第126話 警察庁総合庁舎 菅原ブンヤ

■東京都千代田区霞が関 警察庁総合庁舎


「はぁ、厄介なバイトなんて引き受けるもんじゃないねえ」


 特別迷宮警報の発報から数十分後、国道1号線桜田通りのコインパーキングに駐車した軽四輪ジムニーから一人の男がぼやきながら降りてきた。

 よれよれのスーツにくたびれたハンチング帽、無精髭の男――菅原ブンヤだ。


 眼の前にそびえるのは、コンクリートと鉄骨をまとった要塞の如き威容。

 警察庁総合庁舎である。


 テロや迷宮災害などの有事に備え、補強を重ねてきたその建物に入る。

 エコだかメタボ対策やらの理由で、職員は3階までの昇降にエレベーターの利用は禁止されている。


 ブンヤは白髪の混じった眉をしかめながら階段を上り、荒い息を整えて3階奥のドアをノックした。


「ちーす、菅原っす」

「入り給え」


 重いノブを引き、分厚いドアを開ける。

 裏側には特殊材の金属板が貼られていた。室内の壁も同様の素材で覆われている。

 見る角度によって色を変えるマーブル模様のそれは見ているだけで目が回りそうな錯覚をもたらす。


 部屋の中には、飾り気のないオフィスデスクがひとつ。

 パイプ椅子に座ったスーツの男がデスクに両肘を突き、組み合わせた手を口元に当てて深刻な顔をしている。ブンヤのバイト先・・・・上司の上司・・・・・だ。普段は直接言葉を交わすことなどない。


 ブンヤは「このポーズ、平成に流行ったロボットアニメで見たことあるな」と場違いなことを考えつつ、不格好な敬礼をしてみせる。


「事態は把握しているかね?」

「ええ、大雑把には。大江山で巨大なドラゴンが出現、日暮里ダンジョンが氾濫、仙台は未確認ダンジョンからこれまた未確認のモンスターの群れが溢れ出している……ってとこですかね」

「ドラゴンではなく竜種。モンスターではなく迷宮固有生物だ」

「はい、そういうのが出てるってことまでは」


 お役所言葉には慣れねえな、という愚痴を飲み込み、ブンヤはうなずいた。

 ここまでは、事前の連絡やテレビニュースなどを通じて知っている。

 緊急報道番組のコメンテーターは、ダンジョン発生以来、最大級の迷宮災害につながりかねないと訳知り顔で話していた。


「3箇所だけではない。我々で確認できているだけでさらに7箇所。予測では20以上の迷宮で氾濫の予兆が出ている」

「20以上!?」


 これにはブンヤも驚く。

 8年前の日暮里迷宮災害の反省を活かし、大規模迷宮災害時の防災体制は整っており、それは民間にも浸透している。3箇所程度ならば、それほどひどい事態にはならないだろうと高をくくっていたのだ。


「<運営>からも通達のあった情報だ。確度は高い」

「<運営>っすか……」


 誰もが名前は知っているが、実態は誰も知らないダンジョンの支配者。

 政府の上層部、そしてこの目の前のおえらいさんはその正体を知っているらしい。

 その筋から得た情報ならば、言う通り間違いはないのだろう。


「そうなれば警察はもちろん、自衛隊の対応力も飽和する。早期の封じ込めがマストになる」

「そりゃ、そうでしょうねえ」


 大規模な迷宮災害には警察と自衛隊が連携して対応する体制がある。

 小規模な迷宮氾濫であれば、いまや新聞の一面にも載らないレベルで処理が出来ているのだ。


 このあたりの感覚はちょっとやそっとの地震や台風では驚きもしない日本人の災害慣れ・・・・も深く関わっているだろう。諸外国では未だに低難度ダンジョンの氾濫で大きな被害を発生させることもある。


 その日本の防災体制をもってしても、なお飽和するという異常事態が現在進行系で起きつつあるのだ。


「幸いにして<運営>によれば、震源と思われる大江山、日暮里、そして未確認の仙台。この3つのダンジョンを封じ込めればこれ以上の波及は防げるということだ」

「へえ、そりゃ結構なことで」


 ブンヤの胃がきりきり痛む。

 自分のような下っ端アルバイトに、上司の上司・・・・・がわざわざ出張ってきた理由がそろそろ見えてきた。


 これをやれ、あれをやれという話なら、そもそも事情を話す必要すらないのだ。

 魔素を遮断する特殊な金属板を張り巡らした防諜室に呼び出してまで話をするということは、<運営>にも隠してきた隠し玉を投入する時が来たということだった。


「対迷宮特記戦力の出動要請を命じる。事情はいま話したとおりだ。すべて明かしてかまわん」


 出動を命じる、ではなく出動要請を命じる。

 持って回った言い方になるのは、その対象が頭ごなしの命令を嫌うからだ。

 要するに、ブンヤに対して「ちゃんと出動してくれるようお願いしろ」と命じているのである。


「はあ……了解しましたよ」

「できんとは言わせん。これは国家存亡に関わる危急のときだ」

「ええと、俺はもちろんわかってますけどね。あの人は気難しいんで、本人にそういうことは言わんでくださいよ?」

「だからこそ、君のような男を雇ってるんだろう」


 どんな形であろうと、あの男は日本の危機となれば駆けつけるだろう。

 しかし、権威を振りかざして頭ごなしに命令するのは絶対にダメだ。

 へそを曲げれば、力ずくでこの国の頭に取って代わり、指揮を取りかねない。


 あの男はたったひとりで一軍に匹敵する力を持つ。

 そして、それに準じる実力者たちを従えている。


 純軍事学的な物差しで計れば、戦力では自衛隊の方がもちろん勝る。

 普通に考えれば、1万2千に及ぶ警察機動隊にだって敵わないはずだ。

 だが、そうした常識をひっくり返しかねないのが、あの伝説の男・・・・なのである。


 人類史上最強とは、リングの上だけの話ではない。

 あらゆる兵器、計略、政治、その他諸々を含めた上で、なお最強なのではないか……そう思わせるからこそ、そんな大仰な二つ名がついたのだ。一般には単なるキャッチフレーズと思われているが、権力の中枢に近ければ近いほど、その脅威を認識している。


 プロレスオタクの幼稚な幻想を、そのまま現実にしたのが、かの人物なのだ。


「では、対迷宮特記戦力、超日プロレスリング・・・・・・・・・への協力要請を正式に発令する。配置命令はこの書類のとおりだ」

「承りましたよ。くれぐれも、余計な茶々は入れんでくださいね。とくに『命令』なんて言葉は絶対に使わんでください」


 ブンヤはそう言い捨て、特殊防諜室を出る。

 それからスマートフォンを取り出して、アドレス帳の一番上の名前を表示した。


 ――アトラス猪之崎


 2回、3回と深呼吸をして、通話ボタンをタップする。

 十数年前、不倫スキャンダルをすっぱ抜いたことをまた掘り返してくれるなよ、と願いながら。

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