第77話 大怪獣、仙台を蹂躙す
■仙台市上空 報道ヘリコプター
「なんということでしょう! 驚くべき、恐るべき事態が眼下で繰り広げられております! 迷宮固有生物と思しき巨大な恐竜が、仙台市の街なかを我が物顔でのし歩いております! 住民の皆様は、命を守る行動を! 命を守る行動を最優先でお願い致します!」
NHK仙台支局勤務、芹沢ゆかアナウンサーはマイクを握りしめ、怒鳴るようにしゃべり続けていた。ローターの爆音にかき消されないようにするためだ。
早朝からの生放送に備え、午前3時に出社していたのが功を奏した。
この特大のネタに、即応できるアナウンサーは自分しかいなかったのだ。
芹沢ゆかは普段はスタジオ専門で、報道現場に出ることなど何年もなかった。
だからこれは、チャンスなのだ。
報道系を志望していたが、結局あてがわれたのは半ばタレント的なアイドルアナウンサー。
三十手前でも十代に見えかねない幼い容姿が男性視聴者に人気だそうだ。
噂で配属理由を聞いたとき、生まれて初めて自分の容姿を呪った。
可愛い、美人だともてはやされ、ミスコン荒らしとまで呼ばれた容姿が自分の夢を叶える上で最大の障害となったのだ。
「自動車が玩具のように踏み潰され、並木が、電柱がマッチ棒のようになぎ倒されております。これはいわゆる
国営放送の放送コードに沿うならば、ドラゴンは大型爬虫類様生物、モンスターは迷宮固有生物と呼ぶ。しかし、ゆかはあえて一般に伝わりやすい俗語を選んだ。
緊急事態で視聴者に伝わりやすい言葉を選んだ、という理由が半分。
もう半分は、この現場実況を伝説とするための功名心。
8年前の惨劇に触れたのも当然意図的なものだ。
ゆかが学生時代に日暮里迷宮災害に巻き込まれたことは、ファンならば皆知っている。計算づくではなく、心の底から漏れた言葉だと受け止められるだろう。
実際は、巻き込まれたといっても隣の区で発生した事件であり、ゆか自身は体育館に数日避難しただけという話なのだが。それを針小棒大に語ることで、あの大災害のサバイバーだという印象を世間に与えることに成功していた。
「おや、背中に人影が見えます! 二人の人影が争っているように見えますが……。まさか、このドラゴンを使役しているモンスターでしょうか!?」
怪物の背中を指差し、怒鳴る。
そこには巨大な背中をノミのように跳ね回るふたつの何かがいた。
「パイロットさん、もっと近くに寄れますか!? あのドラゴンの弱点かもしれませんよ! 報道の使命を果たすべき時です!」
インパクトが、スクープが欲しい。
それを報道の使命と入れ替えた言葉。
パイロットは一瞬固まるも、同乗のスタッフたちが全員頷くのを見て、諦めたように操縦桿を前に倒した。
モンスターの姿が徐々に拡大されていく。
おぞましい姿が徐々に鮮明になっていく。
薄暗い桃色に濡れた口腔が、びっしりと生えた人に似た歯が、喉奥にある濁った眼球がはっきり見える。
眼窩より垂れる、イトミミズを思わせる無数の細長い器官が、びちびちと蠢きながらヘリコプターに向く。
ゆかが「もっと背中の方に――」と言いかけて、途切れた。
異形の竜から伸びたイトミミズが、数え切れぬ槍の群れと化してヘリコプターと乗員を串刺しにしたのだ。
芹沢ゆかの乗るヘリコプターは、その
* * *
■仙台市真央区 国道45号線
「非常線、もっと下げられないんですか!?」
「ダメだ! ここを死守しろと言う命令だ!」
仙台市各署の警察官たちは、緊急招集に応じて国道沿いにバリケードを敷いて警戒態勢を取っていた。
パトカーを、護送車を、対暴走族向けの車両停止装置までを並べ、その後ろにはポリカーボネート製の盾を持った警官隊が並ぶ。
すぐに用意できる装備をとにかくありったけかき集めた形だ。
真央署交通安全課所属、秋山秀和警部補は上層部の理不尽な命令に苛立っていた。
真央区への侵入だけは絶対に許すなという至上命令だ。
真央区は高層マンションや商業ビルが林立し、この深夜でも営業している飲食店が多い人口密集地である。
そこを守れ、という命令だけならばわかる。
市民の安全と財産を守るのが警察の使命だ。
しかし、ただ一箇所を守るために他の地域を疎かにしてよい道理はない。
警官隊はこの1点のみに集中動員されており、他の地域への配備はほとんどない。
