西暦2059年4月15日(火) 18:26
東郷がぐっすり寝て、起きて、YOSHIの手でみっちり1時間特訓し、そして夜のイベント戦。過密という言葉が過小に感じるほどのタイトスケジュール。"寝る前についスマホを1時間いじっちゃった"を1回やるだけで全て崩壊する代物である。
「東郷。俺の攻撃をとにかく避け続けろ」
「無理だって!」
適度に速度を落とした風の刃が振るわれ、東郷が必死にその攻撃を避けていく。
「とにかく目を慣らせ。並行して口頭で戦術面の講義をする。思考を2つ並行して死ぬ気で覚えろ」
「無理だって!」
YOSHIが行ったイベント前特訓は、技術・反射・知識を引き上げるためのもの。
『事前研究と対策とメタゲーム』に関する部分に関しては、あえてカットした。
今回のイベントにおいて、無名の東郷を狙い撃ちする対策を撃ってくる者はないだろう、という読みである。
「東郷。改良版のスキルセットは手に馴染んだな? 俺が避け続ける。動きを先読みして俺に当てろ」
「無理だって!!!!!!」
「お前には他のゲームで素養が出来てる。クラフトゲームなどをやり込んでいるいのりや、RPGなどをやり込んでいるまうとはまた別の、人と人が撃ち殺し合うゲームの経験値がお前にはある。自分の中にある無自覚の経験の蓄積を、攻撃のアクションの1つ1つに接続しろ」
「んなこと言われたっ……あ」
東郷が狙撃銃の代わりに持たされた弓から放たれた矢が、YOSHIが高速で移動した先へと吸い込まれるように飛び込み、YOSHIの右手の風刃に斬り弾かれた。
「ほら、当たっただろう」
「これ当たった扱いでいいのか?」
「いい。俺は防御スキルをセットしてないだろ?」
「え? ああ。確かに。風の刃と、風になるやつと、風の感知スキルだもんな。死にたがりみたいな構成だね(はぁと) しかしその特化型構築男らしく誉れ高い」
「そういうセットのやつがかわしきれないで足を止めて防御させられたことに意味がある。どんどん行くぞ」
「あ、ああ!」
YOSHIは"慣らし"と呼ばれる特訓手法を用いていた。
YOSHIの並外れた速度に東郷の感覚を慣らし、実戦において「こいつ……YOSHIより遅い!」という感覚をもたらす、付け焼き刃の中で最も有用性の高い付け焼き刃だと言われるものだ。
創作、現実、どちらにおいても高速に感覚を慣らすという特訓は有用性が高く、実際に高い効果が得られることが多い。
しかし、この特訓手法には長期的にはデメリットが存在していた。
一見して、この特訓には利点しかないように思える。
しかしながら高校野球で定期的に語られる問題として、『バッティングセンターで剛速球を打つ練習ばかりしている高校球児は遅い変化球が打てない』というものがあった。
高速に慣れると逆に巧者のカモになるという問題が、スポーツの世界には常に存在しているのである。
最初に不寝屋まうの視聴者参加型配信にYOSHIが参戦した時も、YOSHIは緩急差や、戦闘中に目が慣れた速度から意識的にズラした攻撃速度を使って、巧みに対戦相手を仕留めていった。
巧いプレイヤーというものは、そういう安易な修行をしてきた人間をカモにするものなのである。
「……」
しかし、妥協も必要だ。
YOSHIはリスク込みで考慮した上で、東郷を自分の速度に慣らして、大抵のプレイヤーの速度に振り回されない感覚を染み付かせていく。
急に身に着けた感覚は定着しにくく、おそらく明日には体から抜けているだろうが、一晩持つならそれで十分だろう。
この感覚が抜ける前に、どこかで『コツ』を掴ませる。
それを強さの核にする。
それこそが、YOSHIが考える最も可能性の高い東郷を飛躍的に強くする方法論だった。
「次は俺が狙撃スキルセットの天敵を想定したスキルセットでお前を攻め立てる。だが、狙撃スタイルに対して相性がいいだけで、狙撃の天敵は狙撃を確殺する存在にはならない。相性を立ち回りで乗り越えろ」
「……アドバイスは?」
「お前にアドバイスしながら連続で殺しに行く。アドバイスを聞いて対処しろ。俺の殺し方を俺が教える、お前は俺の予想以上に上手くやって俺を撃て」
「先生の血は何色なんです?」
YOSHIが詰め込んだものが、東郷の中に蓄積された経験と混ざり合い、実戦の中で本気で用いられた時、そこに生まれるものが持つ『可能性』に、YOSHIは期待していた。
善幸と東郷の2人だけが、大勝負になるであろうその配信の開始時間を気にしていたわけではない。
善幸の部屋で、東郷が配信前の諸確認を始め、善幸がそれを横で見守っていると、部屋に来訪者がやって来た。
「配信直前におじゃまします~」
伊井野いのり/間野谷涼芽である。
車椅子に乗って、分厚い断熱容器を抱えて、彼女はやって来た。
