第135話 本物と書いてプロレスラーと読む

 巨人の両腕が、軽トラックごとアカリを叩き潰すかに見えたその刹那。

 合間に人影が滑り込む。


<ダイダラボッチ>の腕が、軽トラックの寸前で止まっていた。

 否、止められていた。


「実況席を狙うとか、何考えてんのよッッ!!」


 止めたのはソラ。

 腕を十字に組み、巨人の一撃をつっかえ棒のように受け止めていた。

 巨人の皮膚にびっしりと生えた鋭い棘がソラに腕に突き刺さり、真っ赤な血がだらだらと流れ落ちる。


「いひっ! ひひひひっ! 本当に人間って馬鹿ねえ、そんな足手まとい、見捨てればいいのに!」

「ぐうううう……」


 イバラが醜く嘲笑わらう。

 嘲笑わらいながら<ダイダラボッチ>の出力を上げる。

 このまま強引に押しつぶそうとしているのだ。


「ソラさんっ!」

「大丈夫! それより、ばっちり撮っててよ!」


 アカリの声に、ソラはにかりと笑って見せる。

 それはクロガネが死闘の最中に見せる凶獣の笑い。

 これまでアカリが見たことがない、獰猛な微笑み。


「ひひひひひっ! そんな余裕、あるかしらねえ!」


 頭上からかかる圧力が増す。

 大岩にのしかかられるが如き圧力。

 気を抜けば一瞬でぺしゃんこにされる。

 限界ぎりぎりの状況。

 しかしソラは、ゆっくり息を吸い、細く吐く。

 足の位置を整え、全身の力をひとつの向きに整え、そして曲げる。


「ぎゃあっ!?」


<ダイダラボッチ>の巨体が斜めにかしぎ、地面を転がっていく。

 その全身に生えた棘がアスファルトを削ってがりがりと音を立てた。


「一体、何を……!?」


 かろうじて立て直したイバラが、苦々しい表情でつぶやく。

 体重差にして何十倍、いや何百倍はあろうか。

 あんな小柄な女が、この<ダイダラボッチ>を投げられるはずなどない。


 先程の技は、猪之崎の手四つ、そしてツナの<芯金しんがね><焼入やきいれ>を見盗ったことで生まれた。いわばソラ流の<ギリっとやってギュッ>といったところだが、そんなことがイバラにわかろうはずはなかった。


 理解不能の出来事。

 一瞬、狼狽えたイバラだが、トラックの前に立つソラを見て、再び嘲笑う。


「いひひひひっ! どんなまぐれか知れないけど、ボロボロじゃないの!」


 ソラの両腕は<ダイダラボッチ>の一撃でボロ雑巾のようになっていた。

 無数の棘で肉が削られ、とめどなく血が流れている。

 その足元には血溜まりさえ出来ていた。


「この大傀儡だいくぐつ兵装<ダイダラボッチ>は人間なんかには絶対破れない! わらわの棘で覆われたこの着物・・に、素手で触れることなんてできないのよ!」


 それは勝利の確信。

 人間弱者あざけ鬼神絶対者の余裕。

 鋼鉄をも切り裂く棘で覆われた<ダイダラボッチ>を、素手の人間が倒す手段などあるはずがないのだ。


「プロレスラーを、舐めないでよね……」

「ひひひっ、この期に及んでまだ強がりを!」


 痛みに顔を歪めるソラを、イバラは嘲笑う。


 小娘の弱点はわかった。

 あのカメラを構えた眼鏡の女だ。

 あれを狙う限り、小娘は逃げ回ることはできない。


 イバラは糸を繰り、<ダイダラボッチ>を前進させる。

 狙いはカメラの女。先程のようなまぐれが、何度もできるはずはない。

 万がひとつに出来たとしても、次の一撃では骨まで削り取れるだろう。

 両手は使い物にならなくなる。その時点で詰みだ。


<ダイダラボッチ>がゆっくりと、一歩一歩、ソラに迫る。

 より多くの恐怖を、より多くの絶望を与えるため、ことさらにゆっくりと。


 小娘はトラックの前で両手を構えている。

 血を失って顔色は悪くなっているが、恐怖は見られない。

 まっすぐにこちらを見据えている。


「生意気な小娘が……! どうせまた顔面狙いなんでしょ!」


 イバラは<ダイダラボッチ>の左腕で、唯一露出している顔面をカバーする。

 視界は悪くなるが、これで小娘から攻められる隙はない。

 どうせ狙うのは荷台にいる女だ。


 糸を繰り、<ダイダラボッチ>の右腕を上げた。

 その瞬間――


 衝撃。

 激痛。

 腹部。


「うがっ!?」


 イバラの口から苦鳴が漏れる。

 いまのは何だ!?

