第88話 鹿折ダンジョン第1層 <東北迷宮銀行本店>

鹿折ししおりダンジョン第1層 <東北迷宮銀行本店>


 一歩足を踏み入れると、絢爛豪華な空間が広がっていた。

 天井にはシャンデリアが吊り下がり、アンティーク調のソファーチェアとテーブルが並んでいる。床には鮮やかな真紅の毛氈もうせんが敷かれ、かなりの厚みがあるのかふわふわとしていて、足を進めると地面がなくなったかのような感覚に襲われる。


「わあ、おしゃれなとこだね!」

「明治に建てられた洋館みたいです」

「こんなん妖怪親父の家でしか見たことねえな」


 クロガネは細かな彫刻が施されたテーブルの端を指先で撫でる。

 なお「妖怪親父」とはアトラス猪之崎のことだ。猪之崎は骨董品の収集が趣味で、その自宅にはこういった家具や調度が無数にコレクションされていた。趣味そのものにはまったく共感できなかったが、搬入や手入れを何度も手伝わさせられたおかげで、なんとなくの審美眼は身についている。


 部屋の奥にはカウンターが設えられており、中には誰もいない。

 カウンターの上には真鍮製の卓上ベルが置かれていた。

 クロガネがそれを手に取って軽く振ると、ちりーんちりりーんと風鈴に似た音が静かに響き渡る。


 すると、上の方からとてとてと何かが走る足音が聞こえてきた。

 音は正面から右手に周って近づいてくる。部屋を囲んで階上につながる階段を、何者かが下りているのだ。


「ヤァヤァヤァ、お客様。ようこそ当行にいらっしゃいました。お飲み物はコーヒー、紅茶、それとも日本茶がよろしいでしょうか? おすすめはコーヒーですな。こう見えて小職、コーヒーには少々うるさい方でして」

「わあー、かわいいー!」

「むむっ、お嬢さん。喜んで頂けるのは甚だ至極恐悦ではありますが、抱き上げるのはご容赦願えますかな?」


 階段を下りてきたのは、直立歩行する白いウサギだった。

 ウサギはチョッキを羽織っており、金縁の片眼鏡モノクルをかけている。


「あ、ごめんなさい。つい抱っこしちゃった」


 ソラはてへへと笑ってウサギを床に下ろす。

 身長はソラの腰ほどで、ピギーヘッドよりもさらに一回り小さかった。


「あー、うちのがすまんな。あんたがここの行員さんってことでいいのかい?」

「おおっと、これはこれは小職としたことが大変失礼を。申し遅れましたが、小職は<プーカ>と申す者。この東北迷宮銀行本店の店長、そして当行の頭取を拝職しております」

「頭取? 頭取って、銀行の社長みたいなやつか?」

「ええ、左様でございますな。汗顔の至りではございますが、天の配剤によりまして当行に奉職致すこととなり、奇々怪々なる巡り合わせによりまして、頭取を務めさせていただくことと相成った次第でございます」

「お、おう。そりゃ大したもんだな」


 早口でまくしたてる<プーカ>に、クロガネは思わず半歩下がる。

 これなら<ダンジョンマーケット>の無愛想なゾウ店員の方がまだマシかもしれない、とまで思ってしまった。


「さてさて、当行にはどんなご要件で? と、その前にお飲み物は? コーヒー、紅茶、日本茶とございますが、おすすめはコーヒーですな。こう見えて小職――」

「あー、コーヒーで頼む」


 クロガネは<プーカ>の言葉を遮り、コーヒーを頼む。

 また長口上をされては話が進まない。


「おお、コーヒーでございますな。それはお目が高い! 豆の種類はグァテマラ、マンデリン、ブルーマウンテンなど取り揃えておりますが――ああっ、お任せくださる。それは責任重大でございますな。それでは淹れて参りますので、どうぞどうぞおかけになってお待ち下さい」


