第68話 神権侵害《ラインオーバー》

 WKプロレスリング道場兼自宅。

 その食堂で3人の男女がくつろいでいた。


「いやー、なんだかここでご飯を食べるのもひさびさですね」


 缶ビール片手にノートパソコンを叩いているのは眼鏡の女。

 WKプロレスリングチャンネルのプロデューサー兼カメラマンを務める水鏡みかがみアカリだ。ピギーヘッドから土産にもらったマカデミアナッツに似た何かをつまんでいる。


「ひさびさって、たった一週間なんだよね。もう1ヶ月は経ったような気分」


 これに応えるのはコーラ瓶片手の小柄な少女。

 高校2年生にして正義役フェイス悪役ヒールのふたつの顔を持つ女子プロレスラー、風祭ソラだ。父から受け継いだ遺産により、WKプロレスリングの筆頭株主でもある。


「俺は毎日帰ってたから何の感慨もねえがなあ」


 3本目の缶ビールを早くも空にし、片手で石ころのように小さく潰す巨漢。

 WKプロレスリングの社長を務める黒鉄くろがね鋼助こうすけである。<アイナルアラロ>との行き来が大変ということで、ソラとアカリは現地に泊まり込んでいたが、クロガネは毎日律儀に帰ってきていたのだ。


 長期間留守にしていると張り付いているマスコミが何をするかわからない。

 留守宅に忍び込んで家探しをするかもしれないし、隠しカメラや盗聴器を仕掛けられるかもしれない。五行娘娘ウーシンニャンニャンの一件以来、マスコミへの不信感がつのっているのである。


 だがこれは思いがけぬ効果も生み出していた。

 ピギーヘッドの練習風景は適宜配信していたのだが、肝心のクロガネに家を出入りした形跡が何もないのだ。見逃したかと躍起になってダンジョン内を駆け回っている者もいるらしい。


 そういう話を五行娘娘ウーシンニャンニャンのマネージャーであるカシワギから聞いたときは思わず笑ってしまった。ざまあみろ、というところだ。


 ちなみに、774プロの対応は落ち着いたもので、公式声明すら出していない。

 もとが火のないところに立った噂なのだ。スクープ写真でもあるのならともかく、公に相手をすればかえって勘繰られるという判断らしい。無関係の記者会見で質問をしてくる記者もいるが、容赦なく出禁にしているそうだ。さすがは業界最大手である。


 そんなわけで、張り込みの記者はゼロではないものの、道場周辺もだいぶ落ち着いてきた。

 そろそろ道場生向けの練習なども再開しようかとクロガネは考えている。


 4本目の缶ビールを開けようとすると、チャイムが鳴った。

 ドアフォンのモニターを覗くと懐かしい顔が映っている。

 クロガネはさっそく迎えに行き、来客を食堂へ通した。


「おーっす! ソラちゃんひさしぶりー。ちょっと見ない間に大きくなったねえ」

「おーっす! って、2年ぶりくらいじゃん。ぜんぜんちょっとじゃないよ」

「ははは、そんなに経ってたっけか?」


 やってきたのはハンチング帽に無精髭の中年男だった。

 一応スーツを着てはいるが、折り目はなくネクタイもしていない。無精髭には白いものも混じっており、絵に描いたようなくたびれた中年だ。


「おっと、そちらのお嬢さんははじめましてだな。どうも、フリーで雑誌記者なんかをやってます菅原ブンヤと申します」

「あ、どうも。WKプロレスリングのプロデュースをさせていただいている水鏡アカリと申します」

「あれ? 名刺どこやったかな……」


 自分から挨拶をしたにも関わらず、アカリから名刺を差し出されてから慌ててスーツのポケットをまさぐっている。パリッとした印象のあるアカリとは正反対だった。


「名刺なんかどうでもいいだろ。晩飯、どうせまだなんだろ?」

「へへへ、クロちゃんはわかってるねえ。今日はやけに豪勢じゃないの。ひょっとして、俺の歓迎?」

「ンなわけあるかよ。たまたまもらいもんがたくさんあってな」


 テーブルの上に広げられているのは、<アイナルアラロ>特産の珍味の数々だ。

 出張プロレス教室、そして興行の礼として<カマプアア>が持たせたものである。通常の手段ではたどり着けない<アイナルアラロ>には特異な生物が多く、他所では食べられない正真正銘の珍味ばかりが並んでいる。


「つーわけで、駆けつけ一杯だ。とりあえず飲め」

「おすおす、さんきゅー!」


 クロガネはブンヤに缶ビールを渡す。


「それからこれだ。食え食え」

「上げ膳据え膳ってやつだねえ。ありがたいねえ……って、何これ?」


 ブンヤは手渡されたものを見てぎょっとする。

 それは魚の串焼きだった。しかし、色味は白と黄色のストライプ、おまけに腹びれの位置からは2本の足が生えている。クロガネが<アイナルアラロ>で初日に食べた、スナモグリハシリの串焼きである。

