り繕う。



「……竹田君、どうしたの?」



 クラスメートであり、咲の彼氏でもある竹田健一たけだけんいちはいつも通り爽やかな笑顔を浮かべながらも、どこか焦っているかのような雰囲気を漂わせていた。



「草刈、お前こっちの道から来たっていう事はもしかして会田の家とか行ってた?」


「えっ?別に行ってないけど……急にどうしたの?」



 もしかして私が咲の家に行っていた事がバレたのかと冷や汗が頬に1本流れるが、どうやらそうでは無かったらしい。



「あー……いや、草刈は知ってるから言って良いか。なんか急に咲から『別れよう』って連絡が来てさ、意味分かんなかったからさっき咲の家に行ったんだけど、人がいる雰囲気はあったのに誰も出てこなかったから何かあったんかなと思って」


「……咲から『別れよう』って言われたの?」


「そうそう、急すぎてマジで意味分かんねぇー」


「そう、なんだ……わ、私も流石に分からないかな」


「まぁ、そうだよな。ごめんな、引き止めちゃって」


「ううん、大丈夫。それじゃあ」



 軽く手を振り、彼が視界の中から消えた事を確認した後、私はさっきの彼の発言を思い巡らせていた。


 咲が彼に対して「別れよう」と言った……

 まさか、私とのアレが原因なのか?

 本当の所は分からないが私の中で「そうであってほしい」という妄想がどんどんと大きくなっていく。


 もし、そうなのだとしたらと考えていたら気持ちも何処か晴れやかになっていく。

 顔もいつの間にか二ヤケて来て、抑えるのが大変だ。




 明日から彼女とはどんな関係性になるのか全く想像できないが、私は少し軽やかな足取りで家路に着くのだった。














 ********









 いつまで経っても携帯のバイブ音が鳴り止まない。

 ポンッとほんの短いメッセージを送ったらこれだ。

 折角マナーモードにしたのにこれじゃあ意味が無いじゃないか。

 流石にウザくなってきた私は「はぁ」と一度ため息をついて、携帯を手に持った。



『あっ、咲、やっと出た。おい!いきなりどういう事だ「別れよう」なんて』


「……どういう事って、そのまんまの意味だけど」



 いきなり耳をつんざくような大声で話してくる彼に思わず顔をしかめながら、私は冷たく答えた。



『いやいやいや、余りにも急すぎるだろ。ちゃんと理由を言えよ』


「えー、理由?言えないし言いたくないんだけど」


『言えないってお前……あー、お前、最近俺が忙しくて構ったり遊んだりしてなかったから拗ねてるんだろ。ここ1か月なんてもろに無理だったもんな』



 まるで自分が『楽しませてやっていた』と言わんばかりの傲慢な態度の彼を白い目で見たくなる。

 画面越しだから、この視線が伝わらないのが本当に残念だ。

 と言っても、彼の言い草にイラついたのも事実。

「お前なんてただの踏み台でしかない」という本音は心の底に押し込んで、少し語気が強くなりながらも終始冷淡に返した。



「別にそんなのは関係ない。ただ、私の目的が完遂しただけだから」


『目的?何だよソレ』


「それもアンタには関係の無い話だから。……もういい?アンタと話す話なんてもう無いんだけど」


『ハァ?ふざけんなよ。いきなりこんな事言われて受け入れられる訳ないだろ』


「そう言われても受け入れてもらわないと困るんだけど……はぁ、もうめんどくさいから切るね。バイバイ」


『あっ、お前、ちょっとま――』



 まだ何か言いたげだったのを無視して私は強引に電話を切る。


 折角、さっきまでの余韻に浸っていたというのにまったく……台無しにされた気分だ。

 


 ……それにしても、やっとここまで堕ちてくれた。

 ずっと掌で踊らせていた甲斐があったものだ。



 私はうっとりとした表情を浮かべながら、机の横の本棚から小学生の時の卒業アルバムを取り出した。

 いつも見ているからか薄ら黒くなっているページを開くと、そこにはまだあどけない表情が残った私と愛美がツーショットで写った写真が載っている。



 愛美とは一目惚れだった。

 まだ『愛』や『恋』という感情をよく認識していない歳の頃から彼女に対しては特別な感情を抱いていた。

 それから、ずっともやもやとした不思議な気持ちを抱いていた訳だがそれが『好き』だという気持ちだと分かったのは一体いつだったか。


 確か、小学高学年になって友達の女の子と恋バナをしている時だったか。

 その時、一緒に話していた女の子が好きな男の子に対して語っていた気持ちが私が愛美に対して抱いている気持ちと同じだったのだ。


 ……懐かしい。

 あの時は一気に愛美の事を意識してしまって、とても恥ずかしかったのを覚えている。

 しかし、そこからの私の行動も早かった。


 好きになったのなら徹底的に彼女の事を手に入れてみせる、と。


 女性同士の恋愛が難しい事も勿論分かっていたが、それ以上に彼女の事が好きだったのだ。

 でも、ただ手に入れるのも面白くない。

 どうせなら私以外の人に目移りしないように『私』という沼にズブズブに沈めてあげよう。


 それからは彼女の中の私に対しての好感度が上がるようにひたすら頑張った。

 彼女が私に対して恋愛感情を抱くようになるまでひたすらに。

 どんな事があっても彼女の事をカバーして、どんな時でも彼女の味方であるように振る舞う。


 そして、遂に来た運命の日。

 愛美からの告白の日。

 私の努力が実を結ぶ日。

 だけど、私はここで敢えて彼女の事をフる。


 こうする事で彼女の心に傷を残すことが出来る。

 加えて、人間というものはフラれてもずっと引きづってしまう性質を持つ。

 その性質を使って、今度は彼女の事を精神的に追い詰めていく。


 そこで利用したのがさっきの彼。

 元々、私に言い寄って来ていた奴だったから便利だった。

 ただ、もっと性格の良い男にすれば良かった所は今回において唯一の後悔である。


 あとはこの関係性を使って彼女の嫉妬心を煽るだけ。

 

 彼女の嫉妬を煽れるのなら何でも良い。


 そして、彼女の精神が限界に近づいてきたところで耳元で甘く囁く。


「私を奪ってしまえば良い」と。


 これで彼女は『私』の元へただ堕ちて、溺れていく。

 完璧だ。




 私は持っていたアルバムを机に置いて今度は机の上に置いていた修学旅行の時に撮った愛美とのツーショットをそっと手に取り、思わず舌舐めずりをする。










 こんな私だけど、愛美、これからよろしくね。







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