初めて善幸の部屋に入ったことで、ちょっとドキドキしてしまったことは、乙女の秘密だ。
蓋を開けると、そこにはとろっとした茶白入り混じる液体に浸かった、真っ白な餅。ふわりと漂うチョコの香りが食欲を誘う。整える程度に散らされたシナモンの香りが、トータルのバランスを取っていた。
「はい、特製チョコミルク餅~あつあつ~」
「お? おお、くれるのか」
「お餅はお腹に溜まりやすくて~、何時間も戦ってても頭が動くようになるんだよ~。2人とも頑張ってね~」
「おいおい、ヨッシー、これよ……伊井野ちゃん僕のこと好きなんじゃね? この餅から女子の惚れた男への愛ってやつを感じちまうよ。まいっちまうな、へへっ」
「じゃあな、東郷。次の職場でも頑張れ。エヴリィカの社長には、お前が伊井野いのりにセクハラを働いただけで女子側には何の罪もありませんと言っておく」
「これ許されないセクハラなの??????」
「うける~」
穏やかで愉快な会話を楽しむ3人を、少し離れたところから、マネージャーの仁山が微笑ましそうに見守っていた。
「時間作って~、配信も見てるね~」
「忙しそうなら最後だけ見ればいいぞ。俺と東郷が覇者となった姿か、俺と東郷が負け犬になった姿か、どっちかが見れるだろうから」
「負け犬になってるとこは見られたくねえってばよ! 僕は!」
仲間の応援も受け、配信と試合に挑む。
それが心の力になるのがチームだ。
「うおっ! こっそり応援に来たっちゅーに、全員揃ってるやないか! うち仲間外れか!?」
「まうは結果論だがただの遅刻だ」
「まうちゃんだ~わぁ~」
「次来る時は僕に『私が来た』って言ってほしいってばよ、オールマウト」
「なんやその名前?!」
同じ戦場に居なくても、同じ配信に居なくても、日常の合間に互いが掛け合う言葉を架け橋として、チームはいつでも繋がっている。
ポシビリティ・デュエル法人主催イベント『デイ・ブレイク』。
公式団体戦日本代表決定戦5年連続2位で名が知られたチーム、『デストロイパイレーツ』が所属する事務所『arcLIVEs』が協賛し、国内有数のゲーム会社が主催する、参加条件無しのゲームイベントである。
プロゲーマーから初心者の中学生まで様々な人間が入り乱れ、偶然行き合ったプロとプロの衝突や、在野の天才の大活躍、尖ったスキルセットのアマチュアがトッププロを一撃で仕留める奇跡など、数多くの自由なドラマが展開されてきた準一線級のイベントだ。
参加は事前申し込み制。
チーム単位での申し込みのため、申し込んだ後に新しい仲間を急遽チームに引き込んでの参加も可能。
チームランク、レートレベル、参加人数は基本的に問われない。
試合は全チーム参加の集団戦一回勝負。
試合開始直前にルーレットやくじ引きでランダムに試合形式・ルールが決定され、それに沿った各々のゲームメイクが展開される。
たとえば開けた荒野の合戦なら多人数が有利で、全員が解答を一致させると有利になるアトラクション系では少人数が有利。
沼地では飛行能力が有利で、暴風雨のフィールドでは飛行能力が役に立たない。
氷遣いは川や海の方が選択肢が増え、爆弾魔は地下ダンジョンでは全力を発揮できないだろう。
誰が有利で誰が不利かは、始まってみないと分からない。このランダム・ルールが、ポシビリティ・デュエルという
善幸と東郷は2人で参加したが、これは決して不利ではない。
かといって有利でもない。
YOSHIがあらゆる状況・あらゆる敵に対応していくことで、そしてアチャ・東郷が相方の期待に十全に応えていくことで、勝利の可能性を少しずつでも押し上げて行く必要があるのである。
試されるのは実力。立ち回り。そして、絆。
現在、18時26分。
イベント開始まで、あと34分。
電脳世界に構築されたイベント参加者待機ロビーで、東郷は居心地の悪さを感じていた。
目線。
視線。
注目。
周囲の誰もが、東郷を見ている。
いや、東郷よりもむしろ、その隣に立つYOSHIを見ている。
東郷の隣に立っているYOSHIは何事も無いかのように超然としていて、腕組みをして自然な姿勢で立っている。
腹が立つほどに綺麗な姿勢であった。
それがいっそう特別な空気を醸し出す結果に繋がり、より周囲の視線を集めることになっていた。
今、SNSで最大の話題の中心になっている男とその仲間が、此処に居る。
「東郷。どんな状況でもフラットな意識を保つことを心がけろ。狙撃手は強力なポジションだが、意識の持ち方に偏りがあると強みが薄れる」
「あいよ、相棒」
「……特訓が終わるや否や、その呼び方を定着させようとするのはどうにかならんのか、お前。なんだ突然相棒って」
「なんだよ、この呼び方は嫌か?」
「呼び方を変えたところで何かが変わるものでもない。好きにしろ。俺の方は別に何も変えないが」
