番外編 安寧の地での従者たち1
ミティアスがキライトをともなってエンカの城に入ってから半月あまりが経った。初日に心の赴くままに交わった二人は、その後も時間があれば寄り添い、毎日城内を散策したりと仲睦まじく過ごしている。
そんな
(まだ何か心配事があるのだろうか)
エンカへ到着した日から、ダンは何やら慌ただしく書状を見聞し指示を出している。ミティアスと何事か相談していることもあるが、それよりも何人もの騎士や使用人らと忙しなく会っている時間のほうが長い。
一方、表向き正妃の侍従となったシュウクには
そうして持て余すようになった時間にシュウクが思い浮かべるのはダンのことばかりだった。自分はこんなにも色恋に溺れるような人間だったのかと少しばかり衝撃を受ける。
(到着してから何もないせいだ)
甘い雰囲気を期待していたものの二人きりになることはほとんどない。そうなると当然触れ合う回数も少なくなる。ようやく身も心も結ばれるに違いないと期待していたぶん、シュウクはどうしようもなく落胆した。
そうした気持ちが強くなるのはこうして寝る前の時間で、ベッドに腰掛けると一層寂しさが募る。
(これもそのときのためと思って用意したのに)
すっかり見慣れた道具を手にし、ハァと小さなため息をつく。
エンカに移り住むと聞いてから、シュウクは密かにある準備をしてきた。本当は
行き場を失った道具なら代わりに自分が使ってもいいだろう。そう思い密かに使っていた張り型だったが、使ったところで愛しい人がこの体に触れることはない。毎日「今夜こそは」と期待していたが、期待する分だけ寂しくなった。「もう処分しよう」と思いながらベッドの脇に置き、寝室の窓から見えるダンの部屋の明かりを見る。
(今夜も忙しそうだな)
(邪魔をしてはいけない。それにわたしはキライト殿下の侍従なのだから、務めを第一に考えなくては)
“
ベッドに入り静かに目を閉じる。しばらくするとうつらうつらと眠気がやって来た。そのまま半分夢を見ているような感覚になっていたシュウクの耳に何かが聞こえてくる。
トントン。トン、トントン。
(……殿下!)
扉を叩く音にハッと目が覚めた。
トントン。
それでも鳴り続ける音にシュウクは首を傾げた。見れば窓の外はまだ真っ暗で夜中だということがわかる。そんな時間に自分を起こす人物は、この城にはいないはずだ。
「シュウク」
「え?」
自分の名を呼ぶ遠慮がちな声がダンのものだと気づいて驚いた。慌ててベッド脇の
(あ、)
その手が一瞬止まったのは、寝る前に置きっぱなしにしていた張り型が目に入ったからだ。慌てて上着を載せて隠し、どこかへ仕舞わねばと思ったところで「やはり寝ているか」という声が聞こえてくる。
このままではダンが去ってしまうと思ったシュウクは、張り型に上着を掛けただけで急いで扉を開けた。上着も身につけず寝衣のまま人前に出るのは不作法だが、何かあったのかもしれないと思えばそんなことも言ってられない。
「あぁ、やっぱり寝ていたか。起こしてしまってすまない」
「いえ、それはいいのです。あの、何かあったのですか?」
こんな夜更けにダンが寝室まで来るということは何かあったに違いない。シュウクに与えられた従者用の部屋には小さいながら居間がある。そこを通り抜けて寝室までやって来たのだから、よほどのことだろう。
そう考えたシュウクが神妙な顔でダンを見ると、どうしてかダンがわずかに視線を逸らした。
「あの……?」
珍しい反応に戸惑っていると、再びダンの碧眼がシュウクに向けられる。一体どうしたのだろうと、なおも窺うように見つめればダンの腕にふわりと抱きしめられた。
(え……?)
驚き固まるシュウクの耳にダンの低い声が響く。
「ようやく目途がついた。そう思ったら、つい足が向いてしまった」
目途がついたということは、エンカに来てから続いていた仕事が一段落したということだろうか。それは喜ばしい限りだが、こんな夜更けにわざわざ寝室までそんなことを言いに来たとは思えない。
疑問に思ったシュウクが「ダン殿?」と名を呼ぶと、ゆっくりと腕から解放された。
「この歳になって、まだこんな青臭いことをしてしまうとはな」
「何かあったのですか?」
「いろいろするはずだったんだが、あれこれ手一杯になったせいで何もできなかった」
「?」
やはりよくわからず、逞しい胸に手を添えた状態でダンを見上げる。すると、碧眼が笑うようにフッと細くなった。
「いい加減、幸せそうな
「あの……?」
「今夜こそ恋人と同じベッドで寝たいと思っているんだが、招き入れてもらえるだろうか」
ダンの言葉に、シュウクの紺碧の目がパッと見開かれる。返事をするために開いた唇は、しかし何も告げることなく閉じられた。しばらく見つめ合ったあとシュウクの口角がきゅうっと上がり、淡い紅色をした唇が三日月の形へと変わる。
「待ちくたびれそうでした」
麗しき侍従の言葉に少しばかり眉尻を下げた側近は、身をかがめ、赤みの増した頬に許しを乞うキスをした。
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