第69話 正木一族

 仙台市真央しんおう区。

 タワーマンションや超高層商業ビルが立ち並ぶ一等地。

 そこを歩いていると、ある種の異様な空間に出ることがある。


 まず、道路が舗装したてのようにまっさらになる。

 白線にはにじみすらなく、ビー玉を置いてもひと転がりもしないだろう。

 片側2車線の立派な道路だが、行き交う車はなぜか一台もない。


 次に気がつくのは空の広さだ。

 直線で切り取られていた空が、視界いっぱいに広がっている。

 道路脇に居並んでいた高層建築の群れがなくなっているせいだ。


 さらに違和感。

 同じ景色がずっと続いているのだ。

 石垣に載った白土塀が延々と伸びている。

 塀は高く、背伸びをし、手を伸ばしてもそれよりなお高い。

 先程広く感じた景色が、途端に狭く、重苦しいものに感じられてくる。


 時間感覚を半ば失いながらも進んでいくと、やっと変化が見える。

 白土塀に挟まれた立派な門。

 脇に小さな通用門が備えられたそれはまるで時代劇のセットだ。


 だが、立ち止まってはいけない。

 中を覗こうとするなど以ての外だ。

 迂闊な真似をすれば、通用門から現れる黒服に取り押さえられ、そのままいなかったもの・・・・・・・とされる。


 さながら、地上の異界。

 怪異や魔術の介在なしに築かれた無法の王国。

 それが仙台市真央しんおう区1丁目、正木邸である。

 なお、番地はない。このひとつの屋敷だけで1丁目だからだ。


 その正木邸の一室。

 バスケットコートが易々と収まる板敷きの部屋に、金髪の少年が座布団もなしに正座していた。

 元<金愚烈怒きんぐれっど>のチームリーダー、正木ユウヤである。

 正座のユウヤの前には、壮年の男が立っていた。


「また神権侵害ラインオーバーを勝手に持ち出しおったな」

「いや、ダチがさ、どうしても要るっていうから……」


 壮年の男は角ばった細面で、額には深い横皺が走っている。

 撫でつけた髪は黒々と照っており、齢50を超えてなお衰えぬぎらついた生命力を感じさせた。

 輪郭で言えば馬のようだが、そのくせ、目つきは爬虫類さながらに冷たく我が子を見下ろしている。


 正木宗家現当主、正木ヒデオその人である。


「友人か。貸しを作った価値はあるのか?」

「あ、その、いや」

「名前を言え」


 ユウヤのかすれた声が友人の名を告げる。

 脇に控える黒服が、ヒデオにタブレットを差し出した。

 その画面には、今しがた聞いた友人の詳細なプロフィール――住所氏名年齢学校はもちろん、家族構成、親戚、資産状況その他――が表示されていた。


「自動車整備工場の息子か。工場は自前だが、抵当で雁字搦めだな。遠からず破産だな。当人は学業に優れず、スポーツの実績もない。絵に描いたようなクズだな」


 抑揚のない声が、淡々と評価を下す。


「この貸しはどう回収する?」

「どうって……」


 タブレットを見せられるが、何も考えは浮かばない。

 そもそも、たまたま盛り場で知り合っただけの悪友だ。

 何度か一緒に女を拐ったり、気に入らない相手をリンチしただけの仲だ。

 神権侵害ラインオーバーを渡したのも本当は頼まれたわけではなく、ユウヤが格好をつけたかっただけのことだった。


「馬鹿者が。こういう愚民を活用してやるのが、我が正木宗家の務めだと何度言わせる。見ろ、火災保険と生命保険があるだろう。そしてこやつはお前を恐喝し、多額の金を強請ゆすっていた。そうだな?」

「は、はい……」


 恐喝などされていない。

 だが、正木家の当主がそうだといえば、そういうことになる。


「こやつが夜遊びをしていると、実家が火事になる。可哀想に、両親は焼死。保険料が転がり込む。日頃の行いが悪かったせいだ。罪の意識に目覚めたこやつは、銀行に押さえられる前に、お前から強請ゆすり取った金を返す。そうだな?」