「ヘッヘッヘッ、圧倒的感謝……!」
皆、知っている。彼らを。
そして、警戒している。その強さを。
あるいは、期待している。この後の試合に。
「視野が狭まってるぞ、気をつけろ東郷」
「……視野?」
「周りを見ろ。この時間も無駄に使うな」
「周りも見ろ、って……」
東郷はYOSHIに促されるまま、周囲を見る。
しかし、YOSHIが期待した通りの情報を、周囲を見て読み取れているような気がしなくて、東郷はこめかみを指先で叩く。
東郷には十分な観察力がある。
それを普段から活かし、雑談の最中にも発揮していることがある。東郷に秘められた"察する力"は相当なものだ。
「東郷、あそこの男を見てどう思う?」
「どう思って言われても」
けれどもポシビリティ・デュエルの経験が浅いためか、YOSHIが指し示した男の立ち姿を見ても、東郷は何もピンとこないので、首を傾げてしまう。
「踵と手を見ろ。踵を床から一切離さないあれは、日本武道伝統の摺り足だ。立ってる時の手指を見ろ。電脳世界でも、剣道や弓道をやり込んでた人間は手の開き方に癖が出る。竹刀や弓の持ち方は決まっていて、その持ち方は体の癖として刻み込まれ、それは無意識の姿勢になるからだ。あの歩き方は伝統的な蛇行のすり足歩行をやり込んでたタイプの歩き方だから、北辰一刀流かその影響を受けたものの伝統的な鍛錬をしてきた人間の可能性があるだろう」
「……あ。なるほど、そういう考え方をするのか」
「じゃあ、まず考えるべきは剣主体のスキルセットだな。高速移動を付けてるか? 魔眼でも添えてるか? 『剣道が嫌になって逃げた人間』なら、逆に剣を嫌がって銃や魔法を選んでるかもしれないな。でも、あの摺り足は"剣道から逃げてきた人間特有の鈍った歩き方"をしてないから、やっぱ剣主体の可能性の方が高いかもな? そうやって、事前に仮定をいくらか積んでおくんだ。すると戦闘中、あの男が魔法使いスタイルから突然隠し玉の剣を抜いてきても驚かずに済む」
「なるほどなるほど、理解できてきたな……」
「決めつけて思い込みをしないように、事前予想に振り回されないように、先に推測を重ねておくと、後で有利になる。これは基本中の基本だ」
けれども東郷は、一度しっかり説明されれば、"どういう見方をすればいいのか"を瞬く間に理解する。
「東郷にもできる。お前は教えればできる方の男だ」
「ま、まあ……あんたほどの実力者がそう言うなら……」
きっかけさえあれば、東郷は経験が少ないポシビリティ・デュエルにおいても、噛み合う観察力を発揮することが可能である。
そのきっかけを、YOSHIが与えていけばいい。
「ヨッシー、お手本を聞かせてくれよ。あのドレスの女の人とかはどうなんだ?」
「あのドレスの胸のバラ飾りが見えるか? あれはガンナー・サバイバルっていう定期開催ランキング競争で上位1000位以内に入った者に与えられる称号だ。上位10人で金、上位100人で赤、上位1000人で青だ。つまり銃に自信があって───」
イベント開始まで、YOSHIはそうして東郷に自分の視点を伝えていく。東郷はそれを乾いたスポンジのように吸収していった。
言い方を変えると、東郷がイベントが始まる直前まで、YOSHIの考える"正しさ"を片っ端から喰らっていくことを選んでいった。
「あー!」
なのだが。
それを悪意なく中断していく来訪者も居る。
「YOSHI大先生ー! ちょっとぶりでーす! 前の配信から大先生のことおっかけてますー!」
「……」
YOSHIは一瞬"誰だ?"と思いかけたが、不寝屋まうという存在のおかげで記憶が引っかかり、「まうのリスナーだ」ということを思い出す。
YOSHIに話しかけてきたのは、水色と黒を基調にした、魔女帽子、魔女の服、箒、小さな杖と、いかにも『魔女っ子らしい』、あるいは『魔法少女らしい』と言うべき女の子。
その姿に、YOSHIは見覚えがあった。
「すみませんねYOSHI先生、うちの子が勝手に」
「……」
魔女っ子に続いて、話しかけて来る男も居た。
YOSHIは一瞬"誰だ?"と思いかけたが、不寝屋まうという存在のおかげで記憶が引っかかり、「まうのリスナーだ」ということを思い出す。
この男は、セミ・カマキリ・バッタが混ざり合った怪人に変身して、襲いかかってきた男だ。
そして、連鎖的にまとめて思い出した。
セミカマキリバッタの虫キメラ。
空を飛ぶ魔法少女。
鉄の雀蜂と鉄の蟻を使うスーツの男。
毒ガスを撒き散らすゴブリンの男。
そして心も体も推しの不寝屋まうになってしまおうとする超弩級の変態、の5人。
先の配信で、徒党を組んでYOSHIを倒そうとした、不寝屋まうのリスナー達の内の2人だ。
