第72話 ヤンキーを熱血指導する

 およそ10分前。

 クロガネは風呂を浴び終え、ようやく眠ろうとしたところだった。

 ブンヤがいつまでも意地汚く飲み続けるからすっかり遅くなってしまった。


 普段のクロガネは零時前には就寝する。

 若い頃こそ朝まで飲んでそのまま試合に出るなどの無茶もやったが、いまはそんな不摂生はしない。コンディションを保つため、規則正しい生活を心がけているのだ。


 というわけで、生活リズムを崩されたクロガネは不機嫌だった。

 そんなところへ、外で奇声が上がったのだ。

 眠りを邪魔され、その怒りは瞬時に沸点を超えた。


 玄関から飛び出すと、そこには鉄パイプやチェーン、金属バットなどで武装したヤンキーの群れ。人んちの前で何をしてやがるんだ……とクロガネの怒りのボルテージが限界を突破する。


 叱りつけながら、殴りつける。

 叱りつけながら、蹴りつける。

 叱りつけながら、投げつける。


 こういう連中は甘やかされて育ったのがいけない。

 他人が怖いものだと知らない。

 だから他人の目を気にせず迷惑行為をするのだ。

 大抵の非行は大人がちゃんと叱ってやれば治まるものだ。

 超日時代にも、WKプロレスリングにも、更生を目的に不良少年が連れて来られることがあった。性根を叩き直してやってくれ、というやつだ。最初は生意気にいきがるが、クロガネが指導・・をすれば一日も経たずに虚勢が剥がれ落ちる。


 そんなわけで、クロガネは不良少年の指導・・に躊躇がない。

 大怪我はさせないようにするが、少々の怪我・・・・・なら気にしない。

 プロの格闘技者として、素人相手に拳を振るうことはないクロガネだが、教育的指導となれば話は別なのである。


 何を勘違いしたのか、途中からソラまで参戦してきた。

 まあいい、全員ぶっ転がしたら正座で説教だ。

 ソラもいい加減2階から出入りしないようにさせなければ。

 怪我の心配などはしていないが、ソラももう17歳だ。

 多少は女らしさってものを身につけるべき年頃だろう。


 しかし、だ。

 ヤンキーどもを張り倒しながらクロガネは考える。

 女らしさとは何なのだろう。


 化粧か?

 ソラはクロガネが教えるまでもなく勝手におぼえた。

 いや、教えようにもプロレス用のメイクくらいしか教えられないのだが。


 ファッションか?

 女の、それも十代の少女にふさわしいファッションなどわからない。

 東京にいた頃は恋人がいたこともあるが、服装や髪型の変化にまるで気が付かないせいでよくフラれていた。ソラを引き取り、仙台に移ってからは女っ気などない。


 クロガネの乏しいアイデアは早くもそこで尽きる。

 クロガネが心配などせずとも、学校やジム通いのおばちゃんたちから自然に教わっているのだが、プロレスに特化しすぎた脳はそんなことにも気がついていなかった。


「わからんッッ!!」


 絶叫し、目の前のヤンキーを掴む。

 肌が爬虫類のような鱗で覆われている。タトゥーだろう。タトゥー自体に偏見はないが、若いうちから入れるのはよいことではない。タトゥーは一生付き合うものだ。入れるにしても、分別がつく年齢になってからするべきである。


 クロガネは鱗ヤンキーの腕を掴んでぐるぐるとぶん回す。

 ジャイアントスイングの逆バージョンだ。

 周囲のヤンキーを巻き込みながら3回、4回と回転し、5回目で放り投げる。

 やりすぎないよう、ほどよく手加減しているのだ。


 あくまでも、クロガネ基準のほどよく・・・・だが。


「ぶげぇっ!」「ぐぎゃっ!」「うぶぅっ!」


 そうやってヤンキーの群れを張り倒していると、離れたところで悲鳴が上がった。

 視界の先で、ヤンキーが宙を舞っている。

 白いスーツを着た男が、ヤンキーを無造作にかき分けながらやってくる。

 その様子は、ピンを弾き飛ばしながら進むボーリングを連想させた。


 近所の誰かが騒ぎを聞きつけてやってきた――わけではないだろう。

 あんな男は見たことがないし、見るからに素人ではない。


 上背はクロガネと同じくらい。

 隠し切れない筋肉でスーツが盛り上がっている。

 歩く姿も重心のブレがない。

 見掛け倒しではなく、実戦用の筋肉をまとっていることがわかる。


 そして何より――


「てめえ、ヤクザか!」


 スーツの襟についた金バッジ。

 クロガネがゴキブリよりも嫌うヤクザの象徴を身に着けていた。

 クロガネの脳裏にこれまでに起きたヤクザとの数々のトラブルが去来する。


 そして、クロガネの身体が一回り大きく膨らんだ。

 怒りによってノルアドレナリンが分泌され、心拍数が高まり、全身の筋肉に大量の血液が流れ込んだのだ。体温が一気に上がり、蒸発した汗が湯気となって立ち上る。


 巨体を捻り、弩のように引き絞る。

 引いた右拳に渾身の力を溜める。

 白ヤクザが射程に入る。


「ガキはちゃんと躾けとけッッ!!」


 太い、太い腕が矢となって解き放たれた。

 クロガネの十八番、バリスタナックルだ。

 風を引き裂く拳が白ヤクザの胸に突き刺さる。


 交通事故を思わせる鈍い衝撃音。

 白ヤクザは無惨にも撥ね飛ばされ――ては、いない。

 クロガネの拳を胸板で受け止めたまま、泰然と立っている。

 その口元には、一本のココアシガレット。

 ねぶっていたそれを、ぽりぽりと噛んで飲み込む。

 そして、歯を剥いて笑う。

 獲物を前にした肉食獣のかお


「効いた。いいパンチだ」

「はっ、そうかよ!」


 クロガネはすかさず左拳を放つ。

 今度は腹に突き刺さる。

 硬く、重い手応え。

 ゴムで覆った岩山の感触。

 白ヤクザはこゆるぎもせず、右拳を大きく引く。


「こっちの番だ」

「こいやオラッ!」


 大きな、大きな拳だった。

 幼児の頭ほどある巨大な拳。

 疵痕だらけで、ゴツゴツとした、凶器そのもの。


 その動作はゆっくりに見えた。

 海中を泳ぐような大振り。

 拳が弧を描き、クロガネの顔面に吸い込まれていく。


 衝撃音。

 またしても、交通事故の衝突音。

 肉と肉、骨と骨がぶつかり合う鈍い音が響き渡る。


「へえ」


 眠たげだった白ヤクザの目が、丸く見開かれる。

 首から上をふっ飛ばすつもりで殴ったのだ。

 己の凶器が、顔面で受け止められるという経験をはじめてしたのだ。


「効かないねえ。へなちょこパンチだ」


 クロガネは鼻血を拭い、にいっと歯を剥いて笑う。

 こちらもまた肉食獣の凶相。

 二頭の凶獣が、牙を剥き闘争を開始した瞬間だった。

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