第142話 最大の危機

■仙台駅前ダンジョン第10層(裏) <アイナルアラロ>


「ぬあー! くっそ疲れた!」

「お前ら、すぐボロボロになってくんな。なんかそーいう趣味でもあんのか?」

「あるかボケ。そういう仕事なんだよ」

「プロレスラーってのはマジでけったいだなあ」


 水着で温泉に浸かっている羆のような大男――クロガネが、トライバルタトゥーで覆われた浅黒い肌の男――<カマプアア>と軽口を交わしている。


「ふうー、でもホントこの温泉があって助かったね! どんな怪我でも一発で治っちゃうもん!」

「あちこちから骨が見えるような重症でしたからね……」


 亜麻色の髪を後ろでまとめたビキニの少女――ソラと、湯気にメガネを曇らせたワンピースタイプの水着の女――アカリもそんなことを話している。


 アカリの方は、ソラの傷の具合を思い出して顔をしかめていた。

 イバラとの決着後、ソラの応急手当をしたのはアカリだったのだ。

 すぐに病院に担ぎ込まなければならないような重症だったにも関わらず、クロガネの試合闘いを見守ると言って聞かなかったのだ。


 結果的に、夜明けまで続くあの死闘のレフェリーを最後まで勤め上げてみせた。

 クロガネとソラのタフネスぶりはよく知っていたつもりだったアカリだが、さすがにここまでとはと唖然とさせられるばかりだった。


「すまん。拙者が遅参していなければ手助けもできたろうに」

「ツナさんはあちこちで人助けしながら来てたんでしょ?」

「おう、地元を守ってくれたんだ。頭を下げてもらう道理なんてありゃしねえよ」


 長い黒髪を後ろでひとつに縛り、入浴着をきた中性的な美貌の女――渡辺綱が詫びようとするのを、クロガネとソラが止める。

 ソラの言う通り、<土蜘蛛>を退けたツナはクロガネたちの後を追いながら、モンスターに襲われる人々を助けていたのだ。おさかなプロレス道場にたどり着いたのは結局夜明け。クロガネと酒吞童子の決着がつく頃だった。


 ちなみに、なぜ道がわかったのかと言えば、ツナの<写し絵巻>がそのままこちらの世界のインターネットにも接続できたからだ。どういう仕組みになっているのかさっぱり想像もつかないが、元よりダンジョン自体からして何もわかっていないに等しいので気にしても今更仕方がない。


 技術者でも学者でもないクロガネたちにとっては、「わからないけど、便利だしいっか」くらいの感覚だ。

 アカリに関しては「探索系配信だったらこういうのの探求もいいネタになるんですけどね」と少々異なる反応だったが。


「そういえば、あの酒呑童子っていうのはどうなるんだろうね?」

「さあな。それも俺たちが考えたってしょうがねえだろうよ」


 クロガネに敗れ、気を失った酒呑童子がどうなったかといえば、やっと駆けつけてきた自衛隊の部隊によって拘束され、どこかに連れて行かれていった。

 一方クロガネたちは、病院に搬送しようという自衛隊の申し出を断り、<アイナルアラロ>に湯治に来ているという訳だった。なお、ササカマたちおさかなプロレスの一行は<アイナルアラロ>まで歩ける体力は残っていないということで、素直に救急搬送されている。