「あたし、『ネム』ってハンネでやってまーす! あ、憶えなくても大丈夫です! YOSHI大先生に名前を憶えていただけるなんてなんと恐れ多い……憶えていただけたら嬉しいですけどへへへ……」
「おれは『ドン・バグ』という名前でやってます。今日はお手柔らかにお願いします、YOSHI先生」
ネムは小さいけれど元気いっぱいな女の子で、ドン・バグは試合の外では礼儀正しい大人の男、といった印象の男であった。
「君達2人も参加するのか」
「はい。姪にせがまれましてね」
「はーい! 今日はライバルですよ大先生ー!」
魔法少女・ネムが、元気よく返事をする。
どうやらこの2人、リアルでは叔父と姪であったようだ。
YOSHIは疑問を口にする。
「大先生とはなんだ?」
「えへへ。あのですね、あたし、まうさんをお姉さんみたいに思ってて。あ、もちろん失礼なので本人には言えないんですけど! お姉さんみたいに思ってるまうさんの配信スタイルとか勉強して、いつかまうさんみたいなVliverになれたらなーって! 思っちゃったりしてるんです! まうさんが先生なので、その更に先生であるYOSHI大先生が心の大先生になるわけです! まだ何も教わってませんが!」
「……そうなのか。……ん? "まだ"?」
リスナーは配信者を敬い、時に真似、時に参考にする。人気Vliverの影響を受けた人気Vliverが居て、そのVliverの影響を受けたVliverがデビューすることも、この業界ではザラだ。
と、いうことは。
「エヴリィカ6期の募集はもう終わっちゃいましたけど、エヴリィカ7期の募集にはあたしも申し込むつもりです! 落ちたって8期に申し込みます! もし受かったらまうさんの後輩、YOSHI大先生の同僚になれるかもと思ってワクワクしてます! その時はよろしくお願いします!」
「……何?」
この少女も、"そういう夢を持った子"であるということに、何の不思議もないのである。
「君、エヴリィカに入るのか」
「分かりません! 受からなかったら入れないので。でも入るならエヴリィカがいいですっ! あたし、ここが一番楽しそうで、みんな優しそうだなって思ったんですっ! だから、ここがいいなって!」
この前の配信で戦った時より、ずっと幼い印象で、年相応の振る舞いをしながら、魔法少女・ネムは語り続ける。
それは、少女の夢だった。
ここに行きたい。
ここで働きたい。
ここで生きていきたい、という夢。
子供はその夢を抱き、大人では到底不可能なほどにひたむきに、まっすぐに、夢に向かって努力を重ねていくものだ。
YOSHIの記憶の中の、プロ野球選手に憧れて、キラキラとした目で高校球児になって、そして『誰か』に負けて、泣いて夢を諦めていった少年達が、今現在眼前に居る魔法少女・ネムの輝きと重なる。
競技の世界で、善幸が強さをもってして踏み潰してきた憶えがあるもの───子供が抱く無垢なる夢が、無傷のままにそこにある。
ネムはキラキラした目で、YOSHIを見ていた。
もう、YOSHIも彼女の夢の中に組み込まれている。
彼女の中でYOSHIはもう「あたしが夢を叶えたら色んなことを教えてくれる、憧れの強い人」という枠の中に入っているのだ。
子供に夢を抱かせた者は、子供に失望させてはならない。そんなことを誰かが言っていたことを、YOSHIは思い出した。野球選手だろうと、競技者だろうと、配信者だろうと、それは変わらないのかもしれない。
失望させないためには、立派である必要がある。
ずっと、人に見られている自分として生きる必要がある。
それを成し遂げられる者は、きっと掛け値なしに素晴らしい人間なのだろう。
YOSHIにとって、エヴリィカに入るか入らないかも分からないリスナー女子の夢など、尊重してやる必要も応援してやる必要もない。
けれどもYOSHIは、言葉を選んだ。
彼女の夢を、できる限り傷付けず、できる限り応援するような言葉を。
「そうか。……頑張れ。お前が誰かを笑顔にしていくことを期待する」
「───はいっ!! 頑張ります! なのであたしが入るまでエヴリィカをよろしくお願いします、YOSHI大先生! 大先生が守ってくれてたら、何が起こったって安心ですからっ!」
嵐のようにやってきた少女と男は、YOSHI達の時間を取らせるのも申し訳ないとでも言わんばかりに、嵐のように去って行く。
「それでは! 今日はあたしもおじさんも負けませんよっー!」
「すみません、うちの姪が。でも、優しく対応してくださって本当に感謝してます。……まあ、試合では手を抜いたりしませんけどね?」
2人が去っていくと、引っ込んでいた東郷が訳知り顔でのそのそと湧いてきた。
「おうおう、未来のエヴメンに早くも手を付けてんじゃないか。悪い大人ですのう御代官様。これは将来の熱愛疑惑ですよ?」
「代官になったつもりはないが」
