番外編 安寧の地での従者たち2

 エンカ城に到着してから二月ふたつき後、ミティアスは無事にエンカ領主となった。ミティアスの正妃として正式に認められたメイリヤ姫とは相変わらず仲睦まじく過ごしている。

 エンカに到着した当初から何かと忙しくしていたダンは、最近では護衛よりも側近としての役割が中心になりつつあった。ミティアスと共に事務仕事をこなすことが増え、そんなダンの傍らにはシュウクが寄り添い同じく事務作業に励んでいる。

 勤勉な二人の姿はミティアスが執務室にいないときも見られるようになった。いまも二人で山積みになった書状の仕分け作業をしているところだ。


「南のほうからの報告書では、今年は麦が豊作のようですよ」


 何通かの報告書を手に、シュウクが長机の端に置かれた箱へと移動する。


「あぁ、種の種類を変えたからだろう。土壌改良も進んでいるし、来年以降はさらに豊作になるだろうな」


 同じように立ったまま書状を確認していたダンが、手にしていたうちの二通をシュウクに渡した。受け取ったシュウクはさっと文面を確認し、一通を先ほどと同じ箱に、もう一通を別の箱に入れる。


「東の貯水池の工事も順調とのことです」

「西の下水工事はどうだ?」

「いまのところ大きな問題は起きていないようですから、ほぼ計画どおりでしょう。工費もおおよそ計算していたとおりの数字が上がってきています」


 ダンが新たに手にした書状の束の半分を受け取ったシュウクは、何通かの中面を確認して中央の箱に入れた。

 エンカ各地から届く報告書や書状には、進められている工事や政策が順調であるという報告とともに、領主となったミティアスへのお礼の言葉がしたためられていた。中には税の軽減や設備の老朽化などを訴える訴状も含まれているが、それらをすべて確認するのがダンとシュウクの仕事の一つだ。ミティアスの指示を仰ぐものは一つにまとめ、そうでないものは内容ごとにわけて役人たちで処理をする。


「先代ご領主からも随分と感謝されているようですね」


 シュウクの言葉にダンがニヤリと笑う。


「そうだろうな」

「随分と自信たっぷりですね」

「ミティアス殿下の能力を発揮できる場所がようやく見つかったということだ」


 ダンの言葉に、シュウクはなるほどと思った。


(王都で末子が活躍できる場はないのだろう)


 そもそもミティアスには王族として上に立とうという気持ちがなかったように見受けられた。これぞまさに大国の放蕩王子という様子だったなと、出会った頃のミティアスを思い出す。

 しかしエンカの地ではそうはいかない。ミティアスは領主であり国王の末子という肩書きもついて回る。なによりキライトのために安全な領地作りをする必要があった。望む環境を手に入れるためには、領地を豊かにし安心できる場所にしなければならない。

 ミティアスは、正式な領主になる前からエンカ各地の状況を領主であった大叔母に確認していた。地図を広げ、耕作地の状況や街の状況を確認してはダンに指示を出すこともあった。そういう成果が少しずつ現れているということなのだろう。


「殿下には才能がおありになった。だが、お二人の優秀な兄君がいては発揮する場はない。それに加えて面倒なことを避ける性格で、厳しい道より楽しいことを選ぶ方だった。小さい頃から苦労せずに何でも手に入れてきたことが原因なのだろう」

主人あるじに対して辛辣ですね」

「俺は兄みたいなものだからな。殿下が生まれたときから拝見しているが、いつからか努力や真剣に考えることを放棄しているように感じられた。あまりにももったいないとずっと思ってきた。それに本人のためにもならない。遊び呆けるだけの生活に、かつては苦言を呈したりもしていたんだがな」

