第113話 比良坂レジャーランド跡ダンジョン 廃ホテル

 枯れた川をまたいで、小さな橋がかかっている。

 その先には敷石を並べた小径があり、元は日本庭園だったのだろう、その左右には雑草に埋もれた石灯籠が不規則に並び、朽ちた竹製の鹿威ししおどしらしきものの跡などがあった。


 日はとっぷりと暮れていた。

 小径の先には、糸のように細い上弦の月にかすかに照らされて、木造の建物が見える。4階建ての瓦屋根。見たところ傷みは少なく、まだ人が住んでいると言われても信じられる程度だった。

 玄関の軒先には「比良坂レジャーホテル」と筆文字で大書された看板がかかっている。


「なかなか趣のある建物にござるな」

「案外きれいに残ってるもんだなあ」

「下手なコンクリより、しっかりした木造の方が長持ちするらしいね」


 興味津々のオクを先頭に、クロガネ、ソラと続いていく。

 その途中、4階の障子窓が不意に光り、人影が映った。

 人影は長髪で、和装の男のものに見えた。


「あ、また人影でござる!」

「おう、今のは俺にも見えたぜ」

「なんか史料館で見たやつに似てるような……?」


 ソラが首を傾げるが、一瞬のことでじっくり確認できる間はなかった。

 しかし、正体不明であろうが悪霊も殴れば退散するとすでに学んでいる。

 不意をつかれて狼狽えないよう、ソラはこっそり深呼吸をした。


 入り口は開け放しになっており、中は暗い。

 クロガネが提灯をかざして入っていくと、打ちっぱなしの三和土たたきの横には下駄箱があり、上がりかまちの向こうに受付カウンターらしきものが見えた。


「土足は気が引けるけど……」


 三和土の横に据えられた下駄箱を見ながらソラが言う。


「さすがにこれじゃなあ……」


 分厚く埃を被った床を見ながらクロガネが言う。

 上がり框をまたいでのぼると、床板がぎしぎし悲鳴を上げた。まるで高下駄の歯の重みに抗議しているかのようだ。


「とりあえず、床は腐ってねえみてえだな。オク、お前もちょろちょろしてっと危ねえから、俺のあとからついてこい」


 クロガネは慎重に一歩一歩慎重に進む。

 そのたびに、床板が耳障りな悲鳴を上げる。

 床板が抜けるとしたら、ダントツで体重の重いクロガネが一番可能性が高い。逆に言えば、クロガネが大丈夫ならオクやソラも安全に歩けるだろう。


 そこそこに広いエントランスの壁には、何かのパネルが貼られていた。

 提灯を近づけてみると、「黄泉比良坂よもつひらさか伝説~比良坂の地名の由来~」というちょっとした読み物のようだった。


「へえ。そういえばここの地名って気になってたんだよね」


 ソラが興味深げに顔を近づけるので、クロガネは提灯の位置をずらして読みやすいよう照らしてやる。

 ソラはソラで、全員にわかるようかいつまみながら声に出して読み上げた。


「ええと、『この比良坂の地名は、黄泉比良坂伝説に由来する。黄泉比良坂は黄泉の国へとつながる道で、イザナギ・イザナミの伝説で知られる。島根県出雲市に黄泉比良坂とされる場所があるが、同様の言い伝えを持つ土地は日本の各所にある。日本書紀にも特定の地名を指す言葉ではなく、生死の境界を示す何かなのではないかと編者の注釈があり……』だって」

「ヨミの国とは何でござるか?」

「あの世、かなあ。死んだ人が行くところ」

「なるほど、<ケアロヒラニ>のようなものでござるな」


<ケアロヒラニ>とはピギーヘッドたちに伝わる天国の一種だ。

 ピギーヘッドたちはたとえ命を落としても復活するダンジョンのモンスターであるが、どういうわけか死者の魂という概念も存在している。考えてみれば奇妙なことだが、この場でそんなことを気にする人間はいなかった。


「で、どうする? 最初の史料館みてえに順路があるわけでもねえが」


 パネルの横にあった案内板を見てクロガネがつぶやいた。

 それによると1階は食事処と宴会場、それに大浴場。

 2階から上はすべて客室になっているらしい。

 史料館のようにとくに見どころがある施設とは思えなかった。


「とりあえず最上階へ向かいましょう。高いところからの絵もほしいですし」

「おう、わかったぜ。階段はあっちだな」


 案内板で位置を確認したクロガネが先へと進む。

 相変わらず床が悲鳴を上げているが、抜ける心配はなさそうだ。


 折返しの階段をゆっくりと上っていく。

 古い建物にありがちな急階段で、倒れたら下まで転げ落ちてしまいそうだ。

 クロガネの巨体が落ちてきたら、オクとソラも巻き込んでしまうだろう。

 万が一にも踏み外さないよう、手すりを持って慎重に足を運ぶ。


 それでも、たかだか4階の建物だ。

 2階、3階をすぐに通り過ぎ、あっという間に最上階についた。

 ついた――はずだったのだが。


「なんだ? まだ上があるぞ?」


 階段は4階で終わらず、まだまだ上に伸びていた。

 不思議に思って振り返るが、アカリも小さく首を振っている。

 どうやらアカリも知らなかった情報らしい。


「どうせなら上れるだけ上ったらよいのではないでござるか? 高いところの方が眺めもよいでござろう」

「それもそうか」


 見た目は廃墟となった遊園地だが、ダンジョンなのだ。

 そういうこともあるだろうとあまり深く考えず、クロガネはさらに上を目指して階段を上っていく。

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