「……まあでも、ヨッシーとしては満点の対応だったと思うぜ。少なくとも僕はそう思う。まうちゃんに憧れる女の子の夢、良い感じに守れたんじゃないか?」
「そうか。それならよかった」
YOSHIは、自分でも自覚しないままに、心中でホッと胸を撫で下ろす。
夢というものがいかに脆いかを、YOSHIは誰よりもよく知っていた。
どんなに夢のための努力を積み上げようとも、それは時に、YOSHIに1度か2度負けただけで、失われてしまうものだったから。
「押忍! YOSHI先生!」
去っていった魔法少女ネム、虫男ドン・バグと入れ替わるように、新たな男達が現れる。
男達は4人。
全員がスポーツマン然とした出で立ちであり、ポシビリティ・デュエル慣れした雰囲気こそないものの、それぞれが何かしらの格闘技を修めた者に特有のそれっぽい雰囲気を身に纏っていた。
この手のプレイヤー達は、PD定番の重火器十字砲火などに非情に弱いが、ひとたび近接戦に持ち込めれば上位プレイヤーにも引けを取らない強さであることを、YOSHIはよく知っている。
YOSHIは一瞬"誰だ?"と思いかけたが、不寝屋まうという存在のおかげで記憶が引っかかり、「まうのリスナーだ」ということを思い出す。
男達を率いているボクサー風の男は、不寝屋まうの配信で、森林を利用したYOSHIに仲間を次々倒された挙句、最後には正々堂々とYOSHIに打ち倒されたボクサーの男、『恥まみれの一歩』であった。
「今日も胸をお借りします!」
「「「 お借りします!! 」」」
「……お、おう」
「YOSHI先生に礼!」
「「「「 今日もよろしくお願いします!! 」」」」
「………………よろしく。いい試合にしような」
「「「「 はいっ!!! 」」」」
男達は去っていった。
どうやら挨拶だけするつもりであったらしい。
最低限の礼節を示しておかなければ、という意図での行動だったようだ。
また後ろに引っ込んでいた東郷が、そそそっとどこからか生えてきて、コメントを述べる。
「ヨッシーって体育会系にモテるんか?」
「知らん」
「でもよぉビー……オイラ、ヨッシーのストイックさは体育会系にこそ理解されると思うぜ……」
「知らんと言ってるだろう」
ああだこうだと、YOSHIと東郷が掛け合いをしていると、そんな2人を遠巻きに見守っているスーツの男が居た。
先の配信で、セミカマキリバッタの虫キメラ、空を飛ぶ魔法少女、その2人とたまたま巡り合わせで共闘していた、鉄の雀蜂と蟻を使うスーツの男。
その男が、電脳世界においては格好つけ以外に意味の無いタバコを吸い、YOSHI達を見つめている。
誰も見ていないが、男は格好付けていた。
「……」
誰も見ていないロビーの隅っこで、誰も見ていない"YOSHIのライバルの男面"をしながら、男は格好つけてタバコを吸っていた。
視覚的に見える白いエフェクト以外の何かではないタバコの煙を吐き出し、男はフッと笑む。
「……フゥー。今日もどうやら、YOSHIという篝火に集まる蛾というものは絶えないようだ……」
スーツの男は思わせぶりに次のタバコを咥える。
そんな彼を、見ている者は誰も居なかった。
皆がYOSHIと東郷の方に気を取られていたため、ロビーの隅っこでなんか知らん男がなんかぶつぶつ呟いて意味もなくタバコを吸っている姿など、誰も興味を持たなかったのである。
男の名は、『タナカリギュラ』。
特に意味も無く謎の男。
そこそこの腕を持つ蟲使い。
「しっかしヨッシーよ、僕が思うにだな……」
「やっほぅー」
東郷が渾身のギャグをかまそうとしたその瞬間、またしても新たな人物が生えてきて、言い損ねた東郷はちょっとしょんぼりしてしまった。
真っ白なドレス、流れる薄青の髪。
眠そうな目と、小柄な体格。
白いドレスから流れる無数のリボンは、彼女が歩くことでゆらゆら揺れる。
揺れるリボンの先には赤い点の模様、布が揺れることでまるで白い蛇のよう。
目の錯覚により、全身が蛇の群れのように見えるデザインの少女。
蛇海みみだ。
「来たか、みみ」
「あれぇー。驚かないんだねぇー」
ダウナーに微笑んでいるみみに対し、YOSHIはちょっとばかりの特別扱いをして、柔和な態度で応対する。
「Vliverは配信前に告知をする。俺も前は知らなかったが、学んだことだ。つまり今日このイベントに参加するエヴリィカVliverは、スケジュールを見れば分かるんだよ。みみも数日前の時点でこのイベントに参加する告知をしてたろう?」
「おおぉー……兄さんが文明に適応してるぅー……知性が飛躍的に進化してるんだねぇー……」
「舐めてんのか?」
くすくす笑う妹。
呆れた様子の兄。
口ぶりとは裏腹に、兄は妹に対して微塵も苛立った様子がないようだった。
