冒険王
「改めて自己紹介させてくれ。ラムドとは世を忍ぶ仮の姿。その正体こそ、この国を治めていながら、瘴気域に手も足も出ない元冒険王ドラム・ルーダニアだ」
一度だけ、彼の姿を目にしたことがあった。トラントの渓谷に存在した瘴気域の主を討伐したあとの祝勝式典で、報酬をもらった時だ。そういえば、緊張しすぎてろくに顔を上げなかった気がする。
国王直々に数々の財宝や大きな屋敷を賜ったが、どうして気付かなかったのか。
「やっぱり何度見てもたまらねえなァ! お前さんら、いきなり自分ちに温泉でも湧いてきたみたいな顔してるぜ?」
「なんですか、その例えは……」
思わず突っ込んでしまったが、今聞くべきは絶対にそこじゃなかった。
「実際に温泉を当てた奴がそういう顔してたからな……というか、聞きたいのはそっちじゃないだろう?」
あまり見慣れていない顔で見慣れたからかいの表情を浮かべるラムドさん、もといドラム王。彼の言葉でようやくフリーズが解けたのかおずおずと望海が挙手をした。
「なんで私たちみたいな駆け出しに護衛なんてさせたの……させたんでしょうか? それと、なぜ正体を隠していたの……でしょうか」
今までさんざん普通に話していた相手が、まさかこの国で一番偉い人物なんて思いもしない。そのせいか、彼女の口調は少しおかしなことになっていた。
「よくぞ聞いてくれたノゾミ。それと、あんまり畏まらなくていいぞ。正体を隠して騙してたのは俺の方だ」
その一言で望海は肩の力を抜く。俺も少しだけ呼吸が楽になった気がした。緊張から、無意識に呼吸が浅くなっていたのかもしれない。
「まず、なんで正体を隠してたかだがこれは簡単だ。この国を打ち建ててから俺には立場っていうもんができちまった。こいつがあるとおちおち外に出て飯屋を物色することも楽じゃねえ。という訳で使い始めたのがこの魔道具だ」
ドラム王が片手に持っていたのは緑色の宝石のはまった円筒状の魔道具。その意匠は、出発前に歩行を補助すると言っていたものと似通っていた。
「町を出る前は歩行の補助って言ってたものですよね?」
「よく分かったな。こいつは体に巻き付けるとそいつの姿を老けさせる。軽い認識阻害と一緒にな。その代わりその部位だけが年相応になっちまう。これで足を引きずった元冒険者の老人が出来上がりってわけだ」
なるほど。下手に演技する必要がないから、隠密には丁度いいのか。というか、足が使えない状態であんなにひょいひょいとここまで歩いていたとは思わない。
「順番が逆になっちまったが、なんでこの護衛をお前らに頼んだのかってのはだな……」
『またやったのかお前は』
背後から感じる威圧感。しかし、その声からは心底呆れたような空気が感じられた。
「おう、今回は出てこないのかと思ったぜ」
「ふおぉぉ……」
ユーシェの漏らす感嘆の声に思わず振り向くと、そこにいたのは大きな……それはそれは大きなニワトリ? のような生き物だった。そのニワトリがふかふかの羽毛でユーシェを包んでいるのだ。
『せっかく旧友が客人を連れてやってきたのだ。顔を出すのが筋だろう。それにここのところ、この森が騒がしかったのでな』
「……ど、どちらさまですか?」
警戒心の強いユーシェがここまで無防備に体を預けているのだから、害はないはず。しかし、いつからそこにいて、どうやってここに来たのか、全く見当もつかなかった。
俺の発した素朴な疑問に、呆れたような深いため息が吐き出される。あまりにも人間臭いその仕草には魔物にはない高い知性を感じられた。
『また、何も言わずに連れてきたのか。そういうのはサーシャたちで懲りろと言っただろう』
いたずらがバレた時の子供のような表情のドラム王を見て再度呆れながら、威厳溢れる大鳥は自己紹介をしてくれた。
『この国においてこの男は王などとと呼ばれているが、その実ただのやんちゃな中年でな。元相棒として謝罪させていただこう。私の名は、コーカトリス。長いのでトリスと呼んでくれ』
