第4話 未読スルー④

 そのふてぶてしい表情からは、先輩の強い自信が読み取れた。そして同時に、謎を解いたことによる達成感のようなもの伝わってくる。


「今回のレファレンスだが、これは『読まれたことがない』という部分が重要なんだ」

「えーっと、それはどういう?」


 察しが悪いと思われるだろうが、正直そう言われても何が重要なのかがよくわからない。


「だって読めないんじゃなくて、読まれたことがないっていうのは、ちょっと妙じゃない?」


 俺は頭の中で必死に思案する。いったい先輩は何を妙だと思ったのだろうか。


「仮にだよ、もしも物理的に読めない本が存在したとしたら、それは間違いなく誰にも読まれたことがない本だ。けど、それなら変な言い回しはせず、誰にも読むことができなかった本って言えばいいだろ?」

「あ、たしかに……」


 そこで初めて気づく、要するにその本は可能であれば読むことができるということだ。ただそれでは、読まれなかったと断言できなくなってしまう。


「言い方を変えると、その本は物理的にではなく、心理的に読めない本ってことになる。言っちゃえば、読んでも時間の無駄、読む必要がない、と感じてしまう本。実際、日常生活でもそういう状況は珍しくないと思うよ」

「もしかして、結構身近に感じることだったりするんですか?」

「そうだね、私なんかは経験あるよ。書店とかだと、特に似たような状況に陥るんじゃないかな」


 ますますわからなかった。俺はこれでも、人並み以上に多くの本を読んできたと自負している。

 ということは、少なくとも俺は過去にその状況を体験したことがある可能性が高い。


「それと、その本は偶然発見された可能性が高い。もしも故意にその卒業生が条件に合う本を探していたとしたら、やっと見つけたという言い回しをするだろうからな」

「い、言われてみれば……」


 仮にその卒業生が故意に探していたとするなら、見つける前に何かしらその兆候があったはずだ。

 羽原に確認するが、特にその三年生からそういう話は聞いていないらしい。


「その点も加えるなら、条件の本は誰の目にも自然と認識できる場所にあると可能性が高い」

「なら、やっぱり他の本と同じように棚に並べられてるってことですかね? けど、それで絶対に読まれないなんてこと……ありえるんですか?」

「まあ、手に取って開くくらいならあるかもしれないね。けど、その本を読むかどうかというのはまた別の話だ。細かいことを言うかもしれないけど、読むってことはページをめくって、その作品の内容に意識を触れさせるってことになる」

「あの、もっと具体的にはっきり言ってくれません? なんか遠回しすぎて頭の中がぐちゃぐちゃになってきちゃってるんですけど……」

「わ、私も……もう少しわかりやすく言ってほしいです……」

「あー、ごめんごめん、じゃあ一旦情報を整理するね」


 先輩は首の後ろを手でかき、眉をハの字に曲げた。


「えーっと……そうだなー」


 辺りを見渡し、先輩は壁に備えられているホワイトボードに目をつけた。

 何も書かれていない真っ白なスペースに重要なポイントを記そうとするが、先輩の身長ではボードの高い位置までは手が届かなかった。

 仕方なく、俺が代わりに板書を行った。

 背が低いことを気にしているのか、先輩は少し不服そうだった。


 一つ、その本は物理的にではなく、心理的に読めない本である。

 二つ、一般の目線で認知できる場所に置かれている。

 三つ、時間が経過しても条件が変化しない。

 四つ、この図書室に限らず、本屋などにも同様の状態が現れる。


 俺は先輩に言われた通り、ホワイトボードに要点を書き記した。さっき先輩が俺たちに説明してくれたことを、よりわかりやすく簡潔にまとめた内容である。


「さて、肝心な正体だが、まず二人は本を読む時はどういう理由で読む本を選ぶ?」

「な、なんですか……急に」

「いいから、答えてみなよ」


 俺と羽原は一度顔を見合わせる。いったい、この質問に何の意図があるのだろうか。


「俺は基本的に、気になった本はなんでも読みますね。特にタイトルとか著者とか、表紙だけから得られる情報を参考にします」

「えーっと、私も好きな作家さんとかの本を中心に読みますね。中々新規の作品には手を出したりしないので」

「でも、いくら読みたい作品だからって、その内容を理解できない場合は簡単に手を出さないだろう? 人は最低限、その内容を理解できると確信したうえでないと読もうとは思わないんだよ」


 当然のことではあるが、本の内容というのは読むかどうかの選択において非常に重要だ。現に俺も漫画などはあまり読まないし、大人は児童書などに手は出さない。そしてそれは逆も然り、子供が難しい蔵書を読むこともない。

 先輩が言いたいのは、恐らくその本の正体は誰からも興味を持たれないような本だということだ。

 しかし、そんな本が実際に存在するのだろうか?


