第5話 未読スルー⑤

「あっ! そ、そうか!」

「気づいたか」


 先輩は不敵に微笑んだ。


「時間に経過に影響されないシリーズもの、つまりは続編だ。その本は一冊で完結していないんだよ」

「完結してない作品は読んでも意味ないってことですか? けど、映画や漫画で続編が決まっていても人は読みますよね?」


 羽原はまだ理解が追いついていなかった。


「違う、逆だよ。続きがあっても、それを知らなければ人は読む。問題の本は、むしろ完結作品の方しか置かれていなかった。そう、一度も読まれたことがない本の正体は、上巻が存在しない下巻のことだ」


 先輩の推理は、俺が導き出した答えと同じだった。人は上巻を通らずに下巻から読み始めたりはしない。もしもその上巻が何らかの理由で紛失してしまっていた場合、下巻にたどり着くことは不可能だ。


 俺も、書店で読みたい本の下巻だけが置いてあれば間違いなくスルーしてしまう。一応、購入だけはするかもしれないが、読むのは絶対に上巻からだ。同じように、シリーズものの小説や漫画も、最初の一冊目を読まない限りは次に進めない。まさに、心理的に読むことが不可能な本ということだ。


「恐らく、その卒業生はたまたま問題の下巻を見つけてしまったんだろう。一度も読まれたことがないという意味合い的に、その下巻は発注ミスの可能性があるな。借りた生徒が失くしたのだとしたら、既に何度か読まれていてもおかしくはない。であれば、一度も読まれたことがないなどとは言わないはずだ」

「あれだけの限られた情報やヒントから、本当に見つけるなんて……」


 俺は震えた声を必死に絞り出した。しかも、先輩はまだ一度話を聞いただけに過ぎない。答えにたどり着くスピードも桁違いだ。


「でも待ってください、だとしても絶対に読まれないなんてこもありますか?」


 羽原が手を挙げ、先輩の推理に疑問を投げかけた。


「例えばですよ、どこか別の図書館などで上巻を読んでいれば、下巻だけ置いてあっても読むということはあるんじゃないでしょうか?」


 苦しい指摘というほどでもなかった。実際、上巻だけと限らずその作品を既に読んでいる者がいれば、下巻だけであっても読むという可能性はゼロではない。

 先輩の推理は、上巻の内容を知らない者にしか条件を満たせない。


「光、君の言う通りだよ、上巻より先まで読んでいる者なら下巻だけでも読むことは可能だ。しかし、それは論ずるに値しないケースだ」

「ど、どうしてですか?」

「簡単さ、それを含むなら上巻の内容をすっ飛ばして下巻から読むケースも同時に含まなければならなくなる。だって、上巻だけ読んでいて下巻だけ読んでないなんてこと、普通はありえないだろう?」

「そ、それは……そうですけど」


 羽原は一旦引いた。先輩の指摘する通り、上巻を読んでいれば下巻まで読むのは当然だ。ここで読まないという選択を取る場合、条件が非常に限定されてしまう。


 まず、上巻の時点で話があまり自分の好みではなく、下巻まで読まないというパターンだ。

 これは、別の図書館などで上巻を借りたり、閲覧したりしたことのある者が当てはまるだろう。

 購入者であれば、好みでなくとも下巻までは読もうと思うだろうし、上下巻あるうちの上巻だけを衝動買いするということ自体は少ない。


 これが将来的に何巻か続く可能性のある漫画とかであれば、一巻だけ読んで終わるということは大いに考えられる。完結まで読み進めるのにかかるコストが違うからだ。


 しかし、上下巻であれば下巻で間違いなく完結する。

 人によっては、下巻を買うのも惜しくて上巻のまま止めておく人もいるだろう。だが、下巻から読む場合に要求されるのは上巻に関する確かな情報であり、いくら一度読んだことがあっても下巻から読むというのは簡単なことではない。


 実際、シリーズものの新刊が出た時、大抵の人は前の話を読み直す。前の話を完璧に記憶している人などは少数だからだ。

 故に、上巻だけ読んで下巻を読んだことがない場合、そこから下巻を読もうとすればもう一度上巻を読み直す必要がある。


 すぐに下巻を読もうとしたなかったということは、上巻の内容もあまり鮮明には覚えていないと考えられる。

 そして、わざわざ上巻を読み直してまで興味のなかった話の下巻を読もうとする者こそ、普通に考えて存在しない。


 上巻だけでなく下巻も既に読んでいた場合でも同じことが言える。上巻の内容を知っているため下巻からでも読むことはできるが、現実的に考えて、いくら上巻の内容を知っていたとしても、下巻だけを途中から読むなんてことは普通しない。


 自身が所有してなければ、わざわざ別の図書館などで上巻を読み直してまで読まなければならなくなるし、所有していれば下巻も待ってる可能性が高く、この図書室で読む必要はないということだ。

 羽原も先輩の指摘からその答えに行き着き、それ以上は何の反論もなかった。


「さぁ、これで満足だろう。あとは当人にこのことを伝えて、とりあえず納得してもらおう。どうせ本当の正解なんてわかんないだし」

「え? 今のって正解じゃないんですか?」

「正解かどうかはわかんないなぁ、私はその卒業生じゃないし。もしかしたら、今言った推理も全くの的外れってこともあるかもね。真の正解はその卒業生しか知らないんだもん」