この意図は露骨なまでに明白だった。
仙台、いや、宮城県の警官ならば知らぬものはいない公然の秘密。
表の王にして裏の王、絶対君主たる正木ヒデオの邸宅を守るために他ならない。
無線には各所からの被害報告が上がっている。
救急と消防のサイレンが街のあちこちで木霊している。
だが、それに警察のものは混ざっていない。
秋山にはそのことが悔しくてならなかった。
何より、それでも持ち場を離れられない自分が許せなかった。
地響きが近づいてくる。
この大騒ぎの元凶が近づいてきているのだろう。
40階建ての商業ビルの上から、巨大な影がぬうっと顔を出す。
眼窩からイトミミズを思わせる器官を垂らし、人間に似た形の歯を無数に生やした顔が嗤っている。
地響き。
地響き。
地響き。
首が見え、胴体が見え、尻尾が見える。
全長は300メートルは下らないだろう。
まさしく、怪物。
否、もはや怪獣。
山が迫りくる圧。
両膝が震えている。
歯の根が合わない。
心臓が小さく縮む。
逃げ出したくなる。
だが、ここで退いたらいよいよ自分は駄目になる。
「落ち着けッッ!! 引き寄せてから発砲だッッ!!」
部下に言ったと見せかけて、自分に言い聞かせる言葉。
ホルスターからニューナンブを抜き、両手で照準を合わせる。
ぶるぶる震えて定まらない。
だが、それでいい。
的はあの大きさだ。
目隠しでも当たる。
待つ。
待つ。
待つ。
浅く呼吸を繰り返しながら。
冷たい汗を垂れ流しながら。
心臓を破裂寸前にしながら。
そのときを。
そのときを。
そのときを。
バリケードにしたパトカーが、護送車が、玩具のように蹴散らされる。
「
眼前に迫る巨大な破壊に対し、あまりにも頼りない発砲音。
フジツボのような鱗にあっさり弾き返される口径9.1mmの豆鉄砲。
怪獣はこちらを見向きもしない。
ただ無造作に足を上げ、ただ無造作に下ろし、ただ無造作に地面の染みに変えようとする。
「はは、ここまでか」
最後っ屁とばかりに残弾を頭上の足裏に叩き込む。
小石を踏んだ程度でいい。わずかな痛みでもあれば、少しは脚が鈍るかもしれない。
いよいよ、死ぬ。
覚悟を決めた、そのときだ。
「どぉぉぉっせぇぇぇえええいッッ!!」
野太い男の咆哮。
怪獣の脚がずれ、頭上を通り過ぎていく。
秋山の目に映ったのは怪獣のふくらはぎにドロップキックを決める血まみれの大男だった。
「おっ、お勤めご苦労さん! あっちに避難してる人らがいたんで頼むぜ!」
「りょ、了解しましたっ!」
眼の前に着地した男に、秋山は反射的に敬礼してしまう。
「おい、喧嘩は終わってねえぞ」
「ああン? それどころじゃねえだろが、クソ脳筋。それから後ろ、危ねえぞ」
血まみれの巨漢の背後には、またしても血まみれの巨漢。
さらにその背後から、怪獣の後ろ脚が迫っていた。
「ふんッッ!!」
もう一人の巨漢は、振り向き様に裏拳を放つ。
裏拳に弾かれた怪獣の蹄が、地響きを立ててすぐ横のアスファルトを陥没させる。
「邪魔だな、こいつ」
「てめえのペットかなんかだろ! ちゃんと躾けとけ!」
「知らん。それにうちはペットは飼わん」
「ンなこた聞いてねえんだよ! 天然かコラ!」
「人工物ではないという意味か? それなら天然だ」
「マジモンじゃねえか!」
男たちは、怪物が歩く腹の下で何やら言い争っている。
援軍に来たわけではないのか。
ああ、何をがっかりしている。
それは自分の仕事ではないか。
怪獣が通り過ぎていく。
天を覆う影が、頭上を通り過ぎていく。
二人の男たちは、それを追って走っていく。
「ご協力感謝します! おいっ、非常線はやめだ! 救助活動に向かうぞ! 責任は俺が持つ!」
保身や出世のために命令を聞くのはここまでだ。
ここからは、市民の安全を守るため、警察の使命のために動く。
今からでも救助活動を行えば、救える命がいくつもあるだろう。
パトカーは原型も留めずスクラップと化したが、奇跡的に警官隊には一人の負傷もない。動かせる人手はあるのだ。
「いや、奇跡じゃない、か」
人為をもたらした男たちの背中に、秋山は改めて敬礼を送るのだった。
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