第141話 それはもうどうしようもなくプロレスで

 結果から話そう。

 戦いは、4時間にも及んだ。

 いまでも語り草になるアトラス猪之崎の巌流島決戦、それが2時間5分14秒であったと言えば、この凄まじさがわかるだろう。


 試合内容もまた、凄絶そのもの。


 殴り、殴り、殴り合った。

 蹴り、蹴り、蹴り合った。

 投げ、投げ、投げ合った。

 極め、極め、極め合った。


 ありとあらゆる技が交錯した。


 重爆撃機のような空中殺法。

 思わず目を奪われる華麗な投げ。

 目まぐるしく攻守の変わる寝技の応酬。

 そして、原始時代に戻ったようなド突き合い。


 それはもうどうしようもなくプロレスだった。

 意地と意地のぶつかり合いだった。

 闘志と闘志のぶつかり合いだった。

 狂気と狂喜、侠気と狂鬼のせめぎ合いだった。


 すべてのプロレスが、そこには詰まっていた。

 賢しらな者は言うかもしれない。


「酒呑童子ってのは素人だね。受け身すらろくにできてない」


 目が肥えた者は言うだろう。


「試合中にぐんぐん強くなっていた。結末はまるで読めなかった」


 古参のプロレスファンプオタは早口で語るだろう。


「十年前を思い出した。スカイランナーとアトラス猪之崎のあの試合だよ。知ってるだろ? いや、あんなに完成度は高くない。それはわかる。だけど、ベテランが若手を指導するような、それでもやっぱり本気っていうか。どこまでも真剣っていうか……。ああっ! 言葉にするほど陳腐になる! とにかくこれがプロレスなんだよ! これを見ればプロレスがわかるんだよ!!」


 熱狂する。

 狭く小さな道場がバラバラになりそうなほどに。

 熱狂する。

 日本中の回線が狂熱に浮かされ、灼き切れそうなほどに。

 熱狂する。

 世界中の視線が現在いまこの一点に集まり、炙られているかのように。


 だが、この狂宴も永遠ではない。

 最初に告げたように、4時間後、その戦いの結末は訪れる。

 試合には終わりがあるものだ。

 目覚め終わらなければ試合ではない。

 決着のときは、否が応でも訪れる。


 血まみれの男が立っている。

 全身を赤く腫らした男が立っている。

 それは筋肉をこねて固めて作ったような、羆に人の皮を被せたような、そんな男。


 血まみれの男が立っている。

 全身を紫に濡らした男が立っている。

 それは青白い炎をまとい、燃え尽きる寸前の輝きを放つ蝋燭のような、そんな男。


「テメェ……なかなかやるじゃねえか……」


 クロガネが、血濡れた顔の奥で白い歯を光らせる。


「クロガネ……貴様こそなかなかやる……」


 酒呑童子が、紫に濡れた顔の奥で白い牙を光らせる。


「降参するなら、いまのうちだぜ……!」

「フハッ! まだ冗談を言う気力があるか……!」


 歪む、歪む。

 二頭の凶獣の顔が狂喜に歪む。


 だが、お互いに知っている。

 自分相手が、すでに限界であることを。

 最後の一発、その余力しか残されていないことを。


 歩く、歩く。

 二頭の凶獣が歩み寄る。


 そして、リングの中央で邂逅する。


「歯ァ……食いしばれよ……!」

「貴様こそな……!」


 両者が右拳を引く。

 身体を後ろにひねる。

 背中が見えそうなほどに。

 筋肉と骨がぎちぎちと悲鳴を上げる。

 引きちぎれる寸前のゼンマイの撥条バネのように。


「行くぜッッ!!」

「応ッッ!!」


 溜め込まれた力が解放される。

 豪風が弾け、道場に満ちた熱気をかき回す。

 拳と拳がすれ違う。

 二本の太矢が交錯する。


 ――バリスタナックル・ダブルクロス相打ち


 音の壁を貫き、破裂音が響く。

 拳が突き刺さる。

 酒呑童子の右頬に。

 拳が突き刺さる。

 クロガネの右頬に。


 轟音。

 爆音。

 炸裂音。


 赤い血しぶきが、クロガネの顔から弾ける。

 紫の血しぶきが、酒呑童子の顔から弾ける。


 停止。

 静寂。

 無音。


 無音。

 無音。

 無音。


 クロガネの膝が、がくりと折れる。片膝を突く。

 会場のあちこちから、ヒッと小さな悲鳴が溢れる。


「フハッ! 愉しませてもらったぞ」


 クロガネを見下ろしながら、酒呑童子が笑う。

 端正だった顔つきが腫れ上がり、血まみれで、ぼろぼろで、いまや見る影もない。

 その顔で、晴れやかに笑う。


「これほどの愉快は、今生ではもうなかろうよ」


 酒呑童子の身体が、ぐらりと揺れた。

 切り倒された大樹のように、足元から、ゆっくり、ゆっくりと酒吞童子の身体がマットに倒れ伏した。


「嗚呼、愉快だった。愉快だったぞ……」


 天井を見ながら、酒呑童子がつぶやく。

 その身を包む蒼炎は消えかかり、目を凝らしてようやく見える程度。


「勝手に終わらせてんじゃねえぞ、こら……!」

「何……?」


 クロガネがのっそりと立ち上がり、酒吞童子を見下ろす。

 それを見て、酒呑童子はどこか寂しげな顔つきになる。


「フハッ! そうか……そうだな……それは勝手が過ぎる……。儂は夜を統べる鬼の王。貴様ら人間を戯れに殺してきた怨敵なのだからな……」


 鬼の最期は決まっている。

 の英雄によって討ち取られるのだ。

 それがかつて酒吞童子を封じた、陰陽師どもの言霊物語なのだ。


 酒呑童子は目をつむる。

 これ以上は望み過ぎだ。

 存分に戦い、敗れ、そして果てる。

 この勇士に討ち取られるのであれば、もはや心残りはない。


 頭を潰されるか。

 首をへし折られるか。

 はたまた民草になぶり殺させるか。


 いずれでもよかろう。

 覚悟など、とっくのとうに決まっているのだから。


 だが、覚悟した瞬間は訪れない。

 何か大きく、分厚く、重たく、熱いものが身体にのしかかる。


「ワァァァァアアアアーーーーーーーーーーン!!!!」


 それは少女の声。


「ツゥゥゥゥウウウウーーーーーーーーーーウ!!!!」


 イバラを討ち取ったであろう、女武者の声。


「スリィィィイイイーーーーー――――ーーイ!!!!」


 ゴングがかき鳴らされる。

 甲高い金属音が、大歓声と入り混じって不協和音を奏でる。

 怒涛のような歓声が、もはや力を失った酒呑童子の身体を熱く、熱く包む。


「勝手に終わらせてるんじゃねえぞ、馬鹿野郎。最後のレッスンだ。プロレスはな、スリーカウントで終わるんだ」


 ああ、それが貴様の、クロガネの物語アングルだったか。

 酒呑童子の唇がわずかに動き、そして、意識は暗黒に包まれた。


【試合結果】

 ○クロガネ・ザ・フォートレス ×酒吞童子

  試合時間:4時間12分29秒

  決まり手:バリスタナックル→フォール


 こうして、長い長い死闘の決着はついた。

 それは、もうどうしようもなく、プロレスだった。

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