第146話 捨てる神あれば

■仙台市郊外 WKプロレスリング道場(建設中)


 トンテンカンとトンカチの音色が高らかに響く青空の下、テーブルを囲む三人の男女がいた。

 葉を大きく広げたヤシに似た植物が木陰を作っているが、三人の顔は汗まみれだ。ちなみに、このヤシは<アイナルアラロ>の固有種である<パラソルパーム>と言う。植えればたった一晩で大きなビーチパラソルのように育つ迷宮産物だ。


「はい、はい。ええ、わかりました。いやいや、ありがとうございます。では失礼します。……くっそ、こっちもダメだ。他にめぼしいとこは……」


 通話を終えると、またすぐさま別に電話をかける大男はクロガネだ。

 心当たりのある会場候補に朝から電話をかけ続けているのである。


「ううー……公園も河川敷もぜんぶダメ! 学校の体育館も校庭もダメ! 何か他にいけそうなところは……」


 スマートフォンであれこれと検索しながらうめいている亜麻色の髪の少女はソラ。

 クロガネとは別路線で試合会場を探しているのだが、どこも避難所となっていて設営ができるような場所がない。


「ええ、はい。なるほど……そちらも大変ですよね……。いえいえ、こちらこそこんなときに申し訳ありません。引き続きよろしくお願いします」


 ヘッドセットで通話をしながら、ノートパソコンのキーボードを猛然と叩いている眼鏡の女はアカリだ。

 774プロの頃のコネを総動員してどこかにねじ込めないか当たっているところだ。通話しながら十を超えるチャットウィンドウで同時に各所へ相談している。


「あまり根を詰めると干からびてしまうでござるよ」


 子豚に似た頭の小人――オクがココナツに藁のストローを差して持ってきた。


「おっと、すまねえな。助かるぜ」

「会場は<アイナルアラロ>ではダメなのでござるか?」

「あー……それはちょっとなあ……」


 受け取ったココナツジュースを飲みながら、クロガネが苦い顔をする。

<カマプアア>からも、場所に困っているなら<アイナルアラロ>を貸そうかという申し出があったのだ。しかし、それは複数の面から避けたい事情があった。


 まず第一にアクセスが悪すぎる。

 WKプロレスリングの道場は仙台市内とは言え辺鄙なところにあり、仙台駅から公共機関を乗り継いで30分以上がかかるのだ。そこからさらに何十分も狭い通路を降らなければならない。


 第二に観客に危険がある。

 モンスターが出現しないことはわかっているが、<アイナルアラロ>に続く道は狭く細い下り坂だ。そこに何百人も押しかけて、将棋倒しでも起きたら取り返しのつかない大事故になるだろう。


 そして最後に、<アイナルアラロ>へ不特定多数を招き入れること自体への懸念があった。

 ピギーヘッドはほんの少し前までは雑魚モンスターとして狩られていた存在なのだ。また、<アイナルアラロ>には一般に流通していない迷宮産物も多く、外に持ち出せば高値がつくものもあるだろう。観客の中によからぬ考えを持つ者が紛れないと考えるのは楽観的すぎる。


 だが、最後の理由はオクにも<カマプアア>にも話していない。

 言えばそんな遠慮をするなと返ってくるのが目に見えているからだ。


「こうなると、返金の準備も進めるべきかもしれませんね……」

「そうだな……」


 アカリの言葉に、クロガネは乱暴に頭をかいた。


 興行の中止経験などないWKプロレスリングにとって、返金対応は未知の領域だ。アカリでさえ経験したことがない。返金する金額だけが問題なのではない。本当に大変なのはオペレーションだ。返金先の口座を確認しなければならないし、なかなか連絡してこない購入者もいるだろう。その分は負債として記帳しておく必要もある。そんな会計的な処理も生じるし、現時点では気がついていない問題もあると容易に予想がつく。