 いくらこの学校の図書室で管理されている蔵書が圧倒的とはいえ、最低限生徒が読むことを想定された本を揃えているはずだ。そもそも、人の趣味とは多種多様で、大人であっても児童書を好む人はいる。


 この場合、読むことの条件は実質無限にあるとも言える。となると、いくらやっても『読まれない』と断言するのは不可能なんじゃないだろうか。


「その内容に関する部分が一つ目の条件だ。単に読むことが不可能というわけではない。普通に生活していても、読める本だからといって必ずしも人が読むわけではないからな。当然、興味がなければ読まない。ポイントは、この興味という部分だ」

「要するに退屈な本ってことですか?」


 羽原が小さく手を挙げて訊いた。


「たしかに、読んでも面白くなかったり、何の勉強にもならなければ人は読まないだろう。だが、他にも人の興味を失わせる要素はある」

「えーっと、例えば?」

「読むのに段階が必要な場合だよ。二人も、教科書や参考書を選ぶ際は自分のレベルに合わせるでしょ? その場合、勉強のための意欲や興味に制限が加わる。中学生の範囲よりも先に高校生の範囲を勉強しないのと同じようにな。このように、本というものは読む前に必要な段階が存在しているんだ」

「え? じゃあもしかして、大学生が習うような難しい本ってことですか?」

「いや、それは少し意味を勘違いしている。私が言いたいのは、その難易度の高い書物に前段階があると言っているんだ。既にクリアしていれば、その本にたどり着くことはできる」

「……全然ダメです。榎戸さん、わかりますか?」


 脳がパンクしかけ、羽原は目を回していた。しかし、俺も具体的に何が言いたいのか、まだ理解が追いついていない。頭の上の疑問符は増えるばかりだ。


「ここで、一つ目については終わりとする。次に二つ目、その本は生徒の誰しもが認知できる場所に置かれている可能性が高い。つまり、その本は隠されていたり、容易に手が出せないというわけではないということだ。ならば、その本は棚のどこかにあると考えていいだろう。それでいて心理的には読めず、段階を踏む必要がある本だ」

「そんな本ありますか?」

「私も含め、三人全員に経験があると思うぞ。四つ目に記した通り、この図書室に限定されたものではない。恐らく、同じ理由で読むことを先送りにしている本がある。そしてそれが、一度も読まれなかった本の正体だ」


 俺もそこまでは既に推測できている。だが、本に関しては自信のある俺でも、未だにその正体が掴めない。


「一つ飛ばしてしまったな、それじゃあ三つ目について話そう。本というものは、時間によって状態が変化するものだ。例えば新刊、これが一番わかりやすいだろうな。さらに、本によっては新刊が出ることで既に長い期間、世に出ていた本にも変化が生まれる。それはなんだかわかるか?」


 時間が経過しても状態が変化しない、という部分について解説しているのに、先輩は何故かその逆を訊いてきた。


「シリーズものの話ですか?」

「さすが燈画、君は光よりも察しがよくて助かるよ」


 褒められるのは嬉しいが、隣にいる羽原がむっとした表情で睨んでくるから少し複雑だ。

 図書委員としてのプライドみたいなものもあるのだろう。


「鵜瀬さんが友達と言うだけはありますね、自分なんて見向きもされないのに」


 小声で羽原が不満を漏らした。


「じゃあその本はシリーズものじゃないってことですか?」


 俺は露骨に話を戻した。


「いや、そうとは言ってないよ。シリーズものにだって、時間経過に影響されないものが一冊だけある。そしてそれこそ、私たちが探している『絶対に読まれない本』の正体だ」


 その言葉を聞いた瞬間、俺の頭の中で何かが弾け、スパークした。

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