第116話 仙台藩 比良坂迷宮

 比良坂迷宮は2つの巨石に挟まれた坂を降った先にある


 迷宮の生まれる以前、この坂は黄泉に通じているという伝承があった。各地に伝わる黄泉比良坂伝説を持つ地のひとつだ。迷宮を研究する国学者の中には、記紀神話に記された黄泉比良坂とは、そもそも古代に発生した迷宮のことを指しており、最奥は別世界につながっていると主張する者もいる。


 ツナが巨石の間を通り抜けると、すっと空気の温度が下がった感触がある。

 迷宮での探索を重ね、経験を積むとこういった肌感覚が備わる。<運営>によれば、迷宮の風には魔素なる成分が含まれているそうだ。魔素に馴染んだ人間は、それに敏感になるのだ。


 迷宮に入って早々、黒いまりに似た物体が飛んでくる。

 鞠には人差し指と親指で丸を作ったほどの硝子ぎやまんが嵌まっており、ツナの周りをくるくるとまわる。人にまとわりつく蚊のようでうっとうしいが、これを追い払う手段はない。


 ツナは娯楽のために配信を行うことはない。

 迷宮改方あらためがたのお役目に必要な資料を写し絵巻で撮るだけだ。


 しかし、<運営>が寄越すこの鞠が勝手に撮影し、配信を行う。

 あえて配信受けするようなことは何もしないのだが、その美貌によりそこそこの人気を博しており、使い道のアテもない迷宮点銭だけが貯まっている。


 坂の左右は鬱蒼とした森に塞がれ、うねった獣道を進むしかない。

 突き当りには四階建ての旅籠らしき建物があり、ご丁寧に「比良坂レジャーホテル」なる屋号まで掲げられている。蘭学者によれば英機黎えげれす語をカナで表したものではないか、とのことだ。日ノ本の言葉に直すならば、遊山ゆさん旅籠とでも言ったところか。


 迷宮では、こうした異文化が無造作に入り交じることが珍しくない。


 開け放しの玄関をくぐり、上り框あがりかまちをまたいで土足のまま屋敷に上がる。

 資料で読んだ情報に従い、まずは四階まで進む。

 客室の襖を開けると、包帯まみれの木乃伊みいらが三体。

 渡世人の姿をしたそれを、抜き打ちの一閃でまとめて両断する。


「ジョウムツ……」


 両断された木乃伊の一体が、そう言い遺して風にさらさらと溶けていく。


「ふむ、幸先がよいな」


 一部屋目で当たりを引くとは運がいい。

 十階に上がり、再び客間を探索。

 浪人、山伏、僧侶の姿をした木乃伊をやはり一閃で斬り伏せ続け、「ゲイチ」という遺言を聞く。


 九階に降り、繰り返す。

 今度は「カミニ」。

 十一階に上がり、「ウエフタ」を聞いて十三階へ。

 十三階で「カエレ」となったので、一階まで降りる。


 何のことはない。ちょっとした判じ物(江戸時代に流行したなぞなぞ)だ。

 木乃伊の言う通り階を上り下りすると、再び旅籠を出たときに別の場所に出る。「上」をジョウ、カミ、ウエと言い換えてみたり、イチ、ニ、サンをヒト、フタ、ミとしてみたりと多少の工夫はあるが、さして難しいものではない。階の上下と戦闘が煩わしいだけだ。


 この答えはしばしば変わり、配信者は毎回この手順を踏まなければならない。

 まったく面倒な仕掛けをしてくれると思うが、<運営>は迷宮にこういった判じ物を盛り込むのを好んでいるようだ。難易度はまちまちで、中には名うての碩学者でも手を焼くものがある。


 たとえば、「地図は必ず四色以内で塗り分けられることを証明せよ」という算額が出題された迷宮もある。これには算聖と称えられたかの関孝和せきたかかずでさえ太刀打ちできず、「この問題が解けたときには、解法を墓前に備えてくれ」と言い遺したと伝え聞く。