「くそっ、頭が痛えな」


 リングの上の闘いならば得意だが、この手の闘いは得意ではない。思わず天を仰いでため息をつく。


 と、そのとき、テーブルに置いていたスマートフォンが震えた。

 表示されたのは懐かしい名前だ。クロガネはすぐにスマートフォンを手に取る。


『やっほー。クロやんおひさー』

「おおっ、シマさん、おひさしぶりっす」


 電話の主はかつて超日三羽ガラスの長兄と呼ばれた男、イリュージョニスト島崎だった。

 ビデオ通話で、島崎の背景には超日のリングが映っていた。幾人かの選手たちの練習風景がピンボケで映り込んでいる。

 最後に会ったのは風祭鷹志初代スカイランナーの七回忌だから、じつに三年ぶりだ。ひさびさに聞いた声に、張り詰めていたクロガネの表情が少し和らぐ。


『ご無沙汰しちゃってごめんね。こっちも忙しくってさあ。ホント、副社長なんて引き受けるもんじゃ……ってそれはいっか。仙台にさー、新しい箱が出来たらしいんだけど、クロやん何か知ってる?』

「新しい箱!? 何すかそれ!?」

『あ、ソラちゃんもいるんだ。おひさー。活躍見てるよー』


 島崎の言葉を聞いたソラが、通話に割り込んだ。


「えへへ、あたしも結構がんばって……じゃなかった! 新しい箱って何!?」

『あはは、食いつくねえ。ソラちゃんも知らなかったんだ』

「すみません、マネージャーの水鏡みかがみと申します。そのお話、詳しくお聞かせ願えませんか?」

『おっ、敏腕カメラマンの人! はじめましてー。えっとねえ、仙台駅前ダンジョンの公式HP見てみてよ』


 アカリの指が猛スピードでキーボードを叩き、全員に見えるようノートパソコンの向きを変える。

 ディスプレイには『レンタルスペースを開始しました』というお知らせの文字が躍っている。


『見たー? 数字だけ見ると結構でっかい箱なんだけど、下見に行くのも大変でさー。クロやんが何か知ってたら――』

「おいおい、これって……」


 クロガネの太い指がぎこちなくマウスを操り、詳細を確認する。

 総客席数1,403席。最大収容人数2,005人。中央にはリングまで備えられている。


「クロさん! ここすぐ予約っ!」

「申込みは済ませておきました」

「マジかっ!?」

「アカリさんすごい!!」


 アカリは画面を見せるまでの一瞬で入力フォームをすべて埋め、送信を終えていたのだ。あまりの早業に、ソラやクロガネの目を持ってしてもまったくわからなかったほどだ。


『あら、下見もなしに予約したんだ。クロやんは思い切りがいいねえ』

「だってシマさん、これじゃまるっきり……」


 客席数、最大収容人数などのスペック。そして掲載された写真。

 どこからどう見ても、プロレスの聖地、後楽園ホールそのものだったのだ。


『こっちもクロやんの思い切りに乗っからせてもらおうかなあ。それだけ大きい箱なんだから、コンテンツ足りないでしょ?』

「それはまあ……」


 もともと、2時間程度を予定していた興行だ。

 しかし、真央区ホールとこの会場では5倍以上も収容人数が異なる。

 これだけの規模になるのなら、4時間くらいは盛り込みたいところだ。


『それでね、うちも今回の災害の慰問興行をやろうって話になって……っていうか、マスターが言い出したんだけど。箱を探してたんだよね。どうせなら、共催ってことでエキシビションやらない?』

