第87話 ダンジョン銀行へ行こう!

■宮城県気仙沼市


 県道34号線。

 山間を蛇行する二車線道路を1台の軽トラックが北上していた。

 対向車とすれ違うときはやや減速。歩道もろくになく、もし大型車が来たのなら路肩の草むらに乗り上げて避けなければならないだろう。


「ったく、なんで口座を作んのにわざわざこんなとこまで来なきゃならねえんだ」

「仕方がないじゃないですか。<神社>は出禁になっちゃってますし」


 助手席に座るのはカメラを構えた眼鏡の女――水鏡みかがみアカリだ。

 配信をしているわけではない。こうした何でもない移動風景も、素材として使えることがあるのだ。アカリは狭い田畑と背の高い森に挟まれたこの道を案外気に入っていた。


「空気がおいしいじゃん! たまにはこういうとこにだって来ないと!」


 荷台で大声を上げる少女は風祭かざまつりソラ。

 ミディアムヘアに切りそろえた亜麻色の髪が風にたなびいている。

 正木邸の火事で傷んだ髪は<アイナルアラロ>の温泉では結局治らず、毛先をばっさりカットしたのだ。ついでに軽くブリーチし、透明感のある茶髪になっている。


「空気がうまいねえ……。うちの道場だってたいがいな場所にあるんだがな」


 ハンドルを握ってぼやくのはクロガネだ。

 片手でぼりぼりと短く刈り揃えた黒髪を掻く。

 WKプロレスリングの道場は仙台市内ではあるものの山際にあり、しばしば猪が現れるような場所なのだ。それこそ一歩外に出れば、嫌でも森も田畑も目に入る。クロガネの感性では、いまさらどうとも思わない風景だったのだ。


「せっかくならもっと便利な場所に引っ越しちゃえばー!」

「馬鹿野郎。上物うわものだけでいくらかかると思ってんだ。基礎固めだけで千万単位でかかってんだぞ」

「えっ!? うちの道場ってそんなお金かかってたの!?」

鷹司タカさんがアメリカを荒らし回って稼いだ賞金をほとんど注ぎ込んだからな。立地だって何にも考えてねえわけじゃねえ。大声を出そうが何をしようが近所に迷惑かけねえ場所を探したんだよ」

「へー、そうなんだ! ぜんぜん知らなかった!」


 道場を建てたのは十年前に超日プロレスから独立する少し前。

 ソラがまだ小学校に上がったばかりの頃だ。

 道場建設などの小難しい話を聞かせるわけもない。

 込み入った事情はほとんど知らないままだったのだ。


「っつーわけで、道場はあそこに建て直すしかねえんだよ。はぁ、こんなことなら迷宮保険に入っときゃよかったぜ……」

「火災保険の特約なら月数百円しか変わらないですもんね」


 迷宮保険とは地震保険の親戚のようなものだ。

 規約をどう解釈しても、迷宮災害による被害は既存の保険契約には含まれない。そのため、迷宮発生から数年を経て誕生した。その頃には迷宮災害も下火になっており、加入率は1割未満と低い水準で推移している。

 クロガネが迷宮保険が入っていなかったのはごく一般的なことではあった。


「建て直しって、いくらかかるのー!?」


 荷台からソラが無邪気に尋ねてくる。

 クロガネは顔をしかめてそれに応じた。


「三千万か、四千万か……。建てたときは三千万を少し切るくらいだったがなあ」


 ダンジョンの発生以来、世界情勢は不安定だ。

 日常生活で感じるレベルでは食料品や日用品の価格がいくらか変動した程度だが、鉄鋼や木材などの相場はかなり上がっているらしい。クロガネもニュースなどを通じてなんとなくは知っていたことだが、我が身に降りかかるまではそれがどういう意味なのかは理解していなかった。


「うわっ! そんな大金が要るんだ!」

「再生回数はかなり伸びてますから、相当なDPが積み上がってるはずですが……全額を賄えるかはわからないですね」


 アカリはカメラを持ちつつも、器用にタブレットを操作する。

 そこにはWKプロレスリングの累積再生数のグラフが表示されていた。

 文字通りの海老反りで増えているのだが、DPダンジョンポイントの算出式は非公開であり、774プロで経験を積んだアカリでも正確な値は弾き出せない。


「ともあれ、<銀行>に行って口座を作ってみないことにはわかりません。DP口座を持っていないとは思わなかったので、完全に見落としていました……。申し訳ありません」

「あー、こっちこそ悪かったよ。配信で稼ごうなんてこれっぽっちも考えてなかったからな」


 頭を下げるアカリを、クロガネは頭をぼりぼりと掻きながら止める。

 思い返してみれば、コンビニやスーパーでDP決済なるものを見かける機会はいくらでもあったのだ。どことなく胡散臭さを感じて手を出さなかったのはクロガネの問題だと言える。


「クロさん、電子マネーもクレカとかも嫌いだもんね!」

「嫌いってわけじゃねえ。よくわかんねえだけだ」

「そういうのは食わず嫌いって言うらしいよ!」


 ソラの減らず口に、クロガネは「むう」と口をつむぐ。

 リング上での舌戦ならともかく、クロガネはもともと口が回るタチではないのだ。ソラが子どものころから、言い合いになると負かされるのはクロガネの方だった。


「ポイントも貯まるし、便利なんですけどね」

「お財布の小銭も増えないし!」


 クロガネを置いてけぼりに、女子二人は電子マネーのお得情報などの話に花を咲かせている。それを聞き流しながら、クロガネは黙って運転に集中していた。


 代わり映えのしない山道を進んでいるとやがて看板が見えてくる。

 それに従いハンドルを切り、狭い道に入っていく。

 アクセルを緩め、プレハブの建物の横にある狭い駐車場に軽トラックを停めた。


「ふう、やっと到着だな」

「盛岡や会津に行くよりもずっと近いですよ」

「金山の跡っていうからもっとピカピカなのかと思ってたなあ」


 荷台からソラが飛び降り、クロガネとアカリも車を降りる。

 その目の前にあるのは、【鹿折ししおり金山資料館(宮城県指定鹿折ダンジョン入場口/東北迷宮銀行本店はこちら)】という看板を掲げた小屋だった。

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