第78話 市街戦

■仙台市真央区1丁目 正木邸前


 警官隊による非常線を易々と突破した異形の竜は、林立する高層ビル群を抜けて真央区の中心部へと差し掛かっていた。

 電柱は埋設され高い建造物はなく、舗装したてのようにまっさらな道路が延々と続く土塀に挟まれて伸びる一角。

 すなわち、正木邸の在所である。


「いいか、野郎ども! 甘貸志あまがしのメンツにかけてここで食い止めるんだぞ!」

「へいっ、カシラ! しかし、組の名前を大声で叫んでいいもんで?」

「おっと、うっかりしてたぜ。正木のお館は俺たちクープナイブス・セキュリティの一等顧客だ! 死んでもあのバケモンを通すんじゃねえぞ!」

「承知しやしたっ!」


 道路には装甲車が並び、その後ろには百人を超える黒服の男たちがいた。

 手に手に自動小銃、大口径ライフル、果てはロケットランチャーまで携え、軍隊さながらだ。


 ――否、軍隊そのものである。


 株式会社クープナイブス・セキュリティはいわゆる民間軍事会社PMCだ。

 ダンジョン発生を期に、日本では民間軍事会社が合法化されていた。ダンジョンからモンスターが溢れ出る氾濫スタンピードと呼ばれる現象が頻発し、既存の警察力や自衛隊では対応が間に合わなくなったためだ。


 認可には厳しい審査があるが、一度認証を得れば兵器や装備の所持にかなりの自由が許される。

 当然、通常であれば反社会的勢力である甘貸志あまがし会にそんな認可が下りるはずはない。

 だが、正木家の権力がその無理を押し通していた。


 正木家は「クープナイブス・セキュリティの一等顧客」と言われていたが、何のことはない。

 事実上の創設者であり、オーナーなのだ。正木家に逆らえばPMCの認可は取り消され、せっかく手に入れた武力を失うことになる。甘貸志あまがし会は正木家を利用しているつもりだが、現実に急所を握られているのは甘貸志あまがし会の側だった。


「ま、これだけの装備があってどうこうってこたぁねえだろうがな」


 黒服の男は、己の手にした自動小銃を撫でる。

 強靭なモンスターに対抗するために開発された新式で、口径は大きく、弾丸には魔法的な処理が施された合金を使用している。たとえ大型のヒグマが相手だったとしても、ただの一発でミンチに変える威力を持つ銃だ。


 それだけではない。

 ここに集められているのは最新鋭の兵器ばかりだ。ただ金を積めばよいわけではなく、正木家の権力がなければ到底入手不能なものだったろう。ひょっとすると、自衛隊の精鋭部隊、迷宮作戦群よりもよい装備をしているかもしれない。


 正木家の武器庫を初めて目にしたときは、いくらなんでも大袈裟だと内心で馬鹿にしていた。しかし、現実にこういう事態が起きるのならば先見の明があった、ということなのだろう。


『カシラぁ! もうすぐバケモンが見えてくるはずですぜ』


 装甲車内から無線が届く。

 偵察ドローンによってドラゴンの動向を逐一チェックしているのだ。


「よーし、野郎ども、ヤクをキメろ! 食いすぎてラリんなよ!」

「ひゃはっ! 待ってたぜっ!」


 カシラと呼ばれた男の指示により、黒服たちが一斉に錠剤を噛み砕く。

 通常濃度の神権侵害ラインオーバーだ。

 適量であれば半グレたちに起きたような身体の異形化は発生せず、レベルを倍増し、神経を昂揚させ、恐怖を忘れさせる効能を持つ。まさしく、兵隊を作るために理想的な薬物だ。強い習慣性や臓器への大きな負担を除けば、だが。


 震動。

 震動。

 震動。


 地面が揺れる。


 震動。

 震動。

 震動。


 揺れが徐々に大きくなる。


 道路の先に、異形の巨体が見えてくる。

 輪郭だけは首長竜のようだが、全身を覆うフジツボめいた鱗といい、眼球から垂れ下がるイトミミズの群れに似た器官といい、物語に聞くドラゴンにふさわしい神々しさなどどこにもない。

 不快、嫌悪、悪夢、災禍、陰惨、恐怖、冒涜、不安、酸鼻、惨烈、怨嗟。

 ありったけの負をすべて混ぜ合わせ、無理矢理に押し固めたような姿。


 先ほどまで高揚していたはずの黒服たちが息を呑む。怯えだ。

 神権侵害ラインオーバーを服用させたのはこの状況に対応するためだ。

 民間軍事会社などと体裁を調えてみても、一皮むけば元はただのチンピラ。

 ダンジョンで実地訓練を積ませレベルを上げてはいるが、命懸けの状況で体を張れるものなど一人もいない。

 だからこそ、恐怖を忘れさせる手段が必要だったのだ。


「いいかあ、焦ってお漏らしするんじゃねえぞ! 早漏野郎は嫌われっぞ!」

「ぎゃはははは!」


 カシラの冗談に笑いが起こる。

 馬鹿どもを煽るには、下品なジョークに限る。

 カシラと呼ばれる男はそれを知っていた。

 彼だけは他のチンピラたちとは違い、戦場経験のある本物の傭兵だった。甘貸志あまがし会が民間軍事会社を設立するにあたり、高額の報酬でスカウトしてきた人材である。


 カシラの指揮の下、黒服たちは怪獣に照準を合わせる。

 練度の低いこの連中では、着弾修正などは見込めない。

 必中の距離まで引き寄せて、全火力を一斉に投射する。

 それがカシラの立てた、作戦とも呼べない作戦だった。


 震動。

 震動。

 震動。


 一歩ごとに地面が揺れ、防壁代わりの装甲車が跳ねる。

 巨大な影が一歩、また一歩と大きく迫ってくる。

 ゆっくり動いていたものが、どんどん加速してるように感じられる。

 あまりの巨大さに、速度感覚が狂わされていたのだ。


 逃げ出す者、武器を取り落とす者、泣き喚く者などがいないのが幸いだ。

 たったひとりから恐怖は伝播し、混乱を生む。

 それを防げるだけでも神権侵害ラインオーバーとは大した薬物だった。


 残り300メートル。

 200メートル。

 100。

 50。

 20。


「ぶっ殺せーッッ!!」


 号令一下、すべての兵器が雄叫びを上げる。

 無数の銃口が、一斉に鉛の嵐を叩きつける。

 ロケット弾が白煙を曳いて飛び、爆発する。

 異形の竜が黒い爆煙に包まれ見えなくなる。


「撃ち方やめーッ!!」


 頃合いを見て、攻撃の停止を命じる。

 どれだけ強力なモンスターであっても、これだけの大火力に晒されてはひとたまりもないだろう。煙が晴れた後には、原型も留めないほどに破壊された怪獣の姿があるはずだ。


 そう信じ切っていたカシラは、次の瞬間、ひしゃげた装甲車とともに空高く舞っていた。

 百名からなる黒服たちも同様だ。

 幼児が弄んだ人形のように、首が曲がり、手足が曲がり、あるいは千切れた人体が、鮮血や血しぶきとともに夜空を汚す。

 黒煙を引き裂いて現れた長い首の一振りによって、塵埃じんあいの如く軽々と。


 彼らは着地を待つまでもなく、最初の衝撃で絶命していた。

 もし彼らの意識があったのなら、竜の背中で闘う二人の少女と、竜を追いかけてくる二人の男、そしてさらに後ろからやって来る一台の四輪駆動車を目にしていただろう。

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