 固まるブンヤに、クロガネはけけけと笑った。


「若い頃は色々珍しいもんを食わせてもらったからな。何、恩返しだ。遠慮なく食ってくれ」

「おまっ、そんな昔のことまだ根に持ってたのか!? あれか? 有楽町のことか? タランチュラって言ったらカンボジアじゃ人気の大衆料理でな――」

「おう、このスナモグリハシリも現地じゃ大人気だったぜ、なあ?」


 クロガネが目配せすると、ソラがにかっと笑ってスナモグリハシリにかぶりつく。

 つられてアカリも手元にあった串を一口食べた。


「うーん、独特の食感がおいしい!」

「毎日食べても飽きない味ですよね」

「マジかよ……」


 青い顔をするブンヤを、クロガネはにやにや眺めている。

 超日時代、若手でまだ給料も安かったクロガネに、ブンヤは珍味と称して色々なものをおごっては面白がっていたのだ。十数年越しにそのときの恩返し・・・をしているわけだった。


「それで今日は何の用なんだ? ただ遊びに来るようなガラじゃねえだろ」


 そろそろ本題に入ろうと、クロガネは話を切り替える。

 ブンヤは串焼きをおっかなびっくりかじりながら答えた。


「あ、マジだ。結構イケるな……。えーと、アレだ。クロちゃんって正木まさきユウヤってのと因縁があるだろ? そいつについて聞きたくてな」

正木まさきユウヤ……? 誰だそりゃ?」

「県知事の正木まさきヒデオのお坊ちゃんだよ。知らねえとは言わせねえぞ」


 ブンヤはスマートフォンのスクリーンショットを見せる。

 そこにはクロガネの姿と、ぐちゃぐちゃに歪んだ金色の鎧の横にへたり込む、金髪の若者の姿があった。

 クロガネはそれをジロジロと見つめ、それからぽんと手を打った。


「あー、金ピカ野郎か。そいつ、そんな名前だったんだな」

「おいおい、名前も知らなかったのか? 県下一の権力者一族の息子だぜ?」

「知らねえもんは知らねえよ。それで、こいつがどうしたんだ?」


 ブンヤはハンチングを脱いで頭をかく。

 どうやら当てが外れて拍子抜けしているようだ。


「知らねえんなら、知らねえ方がいいかもなあ」

「ちょっとー、そこまで話して中断じゃ逆に気になっちゃうじゃん」


 串焼きを食べ終えたソラが嘴を挟む。

 クロガネとしてはとくに気にもならない話題だったが、ソラの好奇心には火が付いてしまったようだった。


「じゃあ話すがな。とりあえず、最近出回ってる神権侵害ラインオーバーってクスリは知ってるか?」


 聞き覚えのない単語に、ソラとクロガネは首を傾げる。

 そこへ今度はアカリがタブレットを差し出した。


神権侵害ラインオーバーって、たしか総合格闘技のマサヒト選手の死因じゃないかって言われているドーピング薬物ですよね?」


 タブレットには、スポーツ紙のニュース欄が映っている。

 そこには『総合格闘技の新星マサヒト、ドーピングで薬物中毒死!?』という見出しが踊っている。


「おっ、そっちのお嬢ちゃんは目端がきくねえ。そのとおり。いわゆるオンボーダー、ダンジョン由来薬物の一種だな」

「それが金ピカ野郎と何の関係があるんだ?」


 話の流れが見えず、苛立ったクロガネが結論を急かす。


「相変わらずクロちゃんは堪え性がないなあ。この神権侵害ラインオーバーを仕切ってるのがな、正木一族だって噂なんだよ」

「それで?」

「わかんねえかなあ。格闘技、ダンジョン、正木一族、その全部にぴったり当てはまるのがクロちゃんだったってわけ」

「俺はクスリなんてやってねえぞ。超日はステロイドも禁止だったからな」


 クロガネの肉体は薬に頼ったものなどではない。

 プロテインくらいは飲むが、日々の鍛錬と食事によって培われたものである。


「誰もクロちゃんがやってるなんて思ってないって。ただ、売人から接触があったりはするかもしれないだろ? だが、その様子じゃアテは外れたみたいだなあ」

「悪りぃな。役に立ちそうなことは何にも知らねえや」

「ま、はじめからそんなに気にしてなかったがよ。それじゃ、別のネタで――」

「アイドルがどうだとかぬかしやがったら、首を引っこ抜いて花でも活けてやるからな」

「うっ……」


 図星を指され、ブンヤは言葉に詰まる。

 たとえ神権侵害ラインオーバーが空振りでも、そちらのネタで小遣い稼ぎぐらいはできるのではという下心があったのだ。


「あーあ、新人の頃のかわいいクロちゃんはどこに行ったのかねえ。すっかり汚い大人になっちゃって」

「40手前の男を捕まえてかわいいもクソもあるか。おら、諦めて飲め。昔のよしみでビールぐらいはたらふく飲ませてやらあ」

「ま、糊口をしのげるってことじゃ一緒かね。ありがたくお言葉に甘えるわ」


 こうして、ブンヤの目論見はすっかり外れ、昔話を肴に夜が更けていくのだった。

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