第54話 仙台駅前ダンジョン第10層(裏) 痛みに慣れれば恐怖が薄まる
「おらぁっ! 後ろ受け身あと千本!」
「いいいいいい痛い痛い痛い痛いでござるよぉぉぉおおお!!」
<アイナルアラロ>の一角。
クロガネたちは、ピギーヘッドを浜辺に集めてトレーニングを開始していた。
砂浜から離れた砂利の地面で、悲鳴を上げて転げ回っているのはオクだ。
愛用の着流しを脱がされ、トランクス1枚にされている。
そのせいで、尖った小石が肌に食い込んで痛いことこの上ない。
ピギーヘッドの皮膚は一応は毛皮だが、人間の皮膚よりはいくらか丈夫な程度。
本物の獣と比べれば薄紙のように頼りない。
「いっちにっ、いっちにっ、いっちにっ。プロレスラーは一にも二にもスタミナと足腰だよー! 徹底的に走り込むからねー!」
「えいえい、おー!」
砂利をのたうち回るオクを尻目に、ソラはランニングの指導をしている。
何十人ものピギーヘッドを引き連れて波打ち際を走っていた。
適度に濡れた砂は柔らかく、適度な抵抗があって関節への負担も少ない。
心肺と足腰を無理なく鍛えられるのだ。
時折笑い声も混じりつつ、水しぶきを上げて走る仲間の姿を、オクは涙目で見つめていた。
「そ、それがしもあちらがよかったでござる……」
「泣き言を言ってんじゃねえ! 1週間後に試合やるっつったら、出場してえっつったのはてめぇだろうが!」
「そうは言ってもこんな特訓、何かの役に立つとは……」
「うるせえ、ごちゃごちゃ言うな!」
「ぎゃぁぁぁあああっ!?」
特別メニューに不満を洩らすと、クロガネはオクの腹に腰を下ろした。
百キロを超す巨体の重みで、砂利がますます背中に食い込んでいく。
「いじめ、いじめでござるよ……。<カマプアア>様に負けた腹いせをしているに違いないでござる……」
「ンだとこらぁっ!」
「ぎゃぁぁぁあああっ!?」
いっそう体重をかけられ、オクはさらに悲鳴を上げる。
さきほどまではまだ手加減していたのだ。
「お手本、お手本を見せるでござるよ! こんなのは誰も耐えられないでござる!」
「ほう、本当に誰も耐えられないと思うのか?」
「ぜっっったい無理でござる! だからこんな馬鹿げた特訓はやめるでござる!!」
「絶対ねえ。じゃあ、できるやつがいたら、素直に言うことを聞けよ?」
オクの身体にかかっていた重みがなくなる。
クロガネが腰を上げたのだ。
その顔には、にたりと笑う凶相が浮かんでいた。
「い、いや、絶対というのは言葉の綾でござって……」
「うおらぁぁぁっ!!」
嫌な予感がしたオクは前言を翻そうとするが、時すでに遅し。
口ごもっている間にクロガネが宙を舞った。
オクの何倍もある巨体が天に舞い、その影がオクの身体に覆いかぶさる。
そして大の字に手足を広げたまま、轟音と共に砂利道に全身を叩きつけた。
跳ね上がった砂利が、オクの身体にびしびしと当たる。
「うおりゃぁぁぁあああっ!!
