第60話 仙台駅前ダンジョン第10層(裏) vs 茨木童子②

 イバラは空中で寝そべり、下方を眺めて愉しげに嗤った。

 鮫男と、デビル・コースケなる人間との戦いがはじまっている。


 鮫男は<イソナデ>といい、船を沈め漁師を喰らう妖怪だ。 

 主の酒呑童子が配信者の肉を餌に呼び寄せ使役したものである。

 イバラ自身はプロレスなどという見世物で戦う気などさらさらなかったため、戦闘要員として連れてきたのだ。酒呑童子に断ってはいないが、どうせそんな些事には構わないだろうとイバラは考えていた。


 思惑が外れたのは、あのクロガネとかいう人間が魔界商店街なる勢力にあっさりやられてしまったことだ。いまも試合会場の端で磔にされ、指一本動かさない。

 いかに不意打ちだったとはいえ情けない。これでは主の鑑賞にふさわしい戦いにならないではないか。


 嘆息をつきつつ様子を見ていると、はじまったのはデビル・コースケなる者とピギーヘッドの茶番だ。

 デビル・コースケという大男は圧倒的に体格差で勝っているくせに、小兵のピギーヘッドにいいように翻弄されている。あんな男に主に捧げる試合が台無しにされたのだと思うとはらわたの煮えくり返る思いがした。


 そこで、予定を変更して<イソナデ>をけしかけた。

 リングにいた人間二人とピギーヘッド、これらを無惨に食い散らかすことで、苛立ちを紛らわせることにしたのだ。女の方は、生き残れば自分のネイル奴隷にしてもいい。両手の分はすでにいるから、あれはペディキュア用にしてやろう。


 と、そこまで考えて、イバラは違和感に気がつく。

 リング上には<イソナデ>の他、大男とピギーヘッドしかいない。

 一体、女はどこに消えた?


「くらえぇぇぇえええッッ!!」

「ぎゃっ!?」


 頭上から咆哮。

 鋭い蹴りがイバラの袖を切り裂き、通り過ぎていく。

 蹴りを放った女はそのままリングの反対まで飛んでいき、茨の金網に着地する。


「くっそー、不意打ち失敗かあ」

「貴様っ、どうやってわらわの上に!?」

「そりゃもちろん、登ったんだよ」

「登って……?」


 馬鹿な、とイバラは思う。

 ここは地上から10メートル以上はあるのだ。

 そして登ると言っても手がかりになるのは茨の金網のみ。

 それには鉄板をも切り裂く鋭い棘がびっしりと生えている。

 人間によじ登れるようなものではない。


「要するに、こういう感じだねっ!」

「なっ!?」


 ソラが再び飛ぶ。

 それはさながら風を貫く黒い弾丸。

 黒いブーツの先端がイバラの喉元をえぐらんと襲いかかる。

 その靴底は鈍器の如く分厚い。


「くっ!?」

「あっ、惜しい! でもま、じゃんじゃん行くよー!」


 ビリヤードの球のように金網から金網へと跳ね回るソラ。

 イバラは体をよじりながら、四方八方から殺到する攻撃をなんとかかわす。


「なんだその動きは!?」

「ケージファイトって一度やってみたかったんだよね。それに、厚底履いてたのもツイてたよ」


 空中を自在に飛び回りながら、ソラはにかりと笑う。

 ケージファイトとは、周囲を金網で囲まれたリングで戦う試合形式のことだ。視覚的なインパクトと場外へのエスケープを不能にするための仕掛けなのだが、ソラはそれを足場にできないかと日頃から考えていた。


 そして、自作の厚底ブーツを履いていたのも幸いした。

 デスプリンセス魔姫まきのキャラ作りのためだったが、イメージに合うものがなく、ホームセンターで買った強化ゴムのシートを何枚も張り合わせて作ったのだ。


 既製品の厚底ブーツと違い、内部に空洞がないためやたらと重い。

 その代わり、茨の棘を踏んでもびくともしない、やたらに丈夫なブーツに仕上がっていたのである。


 ソラは金網を反射しながら、徐々に加速していく。

 風切り音さえ聞こえる速度で空中を疾駆する姿はまさしくスカイランナー・・・・・・・


 イバラはなんとかかわし続ける。

 だが、着物がところどころ切り裂かれ、白い肌があらわになっていく。


「くっ、いい加減に……!」


 苛立ったイバラが、迎撃の抜き手を放つ。

 ネイルのことなど気にしてはいられない。

 そして、鬼の爪とは竜虎のそれに劣らぬ鋭さを持つ。

 人間の女など、豆腐の如く貫けるのだ。


 ソラは空中を一直線に走ってくる。

 翼を持たぬ人間に、この一撃をかわす術はない。

 致死の攻撃に自ら飛び込み、無惨な死に様を晒すはずだ。


 そう、はずだったのだ。


 ソラは両腕を鳥のように広げると、くるりと身を反転させる。

 まとわりつくようにイバラの抜き手をかわし、すれ違いざまに肘打ちを顔面に叩き込んだ。


「うぐっ!」


 イバラの口から漏れる苦鳴。

 たまらず顔を押さえると、手のひらに生温かいものがつく。

 真っ赤にぬるつくその液体は、血。

 潰された鼻から、出血をしていたのだ。 


「よっしゃー! 直撃いただきっ!」


 ソラは金網に着地し、ガッツポーズをして喜んでいる。

 リング外へ手を振ってまでみせる余裕ぶりだ。

 両手離しでどうやって金網に取りついているかと思えば、靴底を棘に引っ掛けてバランスを取っているらしい。

 イバラが用意した鳥籠ケージは、いまや完全にソラに利していた。


「わらわの顔を……わらわの顔に傷を……」


 イバラの顔が、怒りに歪む。

 目元が、口元が吊り上がり、まさしく鬼女の形相となる。

 この顔は、酒呑童子のためにしつらえたものだ。

 この体は、酒呑童子のために調ととのえたものだ。

 あの美しい主の側にいるために、あの愛らしさを損なわぬために、千年以上をかけて造ってきたものなのだ。


 それを、人間が。

 たかが人間の女が。

 主の所有物茨木童子を、傷つけたのだ。


「許せぬ……」


 イバラの口が、耳たぶまでびしりと裂ける。

 白い歯が抜け落ち、黄ばんだ牙が生え揃う。

 冠状の角が、めきめきと音を立てて伸びる。

 背中の着物が破れ、四本の節足が飛び出す。


 ――KISHaaaAAAAAAAAA!!


 耳をつんざく咆哮。

 哺乳類のものではない、何かを擦り合わせたような不快な振動音。

 観客に気を取られていたソラが、異音の源へ振り返る。


「えっ、何それ!?」


 ソラの口から驚愕の声が漏れる。

 その瞳に映ったものには、もはや美女の面影は欠片もなかった。


 異形。

 そこにあるのは、赤黒い口腔から大量の糸を撒き散らす、醜怪極まる姿だった。

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