第124話 特別迷宮警報

■仙台駅前ダンジョン(裏) <アイナルアラロ>


「すまぬが、今宵一晩世話になる」

「かまわねーけど、まーた妙なのを連れてきやがったなあ」


 ヤシの木が生え、コバルトブルーの波が打ち寄せる島々の一角。

 常夏の国に、涼やかな目元の武士――渡辺綱が訪れていた。

 相対するのは浅黒い肌にびっしりとトライバルタトゥーを刻んだ男、<カマプアア>だ。


「客が増えてすまねえな。道場がぶっ壊れてなきゃうちに泊めるんだが」

「だからかまわねーって。こっちもオクが面倒をかけたな」

「それがしは面倒などではないでござるよ!?」


 を連れてきたのはクロガネである。

 左手で頭をボリボリとかきながら、右手で小さく手刀を切っている。


<アイナルアラロ>は現在のクロガネたちの仮住まいだ。

 道場の再建中は短期貸しのマンションでも借りようかと考えていたら、<カマプアア>の方から<アイナルアラロ>に過ごせばいいと勧められたのだった。

 条件は手隙の時間にプロレスを教えること。もともと週に一度は指導をする約束になっているのだが、ピギーヘッドたちの上達は目覚ましく、もっと詳しく教えてほしいと願う者が増えているらしい。


「メシは食ってきたのか? まだならなんか用意させっけどよ」

「あー、ありがてえが、メシは済ましちまった。風呂借りるぞ」

「っとに人間は風呂が好きだな。勝手に湧いてるもんなんだから断りなんていらねえよ。好きに使ってくれ」

「む、風呂か……」


 ツナが一瞬表情を曇らせるが、クロガネたちは気がついていない。


「天然温泉入り放題! もうこっちに住みたい気分だよね!」

「おう、ついでに専属のコーチになってくれや」

「えー、ちょっとそういうわけにはいかないなあ」

「おいおい、うちの選手を引き抜かねえでくれよ」

「ソラ殿ならいつでも大歓迎でござる! 師匠はまあ、たまにくらいで」

「なんだコノヤロー。俺の指導に不満があるってのか?」


 軽口を叩きながら、一行は温泉へと向かう。

 岩浜に湧く温泉はポンプも使っていない純粋な源泉かけ流しで、そこに海水を混ぜて適温に調整するのだ。景色もよく、日本人ならばこれほどの贅沢はない。おまけに上級ポーション並みの回復効果もあるのだから一流の温泉旅館以上のものだと言えるだろう。


 海水のため、湯上がりには川の水で身体を流す必要があるが、それはそれでいわゆる「整う」感覚があって気持ちがいい。クロガネなどは、源泉に近い熱い湯と、冷たい川を交互に浸かって楽しんでいるくらいだ。


 ピギーヘッドたちには温水に浸かる文化があまりなく、怪我や病気にかかった際に利用するものという認識だ。普段は川での水浴びで入浴を済ませるため、温泉はほとんど毎日貸切状態である。


