神の意のままに


 迩千花の元に、父母から手紙が届けられた。

 表庭での出来事以来、両親はどうしても仕方ない場合以外、手紙で意向を伝えてくるようになった。

 迩千花としても顔を合わせなくて済む為、同じ敷地内に居るのにやり取りは手紙という不思議な事態を受け入れていた。

 記された内容によれば、血族の婚姻に関する託宣をお願いしたい、と。


「……どういうことだ、これは」

「……一族は、祭神の声で婚姻を定めるのが決まりだったから……」


 手紙の内容を知らされた途端怪訝そうな表情で首を傾げた織黒に、迩千花は苦笑して説明する。

 玖珂と見瀬の一族は、祭神の声にて縁を結ぶ相手を定める掟がある。

 父母は祭神の託宣により生まれた時から結ばれる事が定められていたという。

 祖父母、その前の世代も、概ね生まれた時か幼少の内に相手についての託宣があり、婚約が定まる。

 相手は血族の事が多かったが、他家から選ばれる場合もあり、また全く異能とは関係ない人間が選ばれる事も稀にあった。

 祭神の声に導かれ結ばれた男女からは、ほぼ例外なく強き異能を有する子供が生まれた。

 故に異能の強く濃い血を繋げていきたい者達にとっては、祭神の託宣は絶対だった。

 三年前から祭神は沈黙し、導きが失われていた。

 しかし新たに祭神を迎えた今、新しき導きを求めたいということだろう。


「祭神に言われた相手ならば、意に沿わぬ相手でも受け入れるというのか」

「そうしないと、大変な……恐ろしい罰が下ったと伝わっているのです」


 呆れたという様子を隠さず大仰に嘆息する織黒に、伝えきいた逸話を思い出しながら迩千花は続ける。

 玖珂の祭神・久黎は平素は比較的寛大な神であり、一族に対して苛烈な面を見せる事は無かった。

 ただ、婚姻に関してだけは違った。

 時折現れる己の意に背く相手を選ぼうとしたものに対しては、熾烈なまでの罰を与えた……血族が選ぼうとした相手へ。

 畏れた者達は、結局は神意に叶う相手を受け入れ、血を保ち、そして一族は今日はで続いてきた。

 一族は祭神の意なくば婚姻を定める事叶わず、その意に背く婚姻はせぬ、それが掟。

 迩千花としては正直、思うところがなかったわけではないのだが……。

 心にそんな事を呟いていた時、不意に視界が変わる。

 気が付けば、迩千花の身体は引寄せられ優しく温かな戒めの中にある。 


「織黒……!? また、いきなり……!」

「お前にも、定められた相手が居たのか……?」


 あれほど、いきなり抱き寄せるのはやめてくれと言ったのに、と非難と戸惑いを苦にする迩千花の耳に、低い問いが降って来る。

 抱き締めながら見上げる先で、目に見えて織黒の表情が険しくなっていた。

 その瞳に宿るのは、明確な嫉妬だ。織黒は、存在さえ不確かな『迩千花の伴侶と定められた相手』に激しい嫉妬を抱いている。

 一瞬呆気に飲み込まれたように言葉を失ったものの、すぐに首を左右に振って迩千花は告げた。


「……何故か、私にはその託宣が一切なかったらしい、です」


 迩千花が生まれ一族が喜びに湧き、一族は続いてあるだろう将来の長たる娘の伴侶についての言葉を待ったという。

 しかし、迩千花に関しては生まれを寿ぐ言葉と瑞兆はあっても、婚姻の相手に関するお告げは何時までたっても無かった。

 当時は、神の意に沿い続けた一族への褒美として迩千花が生まれたのだと大騒ぎであったという。

 今では、それは何れ不吉を招くと祭神が予期していたからかもしれぬと言われているが。

 そして、相手が定まっていなかったが為に父母は迩千花の子の父を探しに奔走し、結果として禁忌を選択したわけだ。

 居なかった、という事実を聞いて少しだけ和らいだものの、不審や不快な色は消えぬまま、織黒は大きく嘆息しつつ口を開く。


「伴侶を定めたくば勝手に選べ。何を以てして『良い伴侶』であるのか、何を言いたいのかわからぬ」

「多分、強い異能を持つ子供が生まれるか否か、だと思います」

「……そんなもの、子が生まれてみなければわからぬというのに。多少を与える事はできるが、持ち得るのを知るとは……。先の祭神とやらは、何ゆえにそれを知り得たのか」


 迩千花は思わず目を瞬いた。

 織黒には生まれてくる子が如何なる力を持ちえるのか……それを導くにはどのような者達を結ばせれば良いのか、分からない。

 しかもそれを知り得るのは、大いなる力を持ちえるものとて容易ではないのだと。

 それは、織黒が祟り神であるが故か。はたまた、玖珂の祭神が特異な力を持ち合わせていたが為か。

 迩千花の胸の内に、何故か言い様のない不安と、恐怖に近いものが生じて膨れ上がる。

 何故、祭神は……久黎は、一族に意に沿う婚姻を命じたのか。

 何故……。


「……迩千花が望むというならばその通りにするよう努めるが。……どうなのだ?」


 静かに言われた言葉に、迩千花は我に返り目を見張る。

 耽りかけた思索から戻ってきて、織黒を見上げる。

 織黒は、迩千花が望めば全く同様にはできぬものの、近しい事をしてくれようというのだ。

 神の告げる言葉の通りに結ばれ、子を為す。

 玖珂と見瀬はそうして続いてきた。神の意に従い血を繋ぐを疑う事なく受け入れて。

 掟を続けていくならば、ここで織黒にそれを頼むべきなのだろう。

 けれど、何故か。

 迩千花の中の何かが『それではいけない』と叫んでいる。

 もう、これ以上はいけないと……。


 遠くで、誰かが叫んでいる。