「でも、非常に筋は通っていたと思いますよ」

「まあ、限りなく正解に近づけようとはしたつもりだしね。要は、このレファレンスを届けた三年生の人に納得してもらえばいいわけで、正解を導き出す必要とかはない」


 ロジック重視のミステリ小説などでは物証が出るまで詰めていくだろうが、今回のようなレファレンスでは詰めて正解を導き出す必要がなかった。


「よってこのレファレンス、証明終了」


 先輩はそう締めくくり、軽く体を伸ばし始めた。

 羽原は、無事に『納得のいく答え』が提示されたことで胸を撫で下ろしていた。


 正直、多読室にこもって本を読み漁っている人物が導き出した結論とは思えなかった。どうやら先輩は本当に、誰よりも優秀な図書委員なのかもしれない。


 ある意味、これはギャップがある。引きこもりの読書オタクが、あの難解なレファレンスをこの短時間で解き明かしてしまったのだ。

 最初の珍妙な印象とは打って変わって、今やもう尊敬の念を抱かされる。


 たしかに、これなら昼休みと放課後に多読室を占領するくらいのわがままは聞き入れてもらえそうだ。


「ありがとうございました、鵜瀬さん。じゃあ私、このことを当人に伝えておきますね」

「ああ、あとはよろしく」


 羽原は軽く頭を下げ、多読室を後にした。先輩はひらひらと手を振って彼女を見送った。


「ふふっ、どうだった? ちゃんと貢献しているだろう、図書委員として」


 先輩は得意げな表情で、主張の激しくない慎ましやかな胸を張った。その後ろには、ドヤァという擬音が浮いて見えてくるようだった。


「ぶっちゃけ、驚いてますよ。俺、どっちかって言うと推理小説とかよく読むので、自分のが得意だと思ってたんですけどね。実際に挑戦してみると、全然わからないもんです。なのに先輩は、それを呆気なく解いてしまった。完全に置いてけぼりでしたよ」

「はっはっはー! まあ、私はこれでも優秀だからね! この程度は朝飯前だよ」

「こういう、謎解きみたいなのって、好きなんですか?」

「うーん、普通くらいかな! 新しい発見があれば別だけど、今日みたいにあっさり解けるレベルじゃ面白みには欠けるよ。けど、今日はいつもより楽しかった。いや、入学してから一番楽しかったかもしれない」

「え? そ、それはどういう……」

「だって、今日は燈画と会えたから」

「……は?」


 虚を突かれたような気分だった。俺は思わずキョトンとした顔で固まってしまい、言葉を紡ぐことすらできなくなってしまっていた。


「これでも一応、友達はちゃんと欲しいと思ってるからね。けどさ、趣味が合うとか、気持ちを理解してくれるとかって、私の場合は中々ないんだよね。でも、燈画は違う」


 少し、反応に困った。友人など特に持たない俺は、そんなふうに言ってもらえたのが初めてだったのだ。どう答えるのが適切なのか、自分の中でわからなかった。

 そんな俺に構わず、先輩は続けた。


「君は、私の中にある誰も埋めてくれない箇所を埋めてくれる。もしかしたら、唯一の存在かもしれない。そりゃ、普段より楽しく感じて同然だろう?」


 先輩は堂々と、気恥ずかしさを覚えるようなことを俺に言ってきた。

 きっと、俺なら恥ずかしくて言えないし、言えたとしても顔を赤くして声を吃らせてしまうだろう。

 こういうのは多分、男から言うほうが恥ずかしい。

 でも、同感だった。

 俺にとっても、先輩は非常に狭く小さなピースを埋めてくれる唯一の存在だろう。

 本に詳しくても、中々同じ趣味の友達というのは持てないものだ。もっとも、俺にはそもそも友達などいないのだが。

 そしてもう一つ、同じ気持ちを抱いた。


「俺も……今日が一番楽しかったですよ。多分……先輩と会えたから」


 自然と目が先輩を避けていた。心なしか、声のトーンも若干高くなっている。


「それと燈画、君には図書委員に入ることを勧めるよ。多読室を利用するのとは別にな」

「え? な、なんでです?」

「図書委員になれば、好きな本を発注したりできるしな。それに、私の友達ということだけより、図書委員として貢献したほうが居座りやすいだろう」

「いや、それ職権濫用ですよね」

「まあまあ、硬いことは気にするな。本に詳しい君がいたほうが、普段の発注が単純に楽になる。読みたい本を頼む時、いつも私が探してやっていたんだが、燈画がいれば二倍捗るしな」

「マイナーな本とかも好きそうですもんね、先輩は」

「私は一度読んだことのある本は完璧に記憶してしまうからな。まあ、それでも何回だって読み直すけど」


 さらっととんでもないことを言っている。たった一度読んだだけで記憶できてしまうなど、もはや超能力者だ。


「それに、燈画は光より背も高いしな」

「あっ、それやっぱり気にしてるんだ」

「蔵書が多い分、この図書室の本棚は高すぎるんだ。脚立を移動させるのも、私にとっては結構重労働でな」


 たしかに、先輩は少しの運動でも体が壊れてしまいそうだ。


「というわけで、今日からよろしくな、燈画」


 先輩は邪気のない笑みを返した。

 

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