第2話 出航、国後へ
空想時代小説
1863年7月、本土では薩英戦争があった頃、高野主水とその一行は、小さ目の安宅船で出航した。2本の帆と10本の櫓がある。1853年に浦賀に蒸気船の黒船がきたのに対し、仙台藩にはこの程度の船しかなかったのである。日本初の蒸気船咸臨丸は幕府によって、1855年に作られているが、仙台藩は遅れをとっていた。
主水一行総勢22名。船長は高野主水であるが、実質の船長は航海士の川島安二郎である。川島は、国後まで行くと、またもどってくる。水夫が6名。甲板員で帆をはったり、たたんだり、見張りをしている。炊事係が2名。この者たちは船長と航海士の下働きを兼ねている。この8名も川島とともにもどってくる。国後に残るのは道先案内人の鈴木源五郎と通訳のアテナイ(アイヌ人)そして主水と家臣10名である。家臣の内訳は、鉄砲隊4名、弓隊4名、それぞれの分隊長2名である。10名で支所を守ることは困難とも思われたが、1859年の国後陣屋支所開設以来、アイヌとの戦いはあったものの、ロシアとの衝突はなかった。だが、幕府が駐在していた1806年にはロシアの海軍武官による襲撃があったのである。油断はできなかった。
航海士の川島は補給のこともあり、一日ごとに港に寄ることにした。日程はかかるが、外洋に出て千島海流に流されるよりは安全だったからだ。嵐にあって、千島海流に流されたら目的地の反対である南へ流されてしまうのである。
1日目は苫小牧の港に寄った。櫓をこぐ主水の家臣が慣れていないため、思うように進まず、白老の隣の港にしか進めなかった。でも、それは想定内のことである。夜は錨を降ろし、星を見ながら休んだ。船長の高野主水と航海士の川島には個室があるが、他は櫓をこぐ船室に雑魚寝である。
2日目は日高に寄った。ここで食料と水の補給を行った。次の浦河までは今までの倍の距離があったからである。案の定、一日では到着せず、4日目の朝にやっと着いた。夜に星を見ながら進んだので、皆寝不足であった。浜に錨をおろしたところで、ほとんどの者が熟睡に入った。
5日目は、様似の浜、6日目は襟裳の浜で停まった。比較的距離が短かったので、主水の家臣たちも櫓をこぐのに慣れてきた。次は、いよいよ最初の難関、襟裳岬越えである。ここからは、北風をまともに受けることになるし、外洋に出れば千島海流に立ち向かうことになる。帰りは楽だが、行きはつらいのである。案の定、襟裳岬を回ったところで風が強い北風に変わった。水夫たちは帆をたたみ、櫓をこいだ。高野主水や炊事係もこいだ。でないと進まないのだ。夜中もこぎ続け、8日目の昼過ぎに広尾の浜についた。皆、力を使い果たした顔をしている。
9日目は、十勝川河口の浜、10日目は白糠(しらぬか)の浜、11日目に厚岸(あっけし)の港に入った。ここには、仙台藩の陣屋支所があり、ここに2泊し、鋭気を養った。水夫たちも久しぶりの上陸で酒を飲み、はしゃいでいた。だが、高野主水だけは気を引き締めていた。この先、最大の難関、根室半島越えがある。ここにはチャシと呼ばれるアイヌの城が点在している。海岸の崖にある城で、外目からはわかりにくい。面崖式といわれる城の造り方で、自然の崖に内部をくりぬいて、そこに砦を造っている。近づくと、土手の上にアイヌの戦士が現れ、弓矢や槍で襲ってくる。突然襲われるので、味方は混乱するという図式である。大規模なものは少なく、ほとんどが10間(18m)から20間(36m)ほどの小規模な城である。またアイヌといっても、通訳のアテナイとは別の部族である。言葉も違っている。
13日目は浜中の浜に寄った。次は、いよいよ根室半島越えで、今までの3倍の距離がある。幸いにも風が東風で、その風をうまく受けて北進することができた。浜に近くなると帆をたたみ、櫓で沖合に進む。沖に出ると、帆を斜めに張り、また北進するという具合である。
14日目には、根室半島の岬が見えてきた。あと半分で根室であるし、ここからは海が変わり、北の海(オホーツク海)となる。北風は追い風となる。と思った瞬間、岬のはじの崖に向こうから矢が数十本とんできた。何本か船体にあたった。運悪く、帆にもあたった。航海士の川島は帆をたたむように指示をした。帆が壊れたら、今後の航海に支障がでるのである。高野主水は、船室に駆け込み、
「敵襲だ。持ち場につけ!」
と命をだした。家臣たちは櫓を引き揚げ、それぞれの武器を持った。それを見た川島が
「高野殿、ここは逃げるが勝ち。ここにいてはやられます。根室に急ぎましょう」
と叫んだ。確かに、ここにいれば敵の小舟に囲まれるだろう。そのことを厚岸の陣屋支所で聞いたことを思い出した。
「えーい! 命を変える! 櫓をこげ! 離脱じゃ!」
家臣たちは、必死になって櫓をこいだ。主水もこいだ。火矢もとんできたが、幸いなことに船まで届かなかった。アイヌの小舟も見えたが、追うのをあきらめたようだった。その日の夕刻、根室の浜についた。夏だというのに、くもり空で暗い感じのする浜であった。カモメがギャーギャーとうるさかった。ここまで来れば、国後まであと1日である。翌日は、破れた帆の修理もあり、根室で過ごした。
高野主水は、陣屋支所で主任の石川又五郎と話をしていた。万が一の際ののろしの合図の確認と相互に援護する場合の手はずの確認である。だが、どちらも安宅船を持っておらず、大き目の和船しかない。波がおだやかであれば往来できるが、いったん波が荒れれば困難となる。自力で対処しなければならない。又五郎は、海が荒れた時のためにということで、つがいの鳩をくれた。
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