妹は相変わらず兄に対して絶妙に無礼な距離感──家族同士許し合える距離感──で語らうようになったままで、兄もそれを受け入れたまま。
妹は兄には一切気を使わず、心理的には全力で兄に寄り掛かるようにして話し、さりとて周囲への気遣いはそのままで、特に"兄さん"という呼び方だけは周囲に聞こえないよう、努めて小声で発音するようにした。
兄に対してのみ無礼ながら、細かいところに気遣いの行き届いた妹である。
「おじいさんは『やるな』と思いました。僕より」
「兄さんぅー、この人の言語チョイスぅー、意図は通じるけど意味が分かんなぃー」
「俺も分からん。分からんがこれはこれでいいんだろう。たぶんずっと分からんが」
「本当君ら兄妹だねって今かなり思ってるよ僕は。主に息の合いっぷりとかでなァ!」
血の繋がりも無いのに"兄妹らしく息が合ってる"と他人に言われたことが嬉しかったのか、みみはダウナーな表情をにまにまと嬉しげに動かしていた。
YOSHIが上機嫌な妹に問いかける。
「みみ、今レートレベルどのくらいだ?」
妹は一瞬、答えたくないような顔をする。
「……最近ずっと絵のお仕事とかお歌のお仕事か配信とかしてたものでぇー。恥ずかしながら鈍りに鈍ってグングン下がってレベル2917ですぅー」
「十分だな。錆びた腕をまた磨き直せばなおいいが」
「……あのねぇー、兄さんの妹としてはですねぇー、大変情けない数字だとしてもぉー、そのぉー……」
申し訳無さそうにする妹と、妹が気にしていることが何かを理解しつつも、妹が思っていることを杞憂と切り捨てる兄が居た。
「センターの大人がいつも言っていたことは気にするな。忘れろ。俺が今、お前を褒めている」
「……ん」
「風成善幸みたいになれと言ってた大人は、全員間違ってたんだ。お前が俺になる必要はなかった。お前はお前だけの強さを持っていればいい。お前の可能性はお前だけのものだ」
「ありがとぅー、兄さん……」
2人の間でしか通じない言葉で、フレーズで、思い出で、兄妹は想いを通じ合わせていた。
2人の会話はそもそも隣に立っている東郷くらいにしか聞こえていないが、そもそも聞こえていたところで一般人にその会話の意味は分からないだろう。
その会話の骨子の意は、原作者の気質が回り回って生み出した、人造の子供達にしか分からない。
「兄妹仲良いねえお2人さん。僕はいいと思う。ま、いい兄ちゃんだなぁと思うよ。レートレベルを気にしない、うむ、大事なことだ。本当に大事なことですよ。いや本当にな」
「東郷、お前レートレベルは?」
東郷は顔ごと逸らした。
特訓にかこつけて、今の自分のレートレベルがどのくらいかを言おうとして来なかった男の、年貢の納め時が来たのである。
「……1518です……」
「わぁー」
妹が素直に反応に困る声を出した。
「来月一週目には4000まで上げるぞ。東郷」
「うわぁー……」
「お待ちになって??????」
妹が素直に反応困る声を出した。
東郷が素直に悲鳴を上げた。
YOSHIはいつも素直だった。
『チームランク』。
それは、ポシビリティ・デュエルにおける、チームの総合力を表す指標。
チームメンバーそれぞれの個性・能力を噛み合せたトータルの能力であるため、連携下手な天才を5人集めたチームと、連携上手な凡人を5人集めたチームが同ランクになったりもして、ランクが同じであっても完全に互角であることはまずないが、しかし分かりやすい指標ではある。
「足手まといが居ると今の環境では予想以上に響く」という認知や、「人数の多寡ではなく全員が強いことが大事」という考え方から、現在は登録上のランクだけでなく、メンバーのレベルの平均値を取って、「データの上ではCランクだが実際はBランク相当」といった語られ方をすることも多い。
結成したばかりのマイティ・フォースはランクEからスタートで、よく知られるGhotiはランクSである。
『レートレベル』。
それは、ポシビリティ・デュエルにおける、個人の総合力を表す指標。
個人戦での勝利、団体戦での勝利、射的大会での優勝、モンスターハントでの好成績、高難易度ミッションのクリア、自分が作成したダンジョンに挑戦したユーザーの敗北など、様々な要因によって上昇、あるいは下降していく。
レートレベルが上がれば上がるほど、強者に勝たなければレベルが上がりにくくなり、弱者に負けた時にレベルが下がりやすくなる。
誰もが無敵ではいられないこの
目安として、チームメンバーの平均レートレベルが5000以上でチームランクS。
4000以上でチームランクA。
3000以上でチームランクB。
2000以上でチームランクC。
1000以上でチームランクD。
それ以下でチームランクE、と言われている。
