第117話 仙台藩 比良坂迷宮 羆天狗

 ひぐまの如き巨漢が弾丸の勢いで駆けてくる。

 貫目体重はツナの倍以上はあろうか。

 巨体が跳躍し、回転する。

 相対する敵に背を向ける見たことのない動作。

 一瞬、対応が遅れる。


 風切り音。


 高下駄の一本歯が、ツナの眼前を通り過ぎる。

 わずか一寸。ぎりぎりでのけぞっていなければ、鼻が持っていかれていただろう。


「ちっ、初見でかわすたぁやるじゃねえか」


 そこから逆回転。

 岩のような巨拳が迫る。

 逆手の抜き打ちで迎え撃つ。


 ――源次綱げんじつな流兵法『立杭たちくい


 刀身を鞘の半ばまで抜き、刃で以って受ける超至近用の抜刀術。

 川の流れを割く杭の如く、受けつつも斬る攻守一体の技。


 が、不発。


 巨漢の拳が刃の直前で止まっている。

 跳び退がりながら刀身を抜き放ち、順手に持ち替える。

 正中線を正面に向け、きっさきを敵に向ける正眼の構え。


(徒手が相手ならば、これがよい)


 正眼はきっさきで牽制し、懐には容易に飛び込ませない構えだ。

 斬るには一拍を要するが、受け、突きならば無拍子で放てる利点がある。


 じりじりと間合いを測りながら、視野を広げて全体を見る。

 背後には先ほど見かけた町娘と、脇にいるのは豚頭のあやかし。

 資料には徘徊型はいないとあったため油断していた。


 おそらくは、この容貌魁偉ようぼうかいいの大男が前衛。

 あの娘と豚頭が妖術を放つという組み合わせだろう。

 術の準備に入っている様子はないが、決着を急がねばこちらが不利になる。


 男の様子を改めて観察する。

 短く刈り込んだ頭は浪人、町人のそれではない。

 さながら、山籠りを続け坊主頭が伸び放題の荒法師。

 法衣こそまとっていないが、徒手の兵法に溺れ、魔道に堕ちた天狗の一種か。


 天狗にはいくつかの亜種がいる。

 大抵は何らかのけだものと混じった風貌で、烏と混じれば<烏天狗>、山犬と混ざれば<狗賓くひん>、猪と混ざれば<猪狗ちょく>といった具合だ。

 巨体に獣の如き凶相を浮かべるこの天狗は、さしずめ<羆天狗>といったところだろう。


 鋒を斜めに下げ、下段に構える。

 間合いが縮む。

 鋒で地を擦るようにしながら、あえて徒手の間合いに踏み込む。


「どっせい!」


 誘いに乗った<羆天狗>が巨拳を放つ。

 鎮西八郎ちんぜいはちろうの一矢(※)をも彷彿とさせる剛拳。

 轟音を鳴り響かせながら、ツナの頭上を貫いていく。

 必死の一撃を掻い潜り、横薙ぎの一閃。


 ――源次綱流兵法『馬転うまころび


 それは戦場の技。

 騎馬武者の乗騎の脚を斬り、転倒落馬させる不意の剣。


「うおッッ!?」


 脛を狙った一撃は、すんでのところで躱された。

 飛び上がった高下駄の歯が二本、宙を舞う。

 逆袈裟、横一文字、片手突きで追い討ちをかけるが皮一枚を斬るにとどまる。


「ちっ、悠長に修行なんてやってられる相手じゃなさそうだな」


 距離を取った<羆天狗>が不揃いになった下駄を脱ぎ捨てる。

 腰を落とし、足の五指で地を掻くどっしりした構え。


 それは地に伏せた猛虎の如く。

 それは血に飢えた餓狼の如く。

 それは智の失せた顎門あぎとの如く。


(修行……修行と言ったか)


