第136話 VS酒吞童子 

■おさかなプロレス道場内


 轟音。

 ササカマが放ったバリスタナックルを超える轟音が響き渡った。

 道場のガラスがビリビリと震え、天井からはパラパラと埃が落ちる。


 音の源は裏拳。

 クロガネの巨拳が酒呑童子の顔面に衝突したその地点。


 常人であれば首から上が失くなるような破壊力。

 しかし、酒呑童子はわずかに揺らいだだけだ。

 片足を半歩だけ退け、クロガネの豪腕を受け止めていた。


「ふむ、痛いな。この感覚も実にひさしぶりだ」

「余裕ぶっこいてんじゃねえぞコラァッ!」


 クロガネの追撃。

 踏みつけるようなケンカキックが酒呑童子の腹に炸裂する。

 酒呑童子の身体がリング中央からコーナーまで後退する。


「むう、何だ、いまのは?」


 酒呑童子は不思議そうに腹を撫でている。

 ふっ飛ばされはしたが、痛みはなかった。

 クロガネの放った蹴りは、破壊を目的としたものではない。

 相手を派手にふっ飛ばす、プロレスの魅せる蹶り・・・・・だったのだ。

 それは殺し合いに明け暮れてきた酒吞童子が知らない異質な一撃だった。


「ササ、動けるか? セコンドについてくれたら助かるんだが」

「ぜんぜん……余裕っすよ。伊達に看板背負ってないんで」


 息も絶え絶えにも関わらず、笑ってみせるササカマに、クロガネはにい・・と笑い返す。


「おう、さすがだな。それでこそ仙台のエースだ。ああ、そういやカメラマンと別行動になっちまってな。ついでに撮影も頼めるか?」

「まったく、クロさんは人使いが荒いっすねえ」


 ササカマは苦笑いをして、クロガネが差し出したスマートフォンを受け取りリング外に降りる。


「よお、待たせたな。てめえ、さっきプロレスがどうとか言ってたよな? このクロガネ・ザ・フォートレスが直々に教えてやる」


 クロガネが人差し指を酒吞童子に向ける。

 ピストルのようなその形はシュートサインと呼ばれるものだ。

 真剣勝負を告げるクロガネの行動に、避難者たちがざわめく。


「ほう、人間が儂に物を教えるか。面白い、付き合ってやろう」


 酒吞童子にその仕草の意味はわからない。

 しかし、指先から発せられる肌を焼くような殺気は本物だ。

 酒呑童子の形のよい唇が持ち上がり、白く尖った牙がぎらりと光る。


「そうだ、どチンピラ。てめえの名前を聞いてなかったな。試合のあとじゃ口も聞けねえだろうから、元気なうちに聞いておいてやるよ」

「おお、名乗るのを忘れておったな。儂は酒吞童子だ」

「おう、シュテンドージ。間抜けなツラにお似合いな名前だな。ま、テメェの顔を見るのは最初で最後だろうが、一応は覚えておいてやるよ。あー……なんとかドージさんよ」


 クロガネの罵倒芸トラッシュトークに、会場からそこかしこから笑い声が洩れる。

 ササカマも「はは、役者が違うや」と笑った。絶望に堕ちかけていた避難者ファンたちの顔に、早くも希望の光が戻ってきている。


「1分だ!」


 クロガネは、シュートサインを天に向かって突き上げた。

 秒殺宣言に、会場がわっと沸き立つ。歓声と熱気が狭い道場に満ちる。

 そこはもはや練習用の道場ではない。満員の試合会場へと変貌していた。


「つーわけで、レッスン開始だ。ほら、来な」


 カーンという金属音が響き渡る。

 ササカマがゴングを鳴らしたのだ。


 クロガネは羆のように太い両腕を前に掲げ、リング中央に立つ。


「ほう、この儂と力比べか。よかろう」


 意図を察した酒呑童子が、その両手を正面から握り合わせる。

 握り合わされた4つの拳が圧縮され、肉と骨がぎちぎちと軋む。


 体格はクロガネが勝っている。

 クロガネは、太く、分厚く、重い。

 羆が人の皮を被って歩いているような男だ。


 対する酒吞童子は、上背ではほぼ変わらないものの細身だ。

 しかし、それはあくまでクロガネと比べた場合のこと。

 体重は90kg~100kgの間といったところだろう。 

 MMA選手のようなバランスの取れた体つきをしている。


 体重差は30kg以上。

 普通なら酒呑童子があっという間に捻り潰されておしまいだ。

 しかし、その手四つが拮抗している。

 両者の顔面に汗がびっしりと浮き、ぽたぽたと滴りはじめる。


 人に似た姿をしてもやはり鬼。

 体内を巡るは妖力を含んだ紫の血。

 単純に見た目通りの馬力ではない。


「思ったよりやるではないか、人間!」


 酒呑童子の端正な顔が喜悦に歪む。

 双眸はぎらぎらと輝き、異様な光を放っている。


「へっ、そりゃどうも。じゃ、こっからプロレス講座だッッ!!」

「!?」


 拮抗していたはずの力が、ふっと消え失せる。

 酒呑童子の身体が泳ぐ。

 そして真横に向かって自分から駆けていた。

 リングロープが狩衣越しに食い込む。

 そしてその反動で、リング中央のクロガネに向かってまた駆ける。


「だあっしゃあッッ!!」


 巨体が飛ぶ。

 巨大な靴裏が二つ並んで迫る。

 酒呑童子の顔面を衝撃が襲う。

 細身の身体が宙に浮き、後頭部からマットに叩きつけられる。


「おいおい、受け身も取れねえのか? オクでも最低限は初日で覚えたぜ」

「ぬうっ!?」


 酒呑童子は咄嗟に横に転がった。

 先程まで頭のあった位置に、クロガネの脚が突き刺さっている。

 マットを転がる酒吞童子を、削岩機のような踏みつけストンピングが追いかける。

 酒吞童子は右に左に転げ回り、猫の如きしなやかさで飛び跳ね、コーナーポストに立った。


「フハッ! 面白いぞ人間! 今の技、千年前の勇士を思い出したぞ!」


 酒呑童子は笑いながら狩衣の上着を脱ぎ捨てる。

 猫科の大型猛獣を思わせる、細く引き締まった筋肉で覆われた上半身があらわになった。その身体には傷ひとつなく、一級の白磁のように滑らかだ。


「あいにく、千年前にゃ知り合いはいねえな」


 クロガネは全身に力を込める。

 上半身が膨れ上がり、Tシャツが弾け跳び、筋肉をこねてかためた肉体があらわになる。その身体は古傷だらけで、荒波に長年さらされた岩塊を連想させた。


「千年前と言えば、頼光よりみつの配下にはこういう技を使う者もいたな」


 酒呑童子はリングに降りると、蹲踞の姿勢を取った。

 そして、前傾になり両手をマットに触れる寸前まで下げる。


「なんだそりゃ、今度は相撲の真似事かぁ?」

ぷろれす・・・・とやらは、これをどう受けるッ!」


 酒呑童子の両手が一瞬マットに触れる。

 次の瞬間、弾丸の如きぶちかましがクロガネに向かって放たれた。

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