第118話 比良坂レジャーランド跡ダンジョン 格闘談義

■比良坂レジャーランド跡ダンジョン 廃ホテル裏手(?)


 オクには記憶があった。

 おぼろげながら、しかし確かに存在する記憶。

 己がサムライに憧れ、志したその記憶。


 仙台駅前ダンジョン10層の役割ロールに囚われる前。

 大海原の小舟で狩りをする戦士であった後。

 己が何者かもわからぬ、束の間の混沌。


 そのとき、確かに存在していた。

 ただの一刀で巨大な魔物を斬り伏せる美丈夫。

 爽やかに微笑する涼し気な表情。


 師匠クロガネと並ぶ、もうひとつの指針。

 ダンジョンの深層で出逢った、孤高のサムライ。


「待った! 待ったでござるよ!」


 気がつけば、身体が動いていた。

 クロガネと美剣士の間に割り込んでいた。


 巨獣と、麗人の時が停まる。

 破断寸前の琴の弦に乗ったような緊張感。

 オクという異物は、限界の闘争の場にあってはならぬ夾雑きょうざつだった。


 だが、そんなことは百も承知。

 一瞬が稼げればいい。

 この闘争たたかいはあってはならぬ。

 そう、本能が囁いていた。


「危ねえぞ」


 ちりちりと空気を灼く殺気をまとうのは巨獣クロガネ


「ふん、あやかしが一丁前に仲間を気遣うか」


 小柄を逆手に握り、氷の如き殺気をぶつけ返す美剣士。


「ええっと、ひょっとして、おサムライの人も配信者だったりする?」


 そして少女が、剣士の背後に浮かぶ黒球を指さした。

<運営>が操るカメラドローンだ。


 * * *


「いやー、悪かった! てっきりモンスターだと思ってよ!」

「もんすたあ? ああ、あやかしのことか。いや、拙者こそ早合点だった。面倒がらずに声をかけておけばよかったのだ」


 巨漢と痩躯の美剣士が、頭をかきながら向かい合っている。

 ソラの一言で、互いが人間であることを理解したのだ。

 たっぷりの間は必要としたが、やがて二人とも構えを解いていた。


 クロガネは有無を言わさず仕掛けたことを、ツナはソラを見かけたときに声をかけなかったことを謝っているのだが、互いに微妙に噛み合っていない。


「いつか助けていただいた者でござる! また会えて光栄でござるよ!」

「ううむ、すまぬが拙者には心当たりがない」

「あの身のこなし、太刀筋は間違いないでござる!」

「となれば、先代かその前か……。いずれにせよ、当流は歴史が長い。あやかしとの交流もあったのであろう」

「本人ではないでござるか……」


 がっくりと肩を落としているのはオクだ。

 江戸二百年の歴史の中で、あやかしの中でも気質が温和なものは人間社会に溶け込んでいる。オクを式神と決めつけ、ろくろく思案を巡らせなかったことをツナは恥じていた。


「それより聞きたいんだけど、さっきのアレ、クロさんを崩しかけたやつと、投げ飛ばされたあとのやつってどうやったの? なんか猪之崎さんの動きにすごい似てたんだけど」

「ああ、『焼入やきいれ』と『朽葉くちば』のことか? 一言では難しいが……」


 ソラの質問に、ツナは細い顎先おとがいを掻く。

 猪之崎という人間は知らないが、柔法の達人なのだろうと察する。


 それに割り込んで、クロガネの野太い声が挟まれた。


「俺はその前のギリッとしたやつが聞きてえな」

「ギリ? ああ、『芯金しんがね』か。それはお主もやっていたではないか」

「準備が出来てりゃいいんだがな、とっさには出来なくてよ」

「そもそもが貴殿のような剛力に対応するためのやわらだ。見たところ、肉太ししぶとりしやすい体質であろう。そのまま力を鍛えた方がよいのではないか?」

「それじゃ足りねえって思ってたところなんだよ」

「ほう、それであのような下駄を履いていたのか」


 ツナは、クロガネが不自由な一本下駄を履いていた理由を見抜く。

 ああいった履物は身体の重心を安定させなければすぐに転んでしまう。

 源次綱げんじつな流の鍛錬でも、似たようなものがあるのだ。


 クロガネとツナは、ああだこうだと身体を動かしながら議論を続ける。

 それにソラが参戦し、わちゃわちゃと格闘理論の交換が始まった。


「だから、もっとこう肘を折りたたんでな」

「それってこうされたら弱くない?」

「なんと、腕に足をかけるとは。戦場では隙が多いが、一騎討ちならば……」

「こういう返し技もあるぜ」

「ほう、あえて逆らわずに流すのか。ならば、ここから喉に膝を落とすのはどうだ」

「えげつねえな。興行じゃ使えねえが、真剣ガチンコならアリか」


 お互いの手を掴んだり離したりしながら、何やらわからぬ話をしている。

 プロレスを学び始めたばかりのオクとアカリにはさっぱりついていけない。しかし、戦闘の緊張感が霧散したことだけは確かだった。


 マニアックな議論が続いているため、視聴者がついてこれているか心配だったが、アカリの予想に反してコメント欄は盛り上がっている。


【そこ、親指を掴んで内側に捻ったらどう?】【指取りは現代ルールじゃ反則だからなあ】【サムライの人は古流かな? 古流はだいたいえげつない】【型に目突きとかあるもんね】と配信そっちのけで盛り上がっている。


 プロデューサーとしてのアカリの勘が、これはコンテンツとして十分に成り立つ――いや、かなり強いと囁いた。


「ええっと、立ち話もなんですし、ちょっと場所を変えませんか?」


 アカリがそう提案すると、サムライが頷く。


「すまぬな。つい話し込んでしまった。柔法にこれほど興味を持つものは少なくてな。比良坂宿には来たばかりで明るくはないが、居酒屋くらいは道々で見かけた。手頃な店で仕切り直すとしよう」

「そりゃあいいな。ひりついてたから喉が渇いちまった。ついでに迷惑賃で奢らせてくれ」

「む、それはならぬ。そもそもは拙者が……」

「あー、めんどくさいから割り勘ね!」


 クロガネたちが騒ぐのを聞きながら、比良坂レジャーランドの周辺に飲食店などあったかとアカリは首を傾げる。


 だが、このサムライのコスプレをした配信者は少なくとも自分たちよりはよほどこの周辺に詳しそうだ。ここには来たばかりなどと言ってはいるが、実際にはそんなことはないのだろうと予想する。


 配信には自分の世界観を大事にする「コス系」「なりきり系」というものがある。

 デビル・コースケやデスプリンセス魔姫まき設定ギミックと同様に、そこに踏み込まないのは配信者の不文律マナーなのだ。


 期せずして、五行娘娘ウーシンニャンニャンに続く突発的なコラボ配信となるが、クロガネたちとの付き合いでこの手の展開にはもはや慣れている。


 先導するサムライの背中を追って、一行は雑草まみれの獣道を進んだ。

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