「ひぃぃぃっ!?」
だが、それだけでは止まらない。
クロガネはそのままオクの周囲で前転や後転を繰り返す。
もうもうと砂煙が立ち上り、視界一面が灰色に染まる。
オクには、その光景を震えながら眺めることしかできなかった。
「ざっとこんなもんだ。何が絶対できないだって?」
砂煙の中から、全身埃まみれのクロガネの巨体が現れる。
よくよく見ればあちこちに小さな砂利が刺さり、血が滲んでいる箇所さえあった。
にも関わらず、にたにたと笑ってまるで堪えている様子はない。
オクは思わず、震える声で尋ねてしまった。
「い、痛くないのでござるか?」
「痛てえに決まってるだろうが。我慢してんだよ、我慢」
「我慢?」
「そう、我慢だ。痛みに慣れろ。これがプロレスラーの最初の一歩だ」
「痛みに、慣れる……?」
オクにはクロガネが何を言っているのかわからない。
いや、もちろん言葉の意味そのものはわかるのだ。
しかし、痛みに慣れることなどあるのか。
痛いものは痛い、我慢ができないから痛みなのではないか。
この考えは、オクに特有のものではない。
ピギーヘッドは種族的に痛みに弱いのだ。
痛みから逃れるために、闘争ではなく逃走を選んで生き延びてきた。
痛みへの過敏さ、そして恐れは、もはや魂に刻まれた生存本能なのである。
「ピンとこねえか? お前がかぶれてる侍なんて、恥をかいたら自分で腹をかっさばいたんだがな」
「腹をかっさばく……でござるか」
想像しただけで恐ろしい。
オクが侍のような言動や服装をしているのはファッションに過ぎない。
かつてダンジョンで出会った<サムライ>職の配信者に憧れて、その口調や見た目を真似ているだけなのだ。外界との交流も少ないため、侍の生き様や精神性についてはまったく知識がなかった。
「あー、そうだな。たとえばコーナーポストから飛び降りてボディプレスをかますだろ? そんときにビビってたら、強そうに見えるか?」
コーナーポストとは、リングの角のことだ。
練習に入る前に、試合の映像をいくつか見せられた。
それを思い出し、コーナーポストに立つレスラーの膝が震えている様子を想像する。
「見えない……でござる」
「だろ? だが、怖いのは当たり前なんだ。実際、飛べば痛てえんだからな。だから、痛みに慣れる。どんだけ痛くても余裕で笑う。そうするうちに、痛みに対する恐怖が薄れる。怖くなけりゃ、どんな技でもぶちかませる」
理屈はわかる気がする。
気がするが、自分がその境地に達せられるとは到底思えない。
「プロレスの試合に出るには、このクソ度胸が絶対に必要なんだ。って、言葉で言ってもわからねえから実践してるわけだがな。こっちで慣れりゃ、リングなんて屁でもねえ。砂利に比べりゃ、マットなんてふかふかのベッドみたいなもんだ。つーわけで、いっちょやるぞ!」
「え!? ちょっ、何をするでござるか!?」
クロガネの太い腕がオクの両脇に差し込まれ、問答無用で空に向かって放り投げられる。
オクは悲鳴を上げながら、空中でバタバタと手足を振った。
「そのまま地面にボディプレスだ! 体の力を抜け! 変に力むと怪我するぞ!」
「むむむ無茶を言うなでござる!?」
オクは身をひねって着地をし、クロガネに背を向けて、ダッと駆け出す。
その身のこなしは、猫さながらの俊敏さだった。
「こんな特訓、命がいくつあっても足りないでござる!」
「てめっ! こらっ、逃げるな!!」
ちょこまかと逃げ回るオクを、クロガネが追いかけ回す。
襲い来るクロガネの手を、右に左に転がり、時には宙返りをしてかわし続ける。
クロガネもムキになり、だんだん本気になっていった。
「おいこらっ! 待ちやがれ!」
「待てと言われて待つものはいないでござるよっ!」
そんな様子を遠目に見ているのは、走り込み中のソラだ。
「へー、がんばってるじゃん。クロさんから逃げ続けるなんてセンスあるね」
ソラは腕組みをして「大したものだ」と感心していた。
細かなやり取りが聞こえていないので、オクとクロガネが早くもマススパー(寸止め形式のスパーリング)をしているものと勘違いをしているのだ。
「よーし、こっちも負けてられないね。ペース上げるよ!」
「えいえい、おー!」
かくして、ピギーヘッドたちの練習は厳しさを増していく。
ランニングをするピギーヘッドの掛け声と、オクの悲壮な絶叫が、いつまでもいつまでも美しい浜辺に響き渡るのだった。
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