まうが配信で宣言した目標は、1に優勝。2にチームランクA到達。3にYOSHI以外のレートレベル4000到達である。
「ヘイ、ヨッsiriー。僕から質問だ。ゲーム開始時点で誰もがレートレベル500、だよな?」
「よっしり……? そうだ」
「ヨッシーのレベルは?」
「最近は負けてないからレベル6000。カンストだな」
「ば、バケモン……伊井野ちゃんはどんくらいなんだ、あれ」
「才能はあるがまだ実戦経験がない。現段階ではレベル800程度で見ている。慣れたら一気に伸びるだろう」
「不寝屋ちゃんは? そんな変わらないか」
「あいつは見込みがある。経験も下地もよく出来てる。今日の時点でレベル2500前後はあると見ている」
「マ? え、最近ずっと練習してる僕よりたっけえんだけどこっわ……なにそれ……えーっと、つまり4人の平均は……」
6000+800+2500+1518=10818で、平均レベルは2704.5。
今のマイティ・フォースの実力は、チームランクC相当であるということだ。
たとえば、マイティ・フォースとCランク相当のチームが試合をして、『相手チームを撃墜した数が得点になる試合』というルールが用いられた場合、YOSHIが敵チームを3人撃墜している内に、敵チームも東郷・まう・いのりを撃墜していて、得点互角……という試合展開が考えられるわけである。
「東郷には5月1週目に最低レベル4000になってもらうが……」
「お待ちになって」
「うけるぅー」
「まあ、とにかく挑戦してみれば分かる。できれば今日中にレベル2500前後の実力にはなってもらいたい。そうしたら時間的にも余裕ができるし、お前達が好きに遊びに行ったりする時間も用意できる」
「……」
東郷の脳内において、会話の中で突如発生した『YOSHIのことを知らない人間では十割正答できない』この難問に対する正答が、奇跡の如く導き出される。
東郷はハッとした。
───僕らも人のこと言えるほどご当地グルメとか食ってねえと思うけどな。男女混合な時点で旅行とかはちっと難しそうだけど、4人で遠出してご当地グルメ食ってくるとかくらいはありか?
───4人で遊びに行くんかぁ。でもそんくらいならバリバリに行けそうな気もするなぁ。言うてしばらくは死のスケジュールが待ってそうな気もするっちゅーか……
つまるところ、これは死ぬほど分かり難いというだけで、「今朝東郷達がやりたがってたことも叶えられる道筋ないもんかな」という、仲間に対する気遣いが表出したものなのだ。
YOSHIの脳内で、仲間の願いを叶えるために効率の良い修行予定表が組まれているのである。
その結果として、アチャ・東郷に彼が可能な範囲での無茶振りがなされるというだけで。
「おっまえ朝してた話にそんな期待してたの!? 僕まだレベル1500とかなんだって! 無理無理ソーリー無理悟り心理凍り驕り命取りやはり行き詰まり勝利無理ありおりはべりいまそかり無理ってところナリッ!」
「だいぶ余裕あんな、平気そうだ」
「しまったぁつい悪ノリッ!!」
「うけるぅー」
仏頂面のYOSHI。
がーんと頭を抱える東郷。
みみは楽しげに眺めている。
壊れたラジコンに他人が振り回されているのを外野から眺めている分には楽しい、ということに気付いてしまったようだ。
「俺はそもそもお前がレベル1500台が相応だとは思ってない。無理を言ってるつもりもないぞ。お前に出来ないことを言ってるつもりもない。結果としてこの一戦でお前の実力が飛躍的に伸び、レートレベルが大幅に上がれば良いんだ」
「期待が重いんじゃー!」
YOSHIは、仲間の願いを叶えようとしている。
他人を観察し、計画を組み、方法を考え、多くを語らないまま、具体的な方法論を構築している。
それは、仲間のための強欲だった。
YOSHIは夢想論を語っているわけではない。
彼の中にはそれを成し遂げる道筋が考えられている。
そして、今この時も、YOSHIは周囲のプレイヤーを観察し、少しずつでもそれを実現させる可能性を引き上げようとしているのである。
「もし、お前がこの一戦でそのくらい実力とレートレベルを跳ね上げられるなら……それが集まったにわか視聴者には最高のコンテンツになる、かもな」
「───」
「お前に『普段より面白くしようとしなくていい、目の前の試合に集中しろ、お前のリスナーはお前を好きなやつだけでいい』みたいな偉そうなことを言ったのは俺だからな。あれは別にお前の願ったものを否定したかったわけじゃあない。お前を鍛えながら補完プランを考えてたが、たぶんこれがベストだ」
もしも、今1番無理をさせられているのが誰かと言えば、それはアチャ・東郷ではない。
間違いなく、風成善幸だ。
土日月とほぼノンストップでフル回転。