「ミティアス殿下は耳を貸されなかったのですか?」


 シュウクの言葉にダンがひょいと片眉を上げる。


「一時は聞くが、すぐに元に戻る。本人が変わろうと思わなければ意味がないということだ」


 ダンの表情に、シュウクは彼もまた主人あるじのことで苦労してきたのだと察した。


「しかし、エンカに行くと決めてからは人が変わられた。すべては愛するキライト殿下のためなんだろうが、あれが本来の殿下のお姿なのだろう」

「もしや、国王陛下はそういった部分も見越したうえでエンカ行きをお認めになられたということでしょうか」

「さぁ、どうだろうな。陛下のお考えは誰にもわからん。昔からそういう御方だったと、王太子時代から仕える両親も話していた」


 なるほどと頷きながら、シュウクは「まるでミティアス殿下のようでは?」と思った。

 考えていることがまったくわからない、というほどではないが、ミティアスも腹の奥は決して覗かせようとしない。初恋だったからか主人あるじへの思いは手に取るようにわかったものの、それ以外のことを汲み取ることはシュウクにはできなかった。

 それは大国の王子ゆえの警戒心からかと思っていたが、父王から受け継いだ気質かもしれないということだ。


(アンダリアズ国王は優れた施政者だと言われている。同時に兵を使うことなく戦に勝つ御仁だとも)


 実際、現国王が即位してから隣国二つが和平協定を結んだ。表向きは和平と言われているが、タータイヤでは呑み込まれたと言われている。そのため二国の関係をこのままにしておいていいのか、貴族たちの間では答えの出ない難題になっていた。

 そうした現国王とミティアスが似ているとしたら……。そう考えると、思っていたよりも大変な御方に主人あるじを託したのかもしれないとシュウクは背筋を震わせた。


「大丈夫だ。国境沿いには俺が選んだ騎士たちを潜り込ませているから、タータイヤで何かが起きてもいち早く知らせが届く。先だってタータイヤ王宮内で揉め事が起きたらしいが、国を揺るがすほどのことにはならないだろう。王都も静観を決めたようだ。心配するな、キライト殿下もおまえも二度とあんなところには返さない」

「……ダン殿」


 わずかに曇った表情を、ダンはタータイヤ王国への恐れと考えたのだろう。シュウクの背中をダンの力強い腕が支えるように触れる。


「エンカに入り込んでいたトカゲたちも全部追い出したことだし、ミティアス殿下が領主である間は何事も起きないだろうよ」

「トカゲ?」

「小うるさい輩のことだ」


 トカゲのことはよくわからなかったが、ダンが寝る間も惜しんで忙しくしていたのは領地を掌握するためだったのだろう。「わたしもとんでもない方と結ばれたのかもしれない」とシュウクは思った。


「とにかく、これからは領主の側近として忙しくなるな」

「わたしもお手伝いします」

「頼む。シュウクが数字に強いことには驚いたが、おかげで助かっている」

「小さい頃から手慰みに学んでいただけですが」


 数字と向き合う時間だけがシュウクにとって心休まるときだった。計算には答えが一つしかなく、あれこれ迷わなくていいところが好ましい。無心で計算している間は大人たちの下卑た顔を思い出さずに済むのもよかった。

 そんなことで学んでいた知識がいま別の国で役立っていることに、シュウクは不思議な縁を感じていた。


「俺は、ミティアス殿下の施政者としての顔を見たいとずっと思ってきた。そういう日がやって来ることを願っていた。そのためなら何でもやろうと、どこまででも殿下に付き従おうと思ってもいた。それが叶った現状に満足している。それに、美しく有能な恋人もできたしな」


 そう言ったダンの顔がスッと近づき、驚いて目を見張るシュウクの唇を奪った。ただ触れるだけの口づけだというのに、シュウクの体に小さな熱が生まれる。


「……仕事中に、こういうことはしないでくださいと言ったでしょう」

「嫌だったか?」

「そういう問題ではありません」


 濃紺の瞳が、男臭くも爽やかな笑みを浮かべる側近をじっと見上げる。しばらく見つ合っていた二人だったが、先に動いたのはシュウクだった。逞しいダンの両肩に手を載せ、つま先立ちになりながら耳元に唇を寄せる。


「今夜は覚悟しておいてくださいね。身動きできなくしたあなたを、わたしが可愛がって差し上げます」


 シュウクの挑発的な言葉に困ったように眉尻を下げたダンだったが、口元には楽しそうな笑みが浮かんでいた。

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