「エキシビション?」

『うちの若手の顔見世をしたいんだよねー。あの子たちなんだけど』


 島崎が画面から消え、カメラが動く。

 そこに映し出されたのは、リング上で練習をする二人の男女。

 ひとりは灰色がかった白髪の巨人。

 もうひとりはアシンメトリーのウルフカットの女。

 クロガネとソラの唇が吊り上がり、猛獣のように牙を剥く。


『まだ練習は足りてないんだけど、試合を経験させてやりたくってねー。クロやんとソラちゃんに胸を貸してもらえないかなって思って』

「面白れえ。かわいがってやりますよ」

「いいじゃん! 道場の修理代はリングで回収させてもらうって伝えといて!」

『あら、知り合いだったの? んじゃー、まあ成立ってことで。細かい条件はあとでメールするねー』


 島崎からの通話が切れる。

 そしてまたすぐにスマートフォンが震えた。

 またしてもビデオ通話だ。


「よう、電話とは珍しいな」

『……うん。安綱、返ってきた』


 今度の相手は白銀メルだ。

 刀剣に関すること以外、口数の少ないこの銀髪の少女は普段メッセンジャーアプリでしか連絡してこない。


 メルは黙ったまま、<童子切安綱>の刀身をカメラに映している。

 時々ゆっくりと角度を変えるのは、クロガネたちに見せるためなのか、あるいは自分で眺めるためなのか。


『ちょっと、本題はそっちじゃないでしょ』

『……ごめん、カッシー。つい』

『あーもう。私が代わるわよ』


 安綱に夢中のメルが画面から消えると、次は坊主頭の痩せた男が現れた。

 ストライプの派手なスーツを身にまとい、女言葉で話すのはメルたち<五行娘娘ウーシンニャンニャン>のマネージャー、カシワギだった。


「お、トリガラじゃねえか。何の用だ?」

『誰がトリガラよ。せっかくゴリガネにいい話を持ってきてやったのに、やめちゃおうかしら』

『……やめる、ダメ。約束』

『わかってるわよ。ジョークよ、ジョーク。って、あんまりその刀を振り回すのやめなさい! 間違って怪我したらどうするの!』

『……つばでバランスを整える』

『あー、そういうので重心が変えると扱いやすくなるとか言ってたわね……って、そういう話じゃないの!』


 電話の向こうでカシワギとメルがしばし揉め、それからまたカシワギが画面に戻ってきた。


『あー、もう参っちゃうわね。メルにはそろそろセンターの自覚ってものを……。あっ、待たせたわね』

「まあ、こっちはかまわねえが」


 つい先程、最大の懸案が片付いたところなのだ。

 会場変更の案内などやらなければならないことは多いが、多少の雑談に付き合う程度の心の余裕はできている。


『噂で聞いたんだけど、今度そこそこでっかい興行打つんでしょ? そこそこおっきな箱借りて』

「は?」


 それはたったいま決まったことだ。

 なぜそれをカシワギが知っているのか。

 しかし、それを尋ねる前にメルが続けた。


『……コラボ、する。約束』


 それは<五行娘娘ウーシンニャンニャン>を窮地から助けたときにした約束だ。

 あのときは知名度に圧倒的な差があった。ただの社交辞令だとさえ思っていた。


『うちもね、このダンジョン災害でイベントがいくつかパーになっちゃったのよ。だから、あーたらの興行を手伝ってやろうってわけ』

「そんなこと言って、慰問活動で好感度を稼ごうって狙いですよね?」

『ったり前じゃないの。ビジネスはウィンウィン。それに禍福はあざなえる縄の如し。塞翁さいおうが馬ってね。ピンチはチャンスに変えるのがプロってものよ』

「カシワギさんは相変わらずですねえ」

『ミカアカには負けるわよ。あの災害中によく配信を続けられたわねえ』


 こうして、尺に足らないコンテンツはきっちり埋まった。

 プログラムはこのようになる。


■みちのく王座決定戦ファイナル

・オープニングイベント:DGN48五行娘娘ウーシンニャンニャン特別ライブ

前座試合アンダーカード:ピギーヘッドプロレス

・エキシビジョンマッチ:超日新人プロレスラー vs 魔界商店街軍(男女混合タッグ戦)

・メインイベント:マスクド・ササカマ vs ナマハゲ・ザ・ジャイアント


 告知次第、追加チケットが即完売したことは言うまでもないだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る