第125話 列島群発迷宮震

■京都府福知山市 大江山


 大江山――酒吞童子伝説で知られるこの山は、京都府北西の外れにある。

 一般的に京都・・と聞いて思い浮かぶ、雅な古都ではない。

 京都市内からは丹波山地の向こう、自動車で2時間ほどもかかる山奥だ。


 酒吞童子を祀る鬼獄稲荷神社にはダンジョンが発生し、未踏ダンジョンの探索を主とする配信者には注目を浴びている場所だ。いまだ危険度の調査中ということで一般には開放されていない。インターネットの一部では、国内トップレベルの配信者パーティがここで消息を絶ったという噂が流れている。


 その大江山が、ぶるりと震えた。

 膨れ上がり、山肌が内側から引き裂かれる。

 激烈な噴火の如く、噴煙が立ち上り、煮えたぎった溶岩が土砂を巻き込んで溢れ出す。


 その中から、九つの黒く長大な影が、天に向けて伸び上がった。


 それは黒々とした金属的な鱗で覆われている。

 それは鹿を思わせる二本の角を生やしている。

 それは爛々と燃える真紅の双眸を宿している。


 ビルが降ってきたのか。

 そう錯覚するほどに太い、太い脚が進む。

 一足ごとに、山体が崩れ、木々が小枝のように舞い散る。


 震動。

 轟音。

 塵埃。


 山そのものが動き出していた。

 否、山ではない。

 山の如き巨体に、九つの頭を持つ龍が、南東に向けて進んでいた。


 その行く先は、京都市。

 丹波山の原生林を踏みにじりながら進むのは、人口150万に迫る、世界でも有数の歴史を誇る古都であった。



■東京都荒川区 日暮里


 8年前のダンジョン災害により最大の被害を受けた土地。

 元はJR山手線、京浜東北線、常磐線や成田線などが通り、繊維問屋が集まる町。

 日本最大級の広大な霊園である谷中霊園を擁し、下町情緒に溢れた街。

 ダンジョン災害前までは、閑静な住宅地として人気を集めていた。


 それも今は昔。

 現在では治安の悪化によりヤクザ者や半グレの集まる都内でもっとも治安の悪い地域と化してる。

 線路網はここを避けるように迂回され、東京を丸く囲んでいた山手線は、外にぽこりと膨らんだ歪な形となっている。


 しかし、配信者たちからはいまでも人気が高い。

 日本で最初に発生した日暮里ダンジョンはいまだ最奥にたどり着いたものがおらず、難易度も最上級にランク付けされている。


 モンスターの出現率も高く、戦闘を主とする者たち――とりわけ、モンスターを虐殺する様を放送する嗜虐的な配信者が集まっていた。

 死傷率も高く、未帰還者も日常茶飯事。


 その中心にある、日暮里ダンジョン地獄の釜がいま再び開かれた。


 溢れ出る異形、異形、異形。

 異形の群れ。


 コールタールのような粘体生物。

 ニホンザルから全身の毛をむしり取りラッカーを塗りたくった緑の生物。

 疥癬かいせん持ちのトカゲを立たせ、犬の首を接いだ生物。

 金貨銀貨が人の形を取り、じゃりじゃりと音を立てて歩く何か。

 薄ぼんやりと黄土色に光る痩せこけた木乃伊みいら

 きゃはきゃはと甲高く笑う、蛾の羽を持つ小人。

 人面の大鼠、鋭い牙を持つ兎、いぼだらけの青白い大蛙、クワガタの顎にトンボの羽を持つ一抱えもある雀蜂、クジラの頭にパンダの胴がつながる巨象、半透明の皮膚が透け脈打つ血肉と臓腑が覗く猫。


 そうしたモノたちが、溢れ出す。


 布やトタンやダンボールで出来た、粗末な家々を津波の如く押し倒す。

 それらに住まう配信者たちが、恐怖なのか、はたまた歓喜なのか、判別のつかぬ奇声を上げてそれらに向かって躍りかかった。



■宮城県仙台市


 郊外。

 杜の都仙台と言っても、全域が都会というわけではない。

 辺縁は山々で囲まれ、見渡す限り田畑という場所も、歩くこともままならぬ山林もある。


 その中に、正木家が秘密裏に所有していた個人ダンジョンがある。

 当主である正木ヒデオは生配信で脱法薬物流通の主犯であることが暴かれ失脚。

 そしてそのまま行方不明扱いとなっている。


 捜査は続いているが、正木の邸宅は半焼して進捗はおぼつかない。

 そのため、神権侵害ラインオーバーの生産拠点であったそのダンジョンは未だに闇にまぎれたままだ。

 ましてや正木ヒデオを殺し、乗っ取った女については知られていようはずもない。


「今日は特別な日。お前たちにも特別な振る舞いをしてあげる。今日は、いくらでもこれを食べていいわよ」


 十二単を思わせる豪華な着物をまとった女が声を発すると、目も虚ろな人間たちが群がる。

 それらに、首のない死体――元は正木ヒデオとその秘書であった者――が錠剤を配る。


 人間たちは錠剤を奪うように貪り、そして変容していく。

 目玉が飛び出し、歯が舌に変わり、耳が手のひらになり、背中のあちこちからキチン質の突起が生え、皮膚が松かさの如くささくれ立ち、脇腹から赤子の足が生え、足指が伸びて軟体動物の触手に変わる。


 これはほんの一例だ。

 こうした変化が、無規則に、無秩序に、無選別に発生する。

 冒涜的で涜神的で背徳的で背教的で猟奇的で狂気的で凶悪で野蛮で残忍で醜怪で、そうした混沌の群れが出来上がる。


 この工場には、甘貸志あまがし会の残党どもも加えた。

 甘貸志あまがしの息がかかった半グレや暴走族どもも加えた。


 人ならぬ女にとって、それらはしょせん有象無象。

 区別の必要すらない、いや、区別の出来ない単なる道具。


「なんとも醜い姿だな」


 女の後ろで、呆れた声を出す男。

 異形に満ち満ちた空間にあって、この男女だけは絵姿のように美しい。


 神権侵害ラインオーバーは魂の本質をむき出しにし、魔物と混合して本性を形とする薬。

 これら・・・が人の形を保てなかったのは、元より魂が人の形をしていなかったためなのだ。


「無粋なものをお見せして申し訳ございません。しかし、人間など一皮むけば皆同じでございましょう。人間どもを贔屓し、シュテン様をないがしろにした異界の神気取りに見せるには、ちょどよい余興かと」

「宴の始まりには先付さきづけが付き物か」

「はい、そのように思いまして」


 神権を侵した異形の群れは、ダンジョンから溢れ出る。

 混沌の津波が地上に溢れ出る。

 むき出しの欲望のまま人界を蹂躙するべく。


烏合鼠輩うごうそはいの露払いにはよかろう。雑兵を相手にしても面白くはない」


 長身の男――酒吞童子は、イバラキを従えてゆっくりとダンジョンの外に出た。

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