柔らかそうな羽毛に埋もれてだらしない顔になっていたユーシェはそれを聞いて、ようやく我に返ったように表情を戻した。めったに見られる表情ではないのでしばらく見ていたかったが、そんなことも言っていられない。
「トリスは魔物じゃないよね? もちろん、ただの動物でもないし。なんというか……そんな感じがする」
『ほう……! いいカンをしているな。ドラムが連れてきただけはある』
「もしかして、元人間とか……?」
俺と同じ予想を望海が恐る恐る口にする。しかし、それを聞いたドラムさんとトリスさんは黙って首を横に振った。
「いや、トリスは人間じゃない。もちろん、魔物ではないがな。お前たち、おとぎ話の中でたびたび語られる妖精や精霊といったものは知っているか?」
これまで過ごしてきた経験からいうと、俺たちにかかっていると思われる翻訳魔法は、固有の単語はそのまま俺たちにも分かる形で翻訳してくれる。彼の話しぶりからして俺たちの知っているものと語としては同じようだ。
「っと、悪かったなユーシェ。お前にはちょっと分からなかったか」
『もしやとは思ったが、その子も訳アリか。よければ自己紹介をしてくれないか』
「そういや、名乗ったのはお前だけか。俺の名は……」
『お前じゃない。何度そのボケにツッコミを入れさせるつもりだ』
旧知の仲らしい気安さがその会話からは感じられた。ともあれ、相手にだけ名乗らせるのも申し訳なかったので、ここぞとばかりに俺たち三人は順番に自己紹介をした。
『なんともまあ、愉快な経歴がそろったものだ……いやすまない、この愉快というのはお前たちを愚弄する意図はなくてだな』
自身の言葉が失言だと思ったのか、しおしおと翼を丸めるトリスさんを見るとこっちまで申し訳なくなってしまう。というか、言われてみれば記憶喪失二人に魔物との混血児の三人パーティーなんて、興味がわかない方が稀だ。
「全然気にしていないので、大丈夫です。それより、さっきの続きですけど」
「そうだった、精霊や妖精ってのはこの世界に生きる不思議生物の一種でな。魔物よりも知能が高く、莫大な魔力を持っている。ここにいるトリスも、とある遺構で出会った精霊であり、俺の魔法の師匠でもある」
「遺構って本当に不思議な場所ね」
神妙な顔をした望海の言葉に俺たちも一斉に頷く。
「この世界を作った神が生み出したともいわれるくらいだからな。こいつ自身もいつからそこにいたのか分からなかったらしいぜ」
『とまあ、そんな訳の分からない場所に置いていかれるのはごめんだったのでな。私はこいつについていくことにしたんだ』
トリスさんは遠くを眺めるような表情を作る。人の顔ではないが、その表情は笑っているようだった。
『駆け出しのころのこいつは、それはもう破天荒という言葉が良く似合う人間だった。突飛な思い付きで死にかけた回数も十や二十ではないだろうな。それがいまや一国の王とは、運命はつくづく分からないものだ』
過去を懐かしむ口ぶりで、彼らの冒険が語られる。それはまさに生ける伝説、現在進行形で紡がれる英雄譚だった。しかしそれ故に気になることがあった。
どうして二人は今も一緒にいないのだろうか。
「お二人は、また一緒に冒険したいとは思わないんですか」
自己紹介から初めて気まずい沈黙が空間を支配した。不用意な言動を瞬間的に後悔してしまう。
「そうさなあ……さっきも言ったが俺には立場ってもんができちまった。それに……」
言葉の代わりにドラムさんは上着のすそをまくり上げた。それを見た俺たちは息をのむ。
そこには、大怪我の痕と思しき引きつった肌があったのだ。
「約十年前の大厄災で、一度だけドルボォスの森の瘴気域の主に挑んだことがあんだ」
ドルボォスの森の瘴気域の主といえば未だ討伐どころか、発見すらされていない幻のような存在だ。瘴気域の規模からして、炎華の獅子が浄化したという歪みの岬や俺たちが浄化したトラントの渓谷の主とは比較にならない強さだというのは想像に難くない。
「直接主と戦ったお前らなら知っていると思うが、奴らは詩片を操る。しかも、強力無比な特別なやつだ」