 再び玄関を出ると、景色が一変していた。

 玄関先は寂れた庭園に変わっており、遠くにはいくつもの籠をぶら下げた円形の物見櫓ものみやぐらめいたものがそびえている。


 資料を読む限り、異国風の人型に遭遇した例に類型は見出だせない。

 もとより、初日から成果が得られるなどと甘いことも考えていない。

 まずはざっと検分し、全体を把握するために内部を探索する。

 最初の目標はあの物見櫓としよう。


 ほとんど鉄でできているのか、物見櫓はあちこちが赤錆にまみれていた。

 頂上の籠には無数の黒い人影があり、嫌な気配を発している。興味に駆られた配信者が登ると迎え撃つ仕掛けなのだろうか。ツナにしてみれば登ることも退散させることも容易に思えたが、今日の目的は鍛錬でもあやかし退治でもない。さっさと見切って次へ進む。


 馬などの動物を模した遊具らしきものや、南蛮の茶碗を人が入れるほどの大きさにして並べたもの、車輪が四つついた米搗き車に似たものなど。何を意図して作られたのか想像もつかぬものがいくつも並んでいるが、ツナは意に介さない。


 迷宮とはそういうものであるし、<運営>の考えなど所詮は木っ端役人である自分にはわからぬことなのだ。上役の迷宮奉行や、幕政の中核を担う大老や老中の面々。そして将軍たる上様は<運営>との直接の交流があるようだが、そんな殿上のやり取りは現場には当然降りてこない。


 そもそも、ツナが迷宮改方に仕官したのも別の目的があってのことだ。

 二百年前、二十二代渡辺綱の折りに日暮里の迷宮騒乱で失われた家伝の宝刀「童子切安綱どうじぎりやすつな」を捜索するために役目に志願したのである。


 迷宮改方は幕府の役目としては例外的に、ほとんど実力主義での採用で、世襲はなく縁故も役に立たない。不定期に開催される試験を経なければ、どんな名家の出自であっても、どれだけ賄賂を積もうと仕官は叶わぬのだ。


 探索中、「びゃぁぁぁぁああああ」と異様な奇声を聞く。


 そちらに向かってみると、遠くに配信者らしき人影があった。

 おそらくは町娘であろう。物見遊山のつもりだったのか、派手な柄の浴衣でまるで探索には向いていない。助けるべきかとわずかに逡巡する。しかし、女は面倒なのだ。ツナは己の美貌をよく理解している。


 行きずりに助けた女が配信にまとわりついて厄介者と化したことが何度もあるし、おそらく今この配信もそういった見物人の所感で溢れかえっていることだろう。嫌気が差したツナは、もう何年も自分の配信を確認していない。


「せめて、勝手な配信を控えて頂けると有り難いのだがな」


 恨みのこもった目で宙空に浮く黒い鞠をにらむが、当然何の反応もない。

<運営>は個人の思惑などまったく汲んではくれないのだ。


 そうこうしているうちに、娘を追って別の人影が現れた。

 雲を突くような大男と、あやかしらしき小人だ。おそらくは大男が護衛で、小人は娘の使役する式神のたぐいと言ったところか。


 そもそも、ここに来るにはあの旅籠の仕掛けを抜けなければならない。

 戦闘は必須であるから、何の武力も持たぬ町娘が迷い込むはずもないのだ。

 要らぬ心配をしたとため息をつき、ツナはそそくさとその場を離れる。


 およその地理を把握したところで、懐紙に全体像をざっと書きつける。

 見取り図は資料にもあったが、己の目で見たものと食い違いが生じることなどいくらでもある。ツナは訓練により一歩の幅を均一にできるが、一般の配信者にそんな芸当はできない。距離ひとつ取っても、素人と玄人では倍どころか三倍四倍も違うことはよくある。


 概略図が出来たところで、一旦資料との突き合わせをしようと比良坂レジャーホテルに戻る。

 迷宮内では時の流れが一定しない。この迷宮でも、入った時は夜で、巡りながら夕方、真昼と目まぐるしく太陽が遡った。


 先ほどの答えが変わっている可能性も十分にあると思い、再び同じ手順で旅籠の中を進む。

 結局、答えは変わっていなかったのだが、そうした徒労も迷宮改方あらためがたの日常だ。


 ため息をつくことすらなく、旅籠を出て比良坂宿への道を戻る。

 すると、背後に異様な気配。

 うなじがちりちりと焼けるような圧倒的殺気。


「どおりゃぁぁぁああああ!!!!」


 振り返ると、高下駄を履いた大男が怒声と共に突進してきていた。

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