第3話 未読スルー③
先輩は積み上げられた本の隙間を慣れた動きで擦り抜けて行き、全くぶつかることなく扉へとたどり着いた。
扉を少しだけ開け、先輩は小声で「入れ」とだけ言った。
すると、部屋の中に一人の少女が招き入れられた。
透き通るような白い肌に、肩まで伸びた艶のある黒髪。まさに清楚という言葉のイメージを具象化したような存在だった。
ネクタイの色が赤色だったため、俺と同級生であることがわかる。
桜庭高等学校はネクタイの色で学年を分けており、一年は赤、二年は緑、三年は青となっている。
同じ学年だが、俺は彼女の名前を知らなかった。友達と呼べる存在がそもそもいないため、クラスメイトなのかどうかすらわからない。
「鵜瀬さん、またお願いしたいことがあるんですけど……って、あれ?」
黒髪の少女は、第二多読室の中にいる俺に視線をずらし、困惑したように目を白黒させた。
「ん? あー、彼は私の友達だ。特別に入室を許可している」
「え⁉︎」
まだ会ったばかりだというのに、もう俺は友達認定されているのか。思えば、この高校に入学して初めての友達じゃないか。うん、良い響きだな。
「と、友達? 鵜瀬さんにですか?」
「なんだその、まるで私に友達ができるはずないだろう、みたいな訊きかたは」
「だって、図書委員の自分たちですら難解なレファレンスなしじゃ入れてくれないじゃないですか。それなのに友達って、いったい彼のどんな弱みを握ってるんですか?」
「おい、失礼だぞ! 私と彼はそんな汚れた関係じゃない。もはや運命と言っていいベストフレンドなんだぞ!」
いや、それは大袈裟だろ。
黒髪の少女も、この人何言ってるんだろう、みたいな顔してるし。
「ベストフレンド……なんですか?」
「えーっと、まあ、そんな感じかな」
俺は引きつった顔で答えた。
「そ、そうですか、わかりました。自分は図書委員の
「あっ、俺は榎戸燈画です。こ、こちらこそ、よろしく」
ネクタイの色を見て同級生だということはわかっているのに、羽原は終始丁寧な言葉遣いだった。
「相変わらず堅いね、君は」
先輩は小さく息を吐き、肩をすくめた。
「彼のことは一旦置いておくとして、少し妙なレファレンスが来てしまったので、また鵜瀬さんの力をお借りしてもいいでしょうか」
「待ってたよ。ちょうど、彼にも私の力を見せておきたくてね」
「あの、いったいどういうことなんです? 正直、何も見えてこないんですが」
俺はまだ状況が掴み切れていなかった。
「この図書室は、言わずもがな圧倒的な蔵書数を誇っている。だが、それ故に図書委員には高いレファレンス対応が求められる。だから私が必要なのさ」
「な、なるほど……それなら、生徒が図書室を利用する昼休みと放課後にこの第二多読室を私物化できる理由にも納得できます」
要するに、図書委員や司書にも見つけるのが困難になるような僅かな情報だけで、この圧倒的蔵書数の中から生徒が求めている本を短時間で見つけ出せるというわけだ。
俺の入室が特別に許可されたのは、その能力が同等程度に備わっているということも可にされているのだろう。
「それで、今回はどんなレファレンスが来たんだ?」
「そ、それがですね、ちょっとした謎解きのようなものなんですよ」
鵜瀬先輩は目をパチパチさせながら、フクロウのように首をかしげた。
黒髪の少女、羽原から詳しく話を聞くと、どうやら訊ねてきたのは三年生で、今年の三月に卒業した先輩から、卒業前に妙なことを言われたらしい。
『すごいの見つけたよ、あの図書室には、実はまだ誰にも読まれたことがない本が眠ってたんだ。多分、この先も読まれることはない。探してみな』
言われた生徒はその本の正体がどうしても気になり、それからずっと探していたが、結局見つけることはできなかった。
卒業した先輩も、その生徒が卒業するまでは教えてくれないらしく、仕方なく図書委員に助けを求めたというわけだ。
「なるほど……たしかに奇妙な話だ」
鵜瀬先輩は第二多読室にある机の上に腰を下ろし、腕を足を組んで天井を仰いだ。
誰にも読まれたことがない本、普通に考えれば、三万冊を超えるほどの蔵書があれば誰にも読まれたことがない本くらいたくさんあるだろう。ただ、断言していることが少し妙である。たしかに、どこか子供に向けた暗号、というよりなぞなぞだ。
「その卒業生が嘘をついてるって可能性は?」
「私もそう返しましたが、絶対に嘘などついていないと言い切っていました」
まあ、嘘だと指摘するのは簡単だが、その生徒はそんな答えには納得してくれないだろう。
そう、今求められているのは、相手がとりあえず納得できる回答だ。
しかし、これは本に関する知識が人より優れているとかの問題じゃない気がする。あまり知られていない著者名、有名なシーン、セリフ、登場人物など、ある程度のキーワードを貰った時にこそ先輩の能力が活かされるのではないだろうか。
「あっ!」
俺はふと閃き、思わず声を上げた。
「何かわかったんですか?」
「もしかしてその卒業生、図書委員だったんじゃないかな? そうすれば生徒の貸し出し履歴もチェックできるし、誰にも借りられてない本を見つけたってことなのかも」
「その生徒もそう思って、前に一度他の図書委員にデータベースをチェックしてもらったことがあるそうです。しかし、未だに借りられたことない蔵書は何千冊とあり、特定できる状態ではなかったそうです」
「そ、そうか……」
たしかに、よく考えたら貸し出し履歴のない本が一冊だけなんてこと、現実的にはありえない。それに、閲覧室で読めば貸し出し履歴は関係ないじゃないか。
そもそも、それならこれから先も読まれることがないという言葉と辻褄が合わない。
「まあ、少なくとも当時入ってきた新刊のことじゃないのは間違いないだろうな。さすがに、発売したばかりの本とは思えないし」
「そうですね、でなければ条件が一気に軽くなってしまいますから」
単純に難しいだけのレファレンスなら、俺も何かの役に立てただろうが、なぞなぞのようなものは得意じゃない。
ミステリ小説を好んで読んでも、俺は過去に犯人を当てたこともトリックを見破ったこともないからだ。
やはり、頼りは鵜瀬先輩か。
俺はチラッと先輩の方に目を向ける。
先輩は顎に手を添え、真面目な顔つきで虚空を眺めていた。
やがて、その丸い口をゆっくりと開いた。
「光、本を探してきてくれと言った生徒は、まだ図書室にいるか?」
「あ、はい、今はレファレンスルームの方で少し待っていてもらっています」
「なら、すぐにでも答えを教えてあげよう」
「えっ⁉︎」
俺は驚愕のあまり目を剥いた。
先輩は、この僅かな情報と時間だけで、その本の正体にたどり着いたというのか。
「と、解けたんですか!?」
「さぁ、それはどうかわかんないかな」
「はい? いや、でも答えを教えてあげられるって言ったじゃないですか」
「一応、答えは出せた。けど、その答えを知っている者が不在な以上、答え合わせのしようがない。たしかに一つの答えを導き出したのは事実だけど、それがイコール答えとは限らないだろ?」
いまいちピンとこなかったが、恐らく先輩は明確な答えというよりも、その三年生が納得するだけの答えを見つけ出したということなのだろう。
「この謎は、読了した。さっそく、二人にもわかるように説明してあげるよ」
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