「奴が詩片を使った瞬間、その姿は真っ赤な外套のようなものに包まれたように見えた。だが、分かるのはそこまでだ。急加速して攻撃を仕掛けてきた奴によってあっという間に腹に大穴開けられちまったのさ」
そう言ってドラムさんは傷のせいで歪な凹凸のある腹部を撫でる。真っ赤な外套……全く見当もつかないが、火の系統なのだろうか。
「間一髪、トリスが助けてくれなきゃ俺はもうここにはいないだろうな。俺たちは瘴気に蝕まれてもいたからな。這う這うの体で何とか脱出したが、俺は冒険に出られない体になっちまった」
『さらにいえば、私も無事ではない。お前たち人間の尺度で言うならば一度死んでしまったくらいだからな』
「死んだ……!?」
望海とユーシェは口元を押さえる。彼女の言うように正確には死という概念は違うのかもしれないが、素面で受け止められる告白ではない。しかし、俺の中には小さな気づきと納得があった。
そもそもの今回の依頼は墓参りだ。そして、あの立派な碑石。確かにトリスさんは死んだものとして扱われているのだろう。
『私の体はほとんどが魔力で出来ているのだが、そこが瘴気に汚染されてしまっていてな。あと少しで魔物に変ずるところをドラムの手で介錯してもらったのだ。そして、かつてより霊地として知られるこの山に埋葬してもらった』
「あんときゃ俺の方が死にそうな思いをしたってのに、この山の魔力を吸って生き返るってそんなのありかよ」
『それだけ私たちの悪運が強かったということだ。それに、生き返るのだって五年以上の月日を要したんだ。ありがたい奇跡として受け止めるしかないだろうさ』
「それって幽霊とは違うのかしら」
「ユーレイ?
だとすると精霊種というのは生き返りや転生が可能なのか。思っている以上に規格外の存在だ。
『ここから動けない私のもとに、ドラムが自分以外の人間を連れてきたのは二組目だ』
二組目? さっき名前が出ていたことから察するにサーシャさんたちが一組目?
「俺的に見どころのある冒険者を相棒に教えときたくてな。そういう奴にだけ依頼を出して護衛をさせるんだ。といっても、今までは炎華の獅子の連中しか連れてきたことはないがな。喜べお前ら、冒険王のお墨付きだぞ?」
いたずらっぽく笑うドラムさん。やはり一組目はサーシャさんたちで違いないらしい。
「といっても、私たちとしてはドラム王より、ラムドっておじいさんの印象が強くて、冒険王と言われてもイマイチピンとこないところがあるのよね」
まあ、それは確かに。すごい人が目の前にいて、そのすごさの片鱗を先ほど見せて貰ったが、それだけで呑兵衛のおじいさんの正体がこの国の王だという実感を持てという方が難しい。
「おう、言ったな? ならお前ら、今夜は眠れると思うなよ~これから、俺たちがしてきた冒険の数々を直で話して伝えるんだからな?」
そう言いながらも、そんな流れになると予想していたのだろう。どこからか用意していたマグカップを並べて、焦げ茶色の飲み物を注ぐ。
口を付けると、目が覚めるような苦みと香ばしさが口の中に広がる。その飲み味は元の世界のコーヒーによく似ていた。
彼らの冒険が臨場感あふれる語り口で語られる。ドラムさんが壮大な物語を語り、水を差さない程度にトリスさんが訂正を入れて流れを修正する。そんな息の合った語りは俺たちを夢中にさせた。気が付けばすっかり夜は更けていて、横になっていた俺たちは自然と眠りに落ちていた。
***
――明望の狼牙が出立して二日目、夜。
王都にある冒険者ギルドはにわかに騒がしくなっていた。
「サーシャ! 入るぞ!」
フーラはサーシャの自室の扉を叩き、彼女の返事を待った。ほどなくして内側から声が返ってくる。
サーシャはすでに屋敷を出る準備を整えていた。彼女もこの一報を受け取っていたのだ。それでもフーラは炎華の獅子の副官としての報連相を全うする。
「ついさっき、冒険者ギルドからの通達があった。
――ドルボォスの森の主が見つかったと」
異世界は元幼馴染と二人で 泳ぐ人 @swimmerhikari
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