「はい……」


 無茶苦茶だ。

 だが、正木家の当主の言葉には、無茶も無理も存在しないのだ。


「その後はどう致しましょう?」


 脇に控える黒服が尋ねると、ヒデオは鼻で笑う。


「晴れて罪滅ぼしができたのだ。両親を追って首でもくくるんだろう」

「は、左様心得ました」


 黒服はタブレットを操作し、さっそくどこかへ連絡をする。

 先程の言葉は今夜にでも現実になるのだろう。

 たったこれだけのやり取りで3人の命が失われるのだ。

 自分は指一本動かすことはなく、ただ舌を繰るだけで他者の命運を弄ぶ。

 それが正木宗家当主、正木ヒデオの権力ちからなのだ。


「それで、だ」


 冷たい双眸が、再びユウヤを見下ろす。

 ユウヤはこれが苦手だ。

 この視線を向けられるたび、冷たい手で心臓を握られたような気分になる。


「レベルはどこまで上がった?」

「うっ……41、です」


 ユウヤは思わず言葉に詰まる。

 その答えに、ヒデオは表情も変えず溜息をついた。


「先月と変わっていないではないか。ダンジョンでは何をしている?」

「いや、最近は……ちょっと」


 パーティが壊滅し、潜れていないとは言えない。

 死んだ二人と違い、他の悪友たちはダンジョンにあまり潜ろうとしない。

 危険のあるダンジョンよりも、地上で悪さをしている方が楽しいのだ。


 ヒデオがレベルのことを言い出したのはほんの数週間前だ。

 突然のことで、ユウヤは戸惑った。

 それまではダンジョンの探索などは正木宗家の人間がやることではなく、ユウヤのダンジョン配信も息抜きの趣味として見逃されていただけだ。


 父の変心の理由はユウヤにはわからない。

 しかし、父の中ですでに決まったことなのだ。

 理由を尋ねたり、異を唱えることなどは許されない。


「なぜダンジョンに行かん」

「それは……その……」


 ユウヤは言い訳を考える。

 さすがのヒデオも、それまで何の関心も向けて来なかったダンジョン配信活動については、あまり知らないようだった。


「じゃ、邪魔をするやつがいるんだよ」

「邪魔? 何者だ」

「こいつだよ、こいつ。クロガネっていう男だ!」


 ユウヤはスマートフォンでクロガネの映像を見せる。

 そして「罠にハメられて仲間が死んだ」「装備を盗まれた」「ダンジョンに入るたびに妨害をしてくる」と思いつくことを捲し立てていく。

 話しているうちにだんだんと自分の言っていることが本当なのではと思えてくる。

 ユウヤがダンジョンに行けない原因がクロガネであることは間違いないのだ。

 だから、クロガネがすべて悪いに決まっている。

 自己正当化が始まり、次々に正しい理由・・・・・を作り出す。

 怒りがユウヤの言葉を加速させ、存在しない被害が溢れ出てくる。


「なるほど、そやつに貸しがあるのか」

「そっ、そうなんだ! 百回ぶっ殺しても足りないくらいの!」

「ふむ」


 ヒデオはゆっくりと2回、まばたきをする。

 それは爬虫類が眠たげに瞬膜を閉じるのに似ていた。

 あまり見ることのない、考える仕草だ。


「あまり世話を焼くのも考えものか。それほど憎いのなら、自ら返済させてみろ」

「えっ、俺が……?」


 それまでの勢いが消え失せる。

 クロガネと直接やり合って、勝てるイメージがまったくわかないのだ。


「うろたえるな、みっともない。兵は臥藤がとう組を貸してやる」

臥藤がとう組を……!」


 ユウヤの表情が明るくなった。

 臥藤がとう組といえば、東北一帯で最大勢力を誇る、広域指定暴力団甘貸志あまがし会の実戦部隊だ。構成員こそ少ないが、組長は素手喧嘩ステゴロ無敗と言われる侠客であり、その実妹も<必殺>の二つ名を持つ一流のヒットマンだという。


 プロレスなど、所詮はお遊びの格闘技もどきだ。

 実戦を日常とする本物・・とやりあえばひとたまりもないだろう。

 ユウヤの口元が、醜く歪んだ。


「手数が足りなければ適当に用意しろ。いいな、絶対に貸しは取り立てろ。それが正木宗家の嫡男のあり方だ」

「わ、わかりました!」


 ユウヤの脳内には、さっそく残虐な妄想の数々が浮かんでいた。

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