 安く見られたものだと唇を噛む。

 刀身を垂直に立て、八相に構える。

 左肩を<羆天狗>に向けて半身になり、脇を締める。


 唇をすぼめ、長く息を吐く。

 ぽっと腹を膨らませ、息を吸う。

 瞬間、<羆天狗>の身体が膨らむ。

 否、飛び込んでくる。

 電光の踏み込み。

 刃の間合いでは間に合わない。

 だがそれは読んでいる。

 呼吸は、あえて読ませた。


 ――源次綱流兵法『杵打きねうち


 狙いは脳天。

 懐に飛び込んだ<羆天狗>。

 刀の重みをすべて乗せ、柄を振り下ろす。


 衝撃。


 兜をも砕く一撃が炸裂する。

 常人であれば、眼球をこぼして絶命する一打。

 しかし、<羆天狗>は止まらない。

 正面から腰に組み付かれる。


「かはっ! 効いたぜッ! だが悪りぃが、プロレスラーは石頭でなッ!!」


 浮遊感。

 視界が反転。

 夜空が足元、大地が頭上。


 投げられている。

 反射的に両足を振り下ろす。

 刀を捨て、母指おやゆびで<羆天狗>の丸太の如き腕の経絡つぼを突く。


「んぐっ!」


 短い苦鳴。

 組まれた腕がわずかに緩む。

 足裏。

 大地の感触。

 勢いのままに前方へ回転。

<羆天狗>の背が轟音と共に地面を叩く。


 拳を固め、追撃の鉄槌を顔面に降らせる。

 地面を叩く。

 躱された。

 身を捻った<羆天狗>が間髪入れずに立ち上がり、両手を虎爪の如く構えて突進。


 避けられない。

 正面から受け止める。

 右手と左手、左手と右手ががっちり噛み合う。

 刀折れ矢尽きた戦場いくさばで稀に起こる取っ組み合いの型。


 手四つ。


 ツナは即座に重心を落とし、身体に芯を通す。

 迷宮で高い段位レベルを得ているツナだが、単純な膂力比べでこの怪物にまされるとは思えない。ならば技を使う。


 ――源次綱流兵法『芯金しんがね


 それは己の身体をひとつの刀身と化す技。

 全身の骨をひとつに揃え、強大な力に抗する兵法身体操作術


「うおっ!? これは!?」


 たやすくひねり潰せるつもりだったのだろう。

 拮抗する力比べに、<羆天狗>が驚いている。

 このあやかしにもやわらの心得があるようだ。

 が、その技は剛法に偏っている。

 源次綱流兵法の極意は刀法にあらず、剛法にあらず。

 柔法こそがその極意。


 ――源次綱流兵法『焼入(やきいれ)』


 熱した刀身を水で冷やし固める時、刀には反りが生じる。

 芯金の粘りを残したまま、表面の硬度を高める日本刀独特の製法。

 日本刀はこの焼入れの時まではまっすぐに鍛えられる。

 焼入れの工程で初めて独特の反りがつき、それにより魔性の切れ味を生み出す。


 その切れ味で、力の向きベクトルをずらす。


「おおおおおおッッ!?」


<羆天狗>の巨体が傾く。

 が、崩しきれない。

 楊枝一本の危うさで、ぎりぎり持ちこたえられている。


 だが、楊枝一本とは言え根本の太さが違う。

 稲の根が細いように、松の根が太いように、そもそもが異なれば発揮できる力も変わる。


「ぬがぁぁぁあああッッ!!」


 獣の咆哮。

<羆天狗>が絶叫する。

 ツナの身体が浮き、唐箕とうみに吹かれる籾殻もみがらの如く投げ飛ばされる。


 脱力。

 こうなれば逆らわない。

 風に吹かれる落ち葉の如く、くるくると廻りながら宙を舞う。


 ――源次綱流兵法『朽葉(くちば)』


 初代渡辺綱――酒吞童子を討伐した源頼光みなもとのよりみつには、四人の腹心がいた。俗に言う、頼光四天王である。

 そのひとり、幼名を金太郎で知られる坂田公時さかたのきんときは古今無双の剛力を誇った。かの剛力はまさしく怪物的であり、幼い頃は熊と相撲を取り、巨木を引き抜き、いわおを片手で転がしたと伝わる。


 その大風おおかぜの如き剛力に対抗するため、武勇で遅れを取らぬため、初代渡辺綱が工夫したのが柔法だ。

 大風に凪ぐ柳の如く、大波を受け流す砂浜の如く。


 今まさに、<羆天狗>の怪力を受け流し、ツナは軽やかに地面に降り立つ。


「へっ、妖怪親父みてえな真似をしやがって」

「ふん、貴様こそが妖怪であろうが」


 ツナは大刀の柄に差した小柄こづか(※)を抜く。

 脇差しではない。

 このあやかしには、半端な間合いではかえって手こずる。

 徒手の間合いで、柔法でまさって仕留める。


 互いに必殺の間合い。

 殺気がぶつかり合い、風がちりちりと灼け、空間がぐにゃりと歪む。


「待った! 待ったでござるよ!」


 決死の瞬間を止めたのは、豚頭のあやかしだった。




【注釈】

鎮西八郎ちんぜいはちろう源為朝みなもとのためともの異名。平安末期の武将。弓の一矢で三百人が乗る軍船を轟沈させる人間サイズのモビルスーツ。太平洋戦争にこいつがいたらたぶん日本は勝っていた

小柄こづか:時代劇でお侍さんがぴゅっと投げるナイフ。たまに竹細工を削っていたり、仏像を彫ったり。鞘に彫られた溝にくっついていた。純粋な戦闘用ではなく、カッターナイフみたいな感覚でちょくちょく日常使いをしていたらしい

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