第106話 比良坂レジャーランド跡ダンジョン ブランコ

 風はねっとりと止まっている。

 深く息を吸えば、肺の奥まで緑に染まるような草いきれ。

 じっとりと重たく湿った空気を、横に3つ連なったブランコの座板が不規則にかき混ぜていた。


「おお、懐かしいな、これ。いつも行列で乗れなかったんだよ」


 クロガネの凶相に、子どものような笑みが浮かぶ。

 揺れる鎖を、大きな手のひらでガチャリと掴み、その動きを停めた。


「ちょっ、クロさん、何してんの!?」


 素っ頓狂な声で驚くのはソラだ。

 風もなく、無人で揺れるブランコなど、ソラからすれば不気味でしかない。ホラー映画のワンシーンにでもありそうな光景に見えていた。


「何ってこともねえがよ。ちょっくら乗ってみようかって思ってな」


 クロガネが高下駄の一枚歯をブランコの座板に乗せる。

 しかし、なかなか安定しない。下駄の歯に体重を乗せると、座板は逃れるようによじれてしまう。二度、三度と足をかけ直し、ようやく片足が乗った。


 しかし、もう片足を乗せようとしても、もうスペースがない。

 クロガネの身体が大きすぎるせいだ、子供向けに作られたブランコでは、片足を乗せただけでほとんどいっぱいになってしまった。左右に垂れた鎖を広げて身体をねじ込んでみるが、片足立ちで半身で乗るのが精一杯だった。


「師匠、それでどうするつもりなんでござるか?」


 ブランコに横乗りするクロガネに、冷たい視線を送るのはオクだ。

 わざわざオクが言わずとも、子供用のブランコに、四十路手前の大男が無理やり乗っている姿は滑稽でしかない。


「どうするって言われると、まあ、その、別になんてこたぁねえんだが……」


 クロガネは気まずげに短髪をぼりぼりと掻く。

 懐かしさでつい乗ってみただけで、やりたいことなどは本当に何もないのだ。


 照れ隠しに、無理やり身体を左右に振ってブランコを動かしてみる。

 赤錆びた鎖がぎちぎちと悲鳴を上げ、ブランコが前後に揺れた。気のせいか、ブランコを支える鉄骨の骨組みも根本からぐらついているようだった。


 いや、気のせいではないかもしれない。

 もともとは、せいぜい体重40kgにも満たない小学生以下の子どもを3人乗せることを想定して作られているのだ。ひとりだけで130kgを超えるクロガネは、明らかに想定を超える存在である。

 そのうえ廃園から20年以上を経ている遊具なのだ。まともに支えられなかったとしても無理はない。


「このブランコって、何か訳ありってやつなんじゃないの……? 風もないのに動いてたじゃん……」


 ブランコに乗るクロガネを横目に、ソラが浴衣の袖を指先でさすりながらつぶやく。

 このブランコは、普通の公園にあるものと比べて何倍も大きい。ちょっとした風でも動きそうなことはわかる。


 しかし、辺りの空気は重い湿気をまとってどんよりと動かぬままで、伸び放題の雑草もかさりとすら音を立てない。乾ききらない汗が薄い膜となって、肌をべったりと覆っているかのようだった。


「そうなんです。じつはこのブランコにはとある噂がありまして……」


 待ってましたとばかりに、アカリが言葉を引き継ぐ。


「このブランコ、普通では考えられないくらい大きいですよね。だから、この比良坂レジャーランドの代名詞的存在でもあったんです。なので、訪れた子どもたちはみんな乗りたがったそうなんですねえ。でも、それがあんな悲しい――」

「ちょっ!? なんで急に怪談風!?」


 焦るソラを無視してアカリはさらに言葉を続ける。


「親子連れだったそうです。母ひとり、娘ひとり、生活は苦しいけれども、仲の良い母娘おやこだったそうです。余裕のない毎日でしたが、お母さんには、パートの仕事先で恋人ができたんですね。でも、その恋人は子どもは欲しくなかった――」

「やめて!? めっちゃ怖いやつでしょそれ!?」

「加奈子ちゃん――その娘さんの名前ですね。男の人が言ったんです。冗談めかして。『カナちゃんがいなければ、結婚してたんだけどな』 それを聞いたお母さんは、すっかり本気にしちゃった。本当はその男の人、奥さんもいて。カナちゃんのことは、それ以上深い関係になるのを断るための口実だったんですが――」

「ちょっ、ガチなやつじゃない!? それ!?」


 ソラが身をかがめ、耳をふさぐ。

 しかし、アカリは容赦なく話を続けた。


「それで、とうとう思い詰めたお母さんは、カナちゃんをつれて、この比良坂レジャーランドに来たんですね。何しろ、あんなおっきいブランコだ。ちょっとした事故くらい、あったっておかしくない――」

「おかしいって! 遊園地のものはちゃんと安全対策されてるから!」

「せめて、逝く前に、楽しい思いをさせてあげたい。そんな親心もあったのかもしれません。お母さんは目一杯加奈子ちゃんの背中を押して、押して、押して、押して、押して……たわんだ鎖が、加奈子ちゃんの首に絡んじゃった――」

「狙ってるじゃん!? それ狙い通りじゃん!?」

「それ以来、ここには――」


 アカリの視線が、ソラからクロガネへと移る。

 クロガネの上。

 ねじくれた鎖。

 ぶら下がる、青い顔の女児。

 ぐったりと垂れ下がる四肢。


 それが、クロガネの揺らすブランコと共に――ゆらゆら、ゆらゆら――


「なるほど、それがしの出番でござるな」


 なぜか自信満々に、懐手ふところでのオクがずいっと前に進み出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る