第76話 真夜中のおいかけっこ
黒々とした天を衝く、巨大な異形が現れた。
異形どもの肉をかき集め、こね合わせた混沌の肉塊。
それは尻尾のただひと振りで、WKプロレスリング道場を倒壊させた。
赤い月に向かってゆるやかな曲線を描く長い首。
先端の頭部は不釣り合いに小さく、蛇のようだ。
胴体は丸みを帯び、象に似た四肢が生えている。
長大な首とバランスを取るためか、尻尾も長い。
総じて言えば、輪郭は恐竜のブラキオサウルスだ。
しかし、それとは決定的に異なる冒涜的な生物だった。
眼窩からは糸状の何かが束になって垂れ下がっている。
不規則にのたうち、でたらめに蠢動している。
それはイトミミズや、カマキリの腹から溢れた寄生虫を思わせた。
皮膚はフジツボに似た鱗でびっしりと覆われている。
フジツボは先端の穴から悪臭を放つ黒い粘液を噴き出している。
淀んだ泥沼で無数の死骸が折り重なって腐った臭い。
尾の先はよくよく見れば無数に枝分かれしている。
それは水死体のように青白い、人間の腕。
蠢き絡み合う、数えきれない人間の腕。
それぞれが闇雲に指を動かしてもがいている。
歩むたび、硬質の蹄がアスファルトを砕く。
歩むたび、電柱が根本からぐらぐら揺れる。
歩むたび、田に張られた水に波紋が拡がる。
進むは南東。
直線で結んだ先は仙台市の中心、真央区。
畦を踏み潰し、納屋を蹴り倒し、実った稲を蹂躙する。
一直線に進む、破壊が形を成したもの。
遠目にはゆっくりに見えるだろう。
それは巨大すぎるからだ。
実際には、常人が全速力で走るよりもずっと速い。
その背後から、追いすがる四つの人影。
「うちぶっ壊しやがったなゴラァァァ!!」
ひとつ目。
黒く刈り込んだ短髪の男、クロガネ。
「待て、喧嘩は終わってないぞ」
ふたつ目。
縮れた白い長髪の男、臥藤蛮。
「ちょっとアニキー! 待ってよー!」
みっつ目。
黒いタンクトップのツーブロックの女、臥藤ショコラ。
「いまさら逃げんのっ!? 弁償してけ!」
よっつ目。
ほどけた黒髪をたなびかせるジャージの少女、風祭ソラ。
それから遅れて、一台の自動車が追いかける。
車種はジムニー。軽自動車ながら堅牢で走破性に優れた四輪駆動だ。
「ホント、裏に停めといてよかったわー」
ハンドルを握るのは無精髭の中年男、菅原ブンヤ。
頑丈で小回りのきくこの車は、ブンヤの仕事にぴったりだった。
「一体どうしたことでしょう!? モンスターの大群に襲われ、そしてそれを操る人間との戦いとなったと思えば今度は巨大なドラゴンの出現!! 全長は百メートル、いや、それ以上はあるでしょうか!? あっ、投げ銭ありがとうございます!!」
助手席で箱乗りし、カメラを構えて実況するのは水鏡アカリ。
水玉のパジャマは自前のものだ。道場に泊まることが多いのですでに私物を持ち込んでいた。
「【今北産業】? あ、懐かしいですねそれ。三行でまとめるのは少し難しいですが――」
スマートグラスに映るコメントを読み上げ、アカリは少し考える。
「えー、謎のモンスターの群れに急襲され、道場を破壊されたクロガネ・ザ・フォートレスが怒り狂い、その元凶となったドラゴンらしきモンスターを追っているところです」
「おおーい、手伝ってんだから分け前は頼むよ」
運転席のブンヤに、アカリは黙っていろとジェスチャーで伝える。
「【追いかけているマッチョは誰?】 はい、それはこちらにもわかりません。しかし、白スーツに金バッジといういかにもな風貌でしたので、
ぼごんっと音を立て、ジムニーが崩れた用水路を踏み越える。
しかし、アカリはカメラを保持したまま動じない。
「【バンギャっぽい女の子は?】 確かにピアスだらけでヴィジュアル系バンドのファンっぽさがありますね。ヤクザの妹なのでしょうか? あっ、謎のヤクザを追い抜いて、激しく揺れる尻尾に飛び乗りました! 凄まじい身体能力! そしてバランス感覚です!!」
レンズには、ドラゴンらしき異形の尻尾に立つ女――ショコラの姿があった。
その上半身はほとんど静止している。激しくのたうつ足場の上で、膝を器用に曲げて振動を吸収しているのだ。
「アニキー! 置いてかないでよー!」
「置いてかないでよー、じゃないわよっ!」
それを追いかけ飛び移る、もうひとつの人影。
少女の人影――ソラは揺れる足場もかまわずショコラに飛び蹴りを浴びせる。
ショコラはそれをバク宙でかろうじてかわす。
「あんた、喧嘩は嫌いじゃないの!? なんで追っかけてくんのよ!」
「家をぶっ壊してくれた現行犯を追ってるのよ! 喧嘩じゃなくて、私人逮捕!」
「ガキのくせに難しい言葉しゃべってんじゃないよ!」
二人は激しい攻防を繰り返しながら、ドラゴンの背中へと登っていく。
「【いまのはスカイランナー?】 はい、スカイランナーですね。ヤクザ者と同時に現れた謎の女性を追っているようです! 足場の悪い中での目まぐるしい空中戦、これは目が離せません!!」
「しっかし、あんたもよくやるなあ。カメラマンの鑑だぜ」
アカリは再び、運転席のブンヤに黙るよう指を立て、小声で怒鳴るという器用な真似をする。
(何がなんだかわかんないですけど、めちゃくちゃ撮れ高じゃないですか! 見てくださいよこの同接数!)
アカリが片手で差し出したスマートフォンを見て、ブンヤがひゅうっと息を呑む。
(いちじゅうひゃく……十万!? 十一万!? まだまだ伸びてんじゃねえか!?)
(
(そういうところがよくやるなあって言いてえんだけどなあ……)
(それで結構です! とにかく、配信の邪魔はしないで運転に集中! 報酬はきっちり払いますから!)
(あいあい、マム)
ブンヤはおどけて敬礼をすると、運転に集中する。
ただでさえ明かりの少ない田舎道で、まともに道路も走っていない状況だ。
ハンドル操作を少しでも誤れば、横転は必須である。
混迷を極める夜の闇を、異形のドラゴンを照らすジムニーのヘッドライトが切り裂いていく。
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