 哀しみを紡ぎ続けた声が、言っている。

 漸くここまできたのだ。ようやく、出来上がったのだ。

 もう止まれないのだと。

 だから――。


「……その件については、保留とする」


 何時の間にか、迩千花の顔にはその迷いや戸惑いが出てしまっていたようだ。

 重々しく息を吐くと、織黒は低く呟くようにして告げる。

 迩千花が明確に否と言わぬからこそ拒絶はしないが、恐らく織黒としては気が進まない事なのだろう。

 今脳裏に浮かんだのは一体何だったのかとの問いは消えぬけれど、迩千花は小さく頷いて見せる。


「そもそも。他者の言いなりになって伴侶を定めるなど、俺なら御免だがな……」


 織黒らしい言葉だと、迩千花の口元には笑みが浮かぶ。

 この男であれば、自分で選ぶ事ができない……誰かに押し付けられた伴侶など拒否してみせるだろう。

 それは、玖珂の娘として。この時代に生まれた娘として、些か羨ましく思える。

 玖珂に生まれずとも、この時代の女は自分の意思で結婚する事などできない。

 自由恋愛は眉を顰められる世の中、女の身に生まれ付いた以上、親の決めた相手に嫁ぐ事しか許されていない。

 それから抜け出すには、迩千花はこの時代の教えが身に沁みすぎている。


「俺は、お前を選べぬというなら。……神の意思とやらを変えてやる」


 気が付けば、織黒に覗き込まれている。

 心を惑わすほどの色香漂う黒の眼差しを間近で向けられ、迩千花は思わず紡ぎかけた言葉を飲み込んだ。

 近い、と心で小さく悲鳴をあげる。

 吐息さえ感じる距離で、少しのはずみで唇さえ触れてしまいそうな距離で。

 そのような顔をされては、そのような事を言われたら。

 心が揺れに揺れて、身動きすらとれなくて……。


「……言う事だけは大層立派だな、呪い神」

「……少しは遠慮というものを覚えたらどうだ?」

「迩千花相手に盛るな。それならどこぞへ行って適当な相手でも選べ」


 心臓が口から飛び出るかと思う程に驚愕し、迩千花は凍り付き、次の瞬間には跳び退るように織黒から距離をとっていた。

 冷ややかな声音の言葉にそちらを向いてみれば、手に何やら持っている築が、何時の間にやらそこにいる。

 醒めた眼差しを織黒に向けた侭冷たく言い放つと、迩千花に向ってそれまでとは対照的な笑みを浮かべて、持っていた皿を差し出した。

 出入りの店から良い水菓子が届られたので持ってきたのだと言う。

 迩千花の表情が少し明るくなったのを見て、織黒も築もお互いに更なる舌戦を繰り広げかけたのを止める。

 おずおずと勧める迩千花の言葉を男二人は拒むことが出来ず、結果として微妙な空気ではあるが三人で新鮮な水菓子を摘まむ事となる。


 そういえば、と迩千花は思う。

 築の相手について知らない事に気付いたのだ。

 大事な兄に関する事なのに、今まで考えもしなかった事を迂闊と思う。

 兄もまた、祭神から結ばれるべき相手に関するお告げを受けている筈だ。

 しかし、それらしい者は傍に居ない……。

 周りがその事を気にしているようすもないし、本人も何も気にした様子はない。


 迩千花は、その日の夕刻にとある老女中に話を聞いてみる事にした。

 彼女は玖珂に仕えて長いうえに、迩千花に対しても比較的好意的に接してくれた相手である。

 老女中は問われると、暫し躊躇した後に声を潜めて語り始める。


「……確かに、築様にも伴侶と定められた相手がいらっしゃいましたが……」


 過去形である事が気になった迩千花は、首を傾げてそれを問いかけた。

 そして、驚愕の事実を聞かされる。


「お兄様が……!?」

「はい……。築様のご命令で、郷里に返されたと聞いております……」


 築が見瀬に奪われる前に、迩千花を虐げた者達の一人が築の伴侶と定められた相手であったのだという。

 いずれ表の当主の妻となるという事に驕った女は、玖珂の零落の原因となった迩千花に更に辛くあたったのだという。

 そういえば、確かに一人やたらに態度が高慢な女が居たような気がするが……。

 それは築の逆鱗に触れ、婚約は解かれぬものの弁解の言葉の一つすら聞いてもらえず、屋敷に居る事は許さぬとばかりに郷里に返された。

 父母が諫める事も出来ぬほどの剣幕であったらしい。

 そして、その女は流行り病で呆気なく世を去ってしまった。

 祭神が沈黙している状態である為次なる伴侶が示される事はなく、築もまた伴侶定まらぬ状態だった。


「築様は……。時として別の御方のように容赦がございませんから……。取り分け、迩千花様の事に関しては……」


 遠慮がちに紡がれる言葉に、迩千花は改めて自分が知らぬ兄の一面について思いを馳せる。

 織黒は、迩千花に敵意を向ける者に容赦がない。

 しかし、それは築も同じ事だった。

 築は誰に対しても穏やかな物腰や口調は崩さない。

 けれども、それは必ずしも性質が穏やかであるということと同義ではない。

 老女中が語る迩千花の知らぬ築は、迩千花を害する者に対して熾烈なほどに無慈悲であるという。

 老女中が去り、一人残されて迩千花は戸惑いに沈む。


 迩千花を偽りなく慈しむ顔と、欠片の容赦も向けぬ苛烈な顔。

 そして、それ以外にも……。

 性質も違うし、互いを忌み嫌っている二人なのに。

 何故か、兄と黒き真神を『似ている』と迩千花は思うのだった……。。


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