「そういや、ツナの水着がねえな。腰にタオルを巻いときゃいいか?」

「クロさんってそういうとこデリカシーないよねー。あたしもアカリさんもいるんだけど」

「湯浴み着なら<カマプアア>様のがあるでござる。着替えの小屋に置いてあるでござるよ」

「おお、ならカマのを借りりゃいいな」

「あいや、拙者は……」

「遠慮することはないでござる。<カマプアア>様は湯浴み着を勝手に借りたぐらいで気にする人ではないでござるよ」


 ツナが逡巡している間に、温泉脇の小屋に着いてしまった。

 小屋はふたつあり、男女に別れた更衣室として使われているようだった。


「それじゃ、着替えてくんぜ。川にビールが冷やしてあっから、着替えたら取ってくるわ」

「あー、クロさんだけずるい」

「ちゃんとコーラも取ってくるからよ」

「いえーい! 温泉に浸かりながら瓶のコーラ飲むのって最高なんだよねえ」


 一行が更衣室に入ろうとするが、ツナひとりだけその場でもじもじとしている。

 出会っても間もないが、ずっと堂々としていたツナらしからぬ態度だった。


「なんだ、便所か? それならあっちにあるぞ」

「いや、そうではなくてな……」


 眉根にしわを寄せ口ごもるツナに、クロガネは首を傾げる。

 ツナは腕組みをし、何度か「ううむ」と唸ったあとに口を開いた。


たばかるつもりはなかったのだが――」


 * * *


 ゆったりとした湯浴み着に身を包み、手桶で肩から湯をかける女。

 解いた髪は長く、湿り気を帯びて黒く艷やかに輝いている。

 襟や裾から覗く肌は白く、陶器のように滑らかだ。

 しかし、湯浴み着の生地は厚く、その下が透けることはない。


 かけ湯を終えると、女は岩を掘った湯船にその身を浸す。

 黒髪の先端が湯の表面にぱっと散り、それはまるで水面に開いた黒い花だ。

 女は湯を両手ですくい、ざぶりと顔を洗う。


「ふう、生き返るな」

「おう、ビールもあるぜ」

「かたじけない。ありがたく頂こう」


 女は筋肉をこねて作ったような大男から500ml缶を受け取り、ぷしゅっと小気味良い音を立ててプルタブを引く。

 初めてのことだが、大男――クロガネが開けるのを見て作法を学んでいた。


「んじゃ、乾杯だ!」

「かんぱーい!」

「かんぱいでござるよ!」

「撮影も終わったので、私もお付き合いしますね」


 ツナが差し出した缶ビールに、クロガネ、ソラ、オク、そしてアカリが手持ちの飲み物をぶつける。

 アカリは年若く見え、酒は呑まないだろうとツナは気を使っていたのだが、どうやらとんだ勘違いだったようだ。


「まさかツナさんが女の人だったなんて思わなかったよ。めっちゃイケメンだと思ってたけど!」

「いけめん?」

「かっこいい男の人って意味。歌舞伎の役者さんみたいな?」


 言ってはみたものの、ソラは歌舞伎にあまり詳しくない。

 思わず半疑問形になってしまう。


 しかし、ツナにはじゅうぶん意図は伝わった。

 歌舞伎には女形おやまという役者がおり、それは男にも女にも人気なのだ。


 そのせいで、色々と面倒が起こる。

 だが、それでも女の姿をしているよりはまだマシなので、男装で旅をしているのだった。


「かっこいいというと、それがしのような男前のことでござるか?」

「うーん、オクちゃんはかわいいの方かなあ」

「コメントや視聴者層の分析でも、そちらのウケが強いようですね」

「なんでそうなるでござるか!?」

「ふふっ」


 こらえきれず、笑いが洩れてしまう。

 男だ女だというと途端に態度を変える者が多いのだが、この者たちはそんなことにはこだわらないようだった。


「で、一応確認なんだがよ。本当にこっち・・・の童子切安綱ってのは気にならねえのか?」

「ううむ……」


 クロガネの問いに、ツナは少しだけ返答をためらう。

 迷宮改方に仕官したのは、二百年前に失われた家宝の童子切安綱を探すためだ。

 そのことは雑談の中でクロガネたちにも話していた。


「まったく気にならないと言えば嘘になるが……こちらの安綱は八年前に失くなったものだ。似たものではあろうが、同じものとは思えん」

「パラレルワールドのものだもんねえ」


 ソラの言葉に、ツナは頷く。

 そもそも、現状で発生している事態を把握すらもできていないのだ。

 迷宮改方あらためがたとして、私情はさておきこちら・・・の世界の探索を優先すべきだという義務感もある。


 気持ちを切り替えようと、ツナが再びざぶりと顔を洗ったときだった。


【特別迷宮警報、特別迷宮警報

 大きな迷宮地震の予兆を感知しました

 震源地は複数

 関東、近畿、東北地方にお住まいの方はただちに避難してください

 繰り返します

 震源地は複数

 関東、近畿、東北地方にお住まいの方はただちに避難してください】


 けたたましい警告音とともに、クロガネ、ソラ、アカリのスマートフォンが、機械の声を発した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る