<プーカ>はスイングドアを通ってカウンターの奥に消えていった。

 おそらく給湯室でもあるのだろう。


「頭取が自分で茶を淹れるのか……」

「人手不足なんですかね?」

「そもそもなんでウサギが銀行員なんてやってんだ?」

「わかんなけど、カワイイからいいんじゃない?」


 クロガネたちは手近な席に腰を落ち着けて雑談で時間を潰す。

 革張りのソファーチェアは張りがあり、クロガネの体重を支えても軋みもしない。どうやら見た目だけでなく、作りもしっかりした一級品のようだった。


「お待たせ致しました。さあさあ、どうぞどうぞお召し上がりください。砂糖とミルクはこちらにございますのでお好みで」


<プーカ>が戻って来て、三人の前にコーヒーカップを並べる。

 金彩で縁取られたカップにはウサギの柄が、ソーサーには緑の絵柄が描かれていて、セットにすると草むらにウサギが佇んでいるように見えた。


「いい香り! なんだかリッチな気分だね!」

「うん、おいしいです」

「ダンジョンでのんびりコーヒーを飲むなんてなあ……いや、それはいまさらか」


 これまでもダンジョン内の屋台を利用しているし、ピギーヘッドたちのところではモンスターが作ったものを散々飲み食いしている。

 配信を始めてからの経験の数々で、クロガネがダンジョンに抱いていたイメージはいまでは大きく変わっていたのだった。


「お口に合いましたようで何より。それでお客様、本日は当行にどんなご要件で?」

「ああ、口座の開設に来た」

「ほほう、口座の開設に!」


 ウサギの髭がピンと立つ。


「あの話題騒然、人気沸騰、迷宮震撼、空前絶後の破界者はかいもの。新進気鋭の遅れてきたルーキー、飛ぶ鳥も落とす勢いのクロガネ様に口座を作っていただけるとは光栄至極でございますな」

「なんだ、俺を知ってるのか?」


 自己紹介をするまでもなく名前を言われ、クロガネは少し驚いた。

 配信は相当な再生数となったらしいし、どれかを見ていたのだろうか。


「もちろんもちろん。ピギーヘッドのミゼットプロレス、小職も手に汗握って拝見しておりましたぞ。我らのような弱小種族には胸のすく試合でありましたよ。小職も思わず昔の血が滾ったものでございます」


 そう言うと、<プーカ>はにいと笑う。

 銀光を放つ鋭い牙が、唇の端からちらりと覗いた。

 クロガネは無意識に自分の首筋へ手を当てる。

 一瞬、何か冷たいもので撫でられたような悪寒が走ったのだ。

 それを見て、<プーカ>は嬉しそうに目元を緩ませる。


「ハハハ、いやはや、さすがはクロガネ・ザ・フォートレス。勘の方もまことに鋭くいらっしゃる。それにしても、小職がもう少し若ければ、プロレスリングなるものを習ってみたいものでしたな」

「ジム会員ならおじさんおばさんも普通にいるよー。って、うさちゃんってお年寄りだったの?」

「ええ、年寄りも年寄り。年かさだけを見込まれて奉職が叶ったようなものでありまして、亀の甲より年の功などと申しますが、兎ではいかんともしがたいところでございますな」


 どうもわかりづらい冗談を言う<プーカ>に、クロガネは苦笑いで返す。

 ソラは勧誘が断られたことを素直に悔しがっているようだ。


 そういえば、道場で動物を飼うことはこれまでなかった。

 せっかく建て直すのだから、ウサギくらいは飼えるように間取りを考えてもいいかもしれない、と思った。ソラが動物好きなことぐらいはちゃんと知っているのである。


「さて、脱線してしまいましたが、口座をお作りになられるということで、それは普通預金、当座預金、定期預金……あるいは特別預金。どちらがご希望でございましょう? 特別預金は普通、長い審査がかかるものですが、申込者があのクロガネ様であり、かつ小職は非才ながら頭取の身。即日開設もできないことはございません。もちろん無条件に、というわけには参りませんが」

「特別預金? なんだそりゃ?」


 耳慣れない言葉に首を傾げるクロガネに、<プーカ>が金縁のモノクルを光らせて答える。


「いわゆるVIP専用の口座でございますな。金利も優遇されておりますし、融資枠も最低1億DPが保証されますよ」

「い、1億!?」


 クロガネは思わず大声を上げてしまった。

 ソラもアカリも目を丸くしている。


 DPダンジョンポイントはほぼ日本円と等価だ。1億円分の融資枠など、地方のプロレス団体には考えられない厚遇である。もちろん、返さなければならない借金なのだが、大きな投資に打って出ることもできるし、今回のような急場をしのぐ手段にもなる。


 クロガネはごくりと唾を飲み、返事をする。


「特別口座とやらで頼むわ。で、条件ってのは何だ?」

「ハハハ、さすがはクロガネ様。そう来なくては」


<プーカ>のかけるモノクルの奥の、赤い瞳が妖しく輝いたように見えた。

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