「それもそっか。あたしたちが気にしたってしょうがない……けど、生体実験とか解剖とかされてたらさすがに気分が悪いね」

「いくらなんでもそんな宇宙人みてえな扱いは……しねえよな? どうなんだ?」


 クロガネの問いに答えられる者はいない。

 政府関係者などいないのだから当然のことだ。


「へへへ、旦那方、お背中でもお流ししましょうかネ?」


 そこに、タオルを持った小さな何かが現れる。

 サメをデフォルメした頭部に二頭身の身体をつけた、マスコット人形のような生き物だった。


「ああン? なんだこりゃ?」

「<イソナデ>だよ。意外に根性のあるヤローで今日の今日まで何にも吐かなかったんだが、お前と酒吞童子の試合を見せたらこーよ」

「イソナデ? これがあのサメ男か?」


 クロガネの記憶している<イソナデ>は、屈強な人間の体にサメの頭と尾をつけた怪人だったはずだ。こんなマスコットキャラのようなかわいらしいものでは決してなかった。


「モンスターってのは魂の在り方の影響を受けやすいからな。心が折れちまったってとこだろーな」

「なんだかよくわからねえが……これならもう悪さのしようもねえか」

「へへへ、旦那ァ、悪さなんて致しませんヨ。これからのボスはクロガネさんと心に決めたんですからネ」

「てめえを雇ったおぼえはねえよ」


 かつて激闘を繰り広げた相手が、マスコット人形のようになってしまったことにクロガネの心境は複雑だ。別に改めて試合をしたい相手ではないが、悪役ヒールなら悪役ヒールなりの矜持を保ってほしいという気持ちはある。


「ほう、師匠の弟子になるでござるか。ならばお主はそれがしの弟弟子だな! よし、それがしの背中を流すことを許可してやるでござる! それが終わったらおじいちゃんおばあちゃんたちの背中も流すでござる!」

「へい! オクのあにさん、承知しましタ!」


 言われてみれば、オクの体つきも心なしかたくましくなっている気がする。

「魂の在り方」なるものが一体何なのかクロガネにはわからないが、要は気合や根性のことだろうと一人で納得した。サメ男は腑抜けたからぬいぐるみのようになり、オクは肚が据わったから体つきも変わったのだろう。


 なお、<アイナルアラロ>の温泉場にはいくつもの湯船……というか、湯溜まりがある。岩礁に自然に生じた窪みを湯船として使っているのだ。クロガネたちから少し離れたところでは、入浴着の老人たちが朝湯を楽しんでいる。オクが避難誘導してきたクロガネの道場の近隣住民たちだ。


 子豚のキャラクターのようなオクと、ゆるキャラめいた何かに変わった<イソナデ>は老人たちに人気らしい。「かわいいねえかわいいねえ」などと言われながら、頭を撫でられている。あの分だと駄菓子なども大量にもらっていることだろう。


「それでこれからのスケジュールですが、どうしましょう?」

「これから? 何の話だ?」


 アカリの質問に、クロガネは首を傾げる。

 あまりにも濃密な死闘を繰り広げた直後で、思考が色々と追いつていなかった。

 そこに、ソラが頓狂な声を上げる。


「あー! みちのく王座決定戦の最終戦! もう来週じゃん!!」

「げえっ!? マジか!? まだ何にも準備してなかったぞ!?」


 クロガネにとって、この数週間の出来事はあまりにも目まぐるしすぎた。

 ダンジョンにデビューし、興行のチケットが好調に売れはじめ、若手アイドルとの浮名が流されマスコミが押しかけ、道場は倒壊し、しかし1億円相当の融資枠を手に入れ……まあ、これだけのことがあったのだ。クロガネを責めるのもお門違いだろう。しっかりもののソラでさえ、みちのく王座決定戦のことはすっかり頭から抜け落ちていたのだ。


「ええっと、関係各所への連絡や調整などは私の方でやっていたので大丈夫です」

「おおっ! それはありがてえ! いやホント、なんでこんな大事なことを忘れちまってたんだよ……」

「ただ……」

「ただ?」


 何かを言いかけるアカリの言葉に、頭を掻きむしるクロガネの手が止まる。


「会場に予定していた真央区ホールなんですけど、今回のダンジョン災害で使えなくなっちゃったみたいでして……」

「なっ!? 会場が使えないのか!?」


 アカリの説明によると、今回の災害では住宅もいくつも破壊されており、大型の施設は軒並み避難者の受け入れ先となっているらしい。自治体や政府からの正式な発表はまだないが、仮設住宅の準備が完了するまではこの状況は続くだろうというのがアカリの見立てだ。来週の試合に間に合う大きな箱はとても見つかりそうにない。


「やべえ……どうすりゃいいんだ……」

「せっかくチケットも完売したのに……これじゃ返金が……」


 WKプロレスリング立ち上げ以来最大の危機に、クロガネとソラは揃って頭を抱えた。

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