第111話 比良坂レジャーランド跡ダンジョン メリーさんのひつじ

 草むらにうずもれるように、何かの屋根が見えてきた。

 扁平な円錐形の骨組みに、破れた布がところどころにこびりついている。

 往時は柔らかく日を透かしていたのだろう。しかし、いまは建物の白骨死体とでも呼ぶべき惨めな姿を晒していた。


 その下に、何頭もの動物たちが円を描いている。

 半数は馬だ。大きさはポニーよりも小さいが、体型はサラブレッドのようにすらりとしている。

 残りは様々だ。長い鼻のゾウがいる。王冠をかぶったライオンがいる。とぼけた顔のパンダがいる。首の長いキリンがいる。大きな尻尾のリスがいる。うずまき角のヒツジがいる。


「あ、メリーゴーランド!」


 史料館を出てから息も絶え絶えだったソラも、少し元気を取り戻した。

 オクたちピギーヘッドや、ダンジョン銀行のウサギ頭取と出会ったときの反応からもわかるとおり、ソラはかわいいものが好きなのだ。目の前のメリーゴーランドは風雪に晒させて劣化はしているものの、デフォルメされた動物たちは丸っこく、不気味さはあまりない。


 中央に立つ柱にはあまり劣化がないことも要因だろう。

 大理石調の素材で、ローマの遺跡にあるような彫刻がかたどられており、八角柱のそれぞれに鏡がはめ込まれている。鏡にはサビも浮いておらず、あたりの景色をきれいに写し取っていた。


「そういえば、こういうのって乗ったことなかったなあ」

「ん? そうだったか?」


 ソラのつぶやきに、クロガネが一瞬表情を曇らせる。

 数えるほどではあるが、幼いソラを遊園地に連れて行ったことぐらいはあるのだ。どれに乗れ、どれに乗ってはいけないなどとうるさく口を出した記憶もない。


「あっ、ごめんごめん。クロさんが悪いとかじゃなくて、あたしって遊園地じゃジェットコースターとかそういうのばっかり乗ってたじゃん」

「そういやそうだったな。タカさんなら一緒に乗れたんだろうがなあ……」


 後悔があるとすれば、一緒に乗ってやれなかったことだ。

 その巨体ゆえに、どの乗り物も乗車を拒否されるのだ。座席に身体が収まりきらなかったり、安全バーが締められなかったりするのだから仕方がない。


 ソラの亡父である風祭鷹司であれば、そんなことにはならなかったろう。

 身長はクロガネとほとんど変わらなかったが、体重は100kgに満たずプロレスラーと言うより総合系の選手のような体型をしていた。その均整の取れた肉体美から放たれる空中殺法は、超日の女性ファン取り込みに大いに貢献したと言われている。


「これなら一緒に乗ってもよいのではないでござるか? 親子・・のよい記念になるでござるよ」


 オクの言葉に、クロガネの片眉がぴくっと吊り上がる。

 クロガネは鷹司の忘れ形見としてソラを引き取り、父親として責任を果たすべくソラへと愛情を注いできたつもりだ。ソラはソラで、クロガネを父と呼ぶことはないが、その愛情は理解しているし、尊敬も感謝もしている。


 なので、クロガネが父親ぶりたいそういうモードに入ったときには、なるべくそれに付き合っている。クロガネ自身がそれを言葉にすることはないが、顔を見ればまるわかりなのだ。


「そ、そうだな。せっかくだから乗ってみるか。ソラは何がいい?」

「うーん、それじゃあたしはこのヒツジに乗ろうかな」


 というわけで、今回も付き合う。

 メリーゴーランドなんて平和な遊具にまつわる怪談もないだろう。

 半ば休憩のつもりで、デフォルメされたヒツジの背に座る。


 さすがにまたがりはせず、足を揃えた女座りだ。

 スパッツを履いているとはいえ、浴衣でそんな無作法はしない。

 つい先ほど逆立ちしたうえに大股を開いて動く人形を蹴りまくったことは心の棚に置いておく。


「じゃあ、俺はこいつにしてみるか」


 クロガネが選んだのは、ソラの斜め後ろのライオンだ。

 別段、ライオンが好きということではないだろう。

 娘を見守る父親としての役割を果たしたいのだ。


 その律儀さに、ソラは思わずくすりと笑ってしまう。

 それと同時に、クロガネを父と呼んでやれない申し訳なさも感じる。

 ソラにはソラで、クロガネの人生を縛ってしまっているのではないかという負い目があった。


 クロガネがプロレスを愛していることは疑いがない。

 しかし、WKプロレスリングはどうか。そして自分自身はどうか。

 父との約束を果たすための重荷になっているのではないか。


 ソラが大学への進学を考えないことにも影響がないとは言えない。

 女子プロレスラーとして一本立ちできれば、少なくともソラという荷物を下ろすことができるのではないか。そんなことも思ってしまうのだ。


 クロガネを父と呼べば、いま以上の鎖となってクロガネの人生を縛ってしまうのではないか。

 そういう後ろめたさが、ソラの中にはある。


「ふごごごごごご!」


 メリーゴーランドが動き出した。

 声の元を見れば、顔を真っ赤にして外周の支柱を押すオクの姿。


「せっかくでござるからな! 動いた方が面白いでござろう!」


 オクには二人の関係を話したことはない。

 単純に親子だと思っている。

 あえてそれを否定することも心苦しい。

 複雑な感情が押し寄せてきて、ソラの目尻がうっすら濡れる。


「おっ、パワーがついてきたんじゃねえか? おら、もっと腰入れろ!」

「こ、こんなものは軽いものでござるよっ……!」


 後ろではクロガネがオクに発破をかけている。

 たぶん、自分は考えすぎなのだろう。

 クロガネは自分がどうしようと、きっとその道を応援してくれる。

 ありのままであることが、きっと一番の恩返しになる。


 手首のシュシュに隠したパワーアンクルの重さを感じる。

 打倒アトラス猪之崎――いや、本当に自分が目指しているものは、その先だ。

『最強を継ぐ者』――父はそう呼ばれるプロレスラーだった。


 最強。

 それこそがソラの目指す道。

 女子だ、体重差だ、ルールの違いだ。

 そんな雑音を一切廃したその先の世界。


 クロガネさえも、乗り越えなければならない道。

 その道を進むことこそが、本当の意味での恩返しになる。


「ソラさーん! 鏡! 鏡見て!」


 アカリの声に、ソラは中央の柱に据えられた鏡を見る。

 鏡の中に青白い顔をした、虚ろな目をした女の子が映っている。

 一枚。また一枚。回転木馬が廻るたび、コマ送りのように近づいてくる。


 鏡から身を乗り出して、ソラに迫ってくる。


 拳が一閃。

 アンクルの、拳の重量を投げるように放り出した、脱力の果ての音速。

 それが亡者の顔を貫き、霧散させる。


「このメリーゴーランドには、『メリーさんのひつじ』という都市伝説がありまして、乗ってはいけない動物がいると……ってそういう話だったんですけど……」

「ん、ごめん。クロさんが楽しそうだからさ」


 最強を目指すのならば、いつかまみえねばならぬ宿敵・・

 乗り越えたのなら、自分はクロガネの重荷ではなくなるだろう。


 勝ち負けではない。

 リングで戦うに値する自分にならねばならないのだ。


「でもさ、いま・・はね」


 オクと言い合うクロガネを見ながら、ソラはにっこりと微笑んだ。

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