第6話 蘇る記憶
「イリナはまだ子供だからな、殺す直前で怖くなったんだろう。心配するな。あとは俺たちがやる」
「そうよ。無理に見なくてもいいし聞かなくてもいいわ。」
大人しくなったイリナに、大人たちが幾分か優しく話しかける。一人の女が両手で彼女の耳をふさぎ、優しく微笑みかけた。
しゃがみこんだ女の肩越しに、イリナには家の中の様子が見えた。斧を持った女が泣きながらなにかを怒鳴っている。勇者の少年はさすがに目を覚ましたようだ。混乱の中であたりを激しく見渡して、必死に状況を把握しようとしていた。
ふいに、少年と目があった。
二人がかりで拘束されているイリナを認識した少年は、瞬時にその表情を驚きへと変えた。そして彼の口がそのまま動く。
『イリナちゃん!』
なぜだろうか、耳をふさがれていたはずのイリナには、はっきりとそう聞こえてしまった。名前を呼ばれたことはない。自分勝手な殺意だって向けた。
なのに、それなのに―
大丈夫かといわんばかりに、自身に迫った命の危機など気にせずに、ただイリナのことを心配する姿が、
記憶の中の、死んだ兄と完全に重なってしまった。
「!!」
その瞬間、イリナの中でこれまでためこまれていた何かが決壊した。
「ぐあっ、痛っ」
イリナは押さえつけていた男の腕にかみついた。男が驚いた隙に四肢に渾身の力を込め、拘束を振りほどく。そしてその小柄な体躯を活かして、再び彼女を捉えようとする者たちの間をすり抜ける。
今まさに、斧が振るわれようとする勇者のもとへ。
もはや周りの音は何も聞こえない。イリナは目に涙を浮かべながら、しかしそのことにすら気づかず無我夢中で女に体当たりをした。
いくらイリナが華奢とはいえ、急に横からの衝撃をもろに食らった女は、耐えきれず吹っ飛ぶ。手にしていた斧もまた、勇者のぎりぎり横をかすめて床に突き刺さった。
「なにすんのよイリナ! こいつらは、私の大切なあの人を、あっさりと殺していったのよ!私たちが、魔族だからって理由だけで!」
吹き飛ばされた女は、立ち上がりざまに、鬼のような形相で叫ぶ。イリナを睨み付けるその頭上には、ヒトにはない、二本の白い角があった。
「やめてっ」
イリナは勇者に背を向け、両手を広げて立ちふさがる。
「なんで邪魔するのよ、あんただってそうでしょ! 二年前、唯一の家族を殺されたのに。憎くないの! 殺してやりたいと、思わないの!」
「やめてっ、くるな、こないで、おねがいっ、こないでよ!!」
言葉にならない感情でぐちゃぐちゃになり、イリナは泣きわめく。
駄々をこねるように頭を激しく振る少女にも、当然のように小さな一対の角が生えていた。
「あんた、なにも答えに―」
なってないじゃないかと怒鳴り返そうとして、イリナを見た女は、言葉に詰まった。
「……ひっぐ、わたしのお兄ちゃんを、ころさないでぇ。いやぁ。しなないでぇ、お兄ちゃぁん」
言動が明らかに現実と乖離している。まるでイリナだけが過去のつらい記憶を再生しているようだった。
女には、目の前の少女がいつもよりずいぶんと幼く見えた。
イリナを追ってきた村人たちも、少女の悲痛な叫びに、その足を止めることしかできなかった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁん」
二年の時を経て押し寄せた感情の渦に耐えきれず、ついに、イリナは大声で泣きじゃくる。その様は心の制御ができない子供のようだった。
やがて立てなくなり、膝立ちになってもなお、イリナはわんわんと泣き続けた。
二年という歳月は、イリナにとって兄の死を受け入れるには、あまりにも短かったのだ。
勇者の少年は突然の展開に戸惑いながらも、イリナの背にそっと手を当て、ぎこちない手つきで慰めようとしていた。
目の前の光景を、女はただ呆然と見ているしかなかった。親族ではない異種族の少年を、生前の兄と混同するイリナはきっと錯乱しているのだろう。しかし、幼子のように泣く少女を前に、そのことを指摘できなかった。
イリナの目に映った自分が、殺したいほど憎んだ存在ととそう違わなくなっていたことが、女にはなによりもつらく悲しかった。
勇者様に死の安寧を~Reloaded Memory~ 菜花千種 @nanobana
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