 先程までの投石に<ダイダラボッチ>の分厚い肉壁を貫ける威力はないはずだ。

 ガードの隙間から、ダメージを受けた箇所を覗き込む。


「なっ!?」


 見下ろしたイバラの視界に映っていたのは、<ダイダラボッチ>の喉元に拳を突き立てる少女の姿。

 そこの拳からは血しぶきが噴き出している。


「プロレスラーを……舐めるなって言ったでしょ!!」


 ソラは空中を舞いながら、イバラの身体が隠された場所に連撃を叩き込む。

 左拳が、右拳が、つま先が、踵が、掌底が、足裏が、裏拳が、ソラの身体が竜巻のように回転しながら、<ダイダラボッチ>の棘まみれの表皮を通じてイバラの身体に打撃を与えていく。


「なっ、がっ、うぞっ……こんな……!?」


 猛打。

 猛打。

 猛打。


 血煙をまとった竜巻が<ダイダラボッチ>を、それに守られているはずのイバラの身体を打ちのめす。


 イバラには意味がわからない。

 どうして棘まみれの身体を躊躇なく叩ける?

 どうして骨が見えるほどの傷を負っても連打が止まない?

 どうしてこの小娘は、そんなになっても笑うことをやめない?


 イバラは知らなかった。

 プロレスラーの第一歩とは、痛みと恐怖を乗り越えることであることを。

 イバラは学ばなかった。

 惰弱なピギーヘッドが、プロレスによって勇敢な戦士になったことを。

 イバラは解らなかった。

 守るべき者ファンのために、己のすべてを賭けられる人間プロレスラーという存在を。


「んぎぃっ!!」


 イバラは悲鳴とともに、残り僅かな妖力で<ダイダラボッチ>の棘を伸ばす。

 槍のように長い棘ならば、打ちかかったところで串刺しだ。

 これなら、今度こそ、小娘に打てる手段はなくなるはずだ。


<ダイダラボッチ>の姿がヤマアラシのように変形する。

 醜い全身から、四方八方に棘が伸びる。

 これで、これで、串刺しになったはずだ。

 これであの下等な人間は死ぬはずだ。


「うん、こういうの、やると思ってた」


 しかし、頭上から聞こえたのは少女の声。

 上を向くと、<ダイダラボッチ>の頭頂に生えた角をつかみ、垂直に逆立ちする少女の姿。


 少女の身体が、時計の針のように傾く。

 それに合わせて、回転の中心である巨人の頭も回る。

 巨人の頭に隠されたイバラの身体も、腰を支点にぐるりと回る。


 ――バチューカのトレデルレロフ・大時計台デラ・バチューカ


 この場限りの必殺技フィニッシュホールド

 ソラの体重にテコの原理と遠心力とが加わり、<ダイダラボッチ>とイバラの身体をまとめて回転させる。

 時計の針が回るかのように、零時からろく時へ、かっちり180度。


「がふっ」


 イバラの口から、紫色をした大量の血が吐き出される。

<ダイダラボッチ>の巨体が、地響きとともに大地に倒れる。


「っっっしゃぁぁぁあああーーーーッッッッ!!」


 その前には、両の拳を突き上げて絶叫するソラの姿があった。

 血まみれになりながら、勝ち名乗りを上げるその姿はまさしく本物プロレスラーだった。




※バチューカの大時計台:メキシコはバチューカ市の中心部にある大時計台……だそうです。技名を考えながらあれこれ調べていたら発見しました。なお、スペイン語で「バチューカ市の時計台」は「Torre del reloj de la ciudad de Batuca」だったのですが、長すぎるので「ciudad de」を抜いています。

 ちなみに、いまさらなのですが、作中で登場するスカイランナーの必殺技はすべてスペイン語になっています。しかし、字面や語感から調整しているケースが多いので、文法上おかしいこともあります。このあたりは「細けえことはいいんだよ!」の精神で楽しんでいただけますと幸いです。

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