第79話 正木一族の秘密
■仙台市真央区 正木邸内部 正木ヒデオの執務室
災害派遣の要請ができるのは各都道府県の知事だけだ。
これだけの騒ぎの中、自衛隊が出動しなかったのはヒデオがあえて要請をしなかったためである。
今回の迷宮災害は想定外だったが、願ってもない好機でもあった。
新兵器の実戦試験ができただけでなく、民間軍事会社が使用できる兵器の規制緩和の後押しにも使えるだろう。
少々の損失にはなったが、投資としては十分価値があるというわけだ。
「お館様、モンスターが敷地内に侵入しました」
「脱出ヘリの準備をしろ。
警備無線を聞きながら報告する秘書の黒服に、正木ヒデオは指示を出す。
避難の前に、証拠はきっちり隠滅しておく必要があった。
黒服が執務室から出ていくと、ヒデオは書棚に並んだ一冊の本の背を引く。
すると書棚が横にスライドし、壁に埋め込まれた金属製の扉が姿を表した。
虹彩、指紋、静脈を認証し、ダイヤルを回してようやく重い扉が開いた。
扉の向こうは小部屋になっており、祭壇が設えられている。
祭壇の中央には白蛇のミイラが祀られていた。
正木ヒデオはそれを手に取り、丁寧に布で包んで懐にしまう。
「ナガムシ様、しばし窮屈にさせますが、何卒ご容赦を」
ヒデオの言葉に反応するかのように、白蛇のミイラが懐でうぞりと動く。
否、たしかに反応したのだ。
白蛇のミイラは、正木家が千年以上にわたって祀る守り神の御神体だった。
正木の家は、
その歴史は約1200年前、平安時代にまで遡る。
坂上田村麻呂の東征時のことだ。
その軍勢は仙台の地で足止めを食らった。原因は一匹の
困り果てていると、一匹の白蛇が田村麻呂の夢枕に立った。白蛇は自分の願いを聞けば大蝦蟇を追い払ってみせると言う。夢のことでもあり、田村麻呂は委細も聞かずに首肯した。
明くる日、今日こそはと河原に立つと、一匹の白蛇がいた。
人間の気配を感じた大蝦蟇が川面から顔を出すと、しゃあと鳴いてこれを威嚇する。手のひらほどの小さな蛇が何をと訝しんでいると、驚いたことに大蝦蟇は退散し、二度と姿を表すことはなかった。
その晩、無事に兵を渡した田村麻呂の夢に、また白蛇が現れた。
これは神霊の使いに違いないと田村麻呂が平伏すると、白蛇は要求を告げた。
田村麻呂は二つ返事でそれを引き受けた。
その条件とは、ひとりの美しい若武者を婿として差し出すことだった。
若武者の名を正木
白蛇は見目麗しい女官に姿を変え、
こうして、蛇神憑きの家系たる正木一族が生まれたのだ。
正木家は豪族として仙台周辺を治める一方、呪術士としての顔も持った。
表向きは名家としての権力を、裏では呪術を振るって千年の長きにわたる栄華を誇ってきたのだ。正木家の伝承では、かの伊達政宗公が独眼竜を号したのも、正木家の霊験にあやかるためだったとされている。
その神通力の根源が白蛇のミイラ、ナガムシ様だ。
ナガムシ様のこれ以上の来歴はわからない。しかし、正木家にとって最も重要な――否、正木家そのものを体現する御神体なのである。
ナガムシ様を懐に収めたヒデオは、祭壇の脇のデスクトップパソコンからメモリーカードを引き抜いた。
そこには呪術の家としての正木家に伝わる秘奥がすべて収められている。
人体実験をも厭わず、積み重ねてきた研究の集大成だ。
これもまた、露見すれば一巻の終わりの機密情報だ。
呪術の研究は、ダンジョンの発生によって飛躍した。
神通力の定量化から始まった技術革新は、呪術をオカルトから科学へと変貌させた。ダンジョンに巣食う知的種族との秘密裏の交流もあり、この数年で千年に等しい進化を遂げている。
そうなると、野望がますます膨らんでくる。
ナガムシ様は土地神であり、仙台から離れるほどに力を減じる。
宮城においては絶対的な力を持つ正木家だが、中央の政界にはさほどの影響力を持っていない。他者の風下につくのが許せないヒデオの性分に、これは屈辱的なことだった。
だが、ダンジョンの力を使えば、この状況を覆せるのではと考えたのだ。
現政府の首脳陣はダンジョンの<運営>と何らかの密約を取り交わしている。
そうでもなければダンジョン関連の新法が次々と押し通されるわけがない。
ここまではわかっている。だが、その先がわからない。
そして、ダンジョンには<運営>に対抗する勢力もいる。
正木家がつながりを持っているのはそちらの側だ。
だが、こちらはこちらで警戒心が強く、まだまだ情報を引き出しきれていない。
このまま<反運営>に接近するか、あるいは<運営>に鞍替えするか、正木ヒデオは決めかねている。そんな曖昧な思惑を抱えているのだから、全面的な信頼を得られないのは当然なのだが。
そんな中<反運営>から珍しく貴重な情報がもたらされたのがつい先日のことだ。
それは魂の移植呪術。高レベルの血族を生贄に捧げることにより、その肉体を乗っ取る換魂の邪法だ。
ヒデオはまだ40代と政治家としては若く、健康面の懸念もない。
しかし、いつ何があるかわからないのがこの世界だ。
かねてから跡取りとしての器量がないと感じていたが、自分自身のスペアになるのであれば正木家のために有効活用できる。
震動。
天井からパラパラと埃が落ちる。
例のモンスターが迫っているらしい。
なぜこの屋敷が狙われるのかはわからない。
ナガムシ様や
しかし、そんなことを考えている暇はなさそうだ。
『お館様、ヘリの準備が整いました。積み込みも完了しています』
「わかった、すぐに行く。先に行っていろ」
『はっ』
無線を聞いたヒデオは、時限発火装置のスイッチを入れた。
時間が来れば、屋敷のあちこちに仕掛けた燃焼剤が発火し、すべてを燃やし尽くすだろう。正木家の不正や犯罪の証拠は一切が灰燼と化す。屋敷の建て替え費用などは、正木家の財力を持ってすれば気にするほどではない。
執務室を出て中庭へ移動する。
広大な日本庭園の一角に、ヘリコプターが駐機していた。回転するローターが巻き起こす風で、松の木が揺れ、錦鯉の泳ぐ池がさざなみを打っている。
見上げれば、夜空に異形の竜の首が伸びている。
それは蛇のようにうねり、正木の屋敷を思うがままに破壊している。
ヒデオは「化け物風情が」と舌打ちし、ヘリコプターに乗り込んだ。
そのときだった。
「てめえが飼い主だろっ! 逃げんなコラァァァアアア!!」
縁側の障子をぶち抜いて、血まみれの大男が姿を現したのは。
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