本日火曜日は深夜まで伊井野いのりの配信に参加した後、朝からチームの集まりに参加し、午前中はアカウントの件でミーティングに詰めっぱなし、昼からは仲間達の育成プランを参考資料から煮詰めていって、4時間寝て起きた東郷を特訓。
東郷を特訓しながら東郷の願いもできるだけ叶えてやる方針を考え、東郷に口頭で講義を行いつつ、実戦形式で特訓。
並行してイベントに参加を表明しているチームの対策・試合進行想定を脳内でシミュレート。
イベント会場に移動後は東郷の緊張のケアを行いつつ、ギリギリまで東郷を指導、周囲のプレイヤーを観察して情報を集め、ここまでに組んだプランを細かく修正。
会いに来た他プレイヤーにもちゃんと応対しつつ、会話の中で相手の癖や特徴を見抜く観察も怠らない。
そして、この試合はフィールドマップから試合のルールまで全てがランダムで決定される。
PD初心者の東郷に柔軟な対応を期待する方が間違いだ。
YOSHIの仕事量が最大になるのは、むしろ試合が始まってからである。
YOSHIは、東郷が頑張ればギリギリ乗り越えられる試練を作るため、それを乗り越えれば東郷がこの上なく満足できる形を作るため、背負えるものは背負えるだけ背負おうとしているのだ。
「何も心配要らん。俺の言葉を聞け。試合に集中しろ。自分の可能性を信じろ。迷った時は『できる』と思え。目の前のことに懸命に挑め。時には俺の言葉さえ無視し、自分で考えて動け。ただそれだけで、ありのままのお前の全力をぶつけるだけで、お前が欲しがったもの、全部手に入る」
「……」
「お前が何か失敗しても、後ろには俺が居る。一回しくったら全部台無しの一発勝負になんてさせやしない。思いっきりやれ」
YOSHIに「何故そこまでしてくれるんだ」と聞けば、「俺は自分の人を育てる能力の可能性を試しているだけだ」と返答するだろう。あるいは、「お前が俺を倒せるほどに強くなれば、俺も自分を試す選択肢が増える」と応えるかもしれない。
ただ、YOSHIがそう返答したところで、それだけが理由なのだと思い込み、言葉の額面通りに受け取るような愚か者は、マイティ・フォースには居ないだろう。
YOSHIの言葉の裏側には、予想不可の事態に狼狽え迷いながらも、事務所と仲間の未来をたった1人で背負おうとした男への確かな敬意と、仲間として彼を助けたいという意志があった。
東郷は何も信じられない。自分の心も。自分の力も。自分の可能性も。そうなるに足る"これまで"があって、そうなって当然の気質があった。
だけど、それでも。
「分かった。相棒の言葉を信じる」
「俺もお前を信じる。気負うなよ、東郷。お前達の教育と成功に責任を持ってるのは俺だ。何も上手く行かなかったとしても俺が……」
「バカ野郎! どんな結果に終わっても、責任は僕とお前で半分こだ。1番強いからって全部責任背負わなくてもいいんだよ! 相棒がなんだか知らねえのか? 一緒に笑って、一緒に泣いて、一緒に地獄に行く奴のことを言うんだぜ?」
「……そういうもんか」
「そういうもんだよ。へへ。今のところ1番強いやつと、その内強くなりそうなやつでだって、相棒にはなれるってもんよ。そんで相棒にさえなっちまえば、遠慮なく互いに頼り合えるってもんなんだぜ?」
「そういうもんか……」
東郷が拳を握り、それを顔の前に上げて見せる。
YOSHIが反射的に、拳を握って同じように上げる。
東郷が拳をぶつけ合い、YOSHIが慣れない挙動で見様見真似でそれに応え、東郷がニッと笑った。
「とはいえ、今のとこお前が僕を頼ってくれそうな気配は無いからな。しゃーねえ、今日中にめちゃくちゃ強くなって、YOSHI様が僕に背中を預けてくれるようになるしかないな?」
「頼むぞ」
「頼まれた。好きだよアタイ、そういうの」
黙って見ていたみみが、にこにことそれを見守っていた。
彼女の笑顔の理由は、"兄がよそでも上手くやれてそうで嬉しい。兄を気遣ってくれそうな友達が兄の隣に居てくれて嬉しい"、その1点に尽きる。
今日ようやくちゃんと家族に『なる』第一歩を踏み出せたみみとしては、今日ようやくちゃんと相棒に『なる』第一歩を踏み出せた東郷と善幸にもまた、何かしら思うところがあるようだ。
「仲良いねぇー。こりゃ強敵そうだぁー」
「お、分かるか蛇海ちゃん。オメーにはこれから始まるヨシチャ最強伝説の最初の1ページを飾る存在になってもらうぜェ~ヘッヘッヘッ」
「なにぃー?」
「美味そうだな、良し茶。俺は綾鷹をよく飲む」
「「 小学生の感想? 」」
みみは楽しそうにしながらも、"そろそろ呼んで来るのにいいタイミングかな"と、ちらりと視線を後方に向ける。
「兄さんとねぇー、話したい人がおるんですなぁー」
「お前の相方か」
「……おぉー……」
YOSHIが即時正答したことに、みみは少し驚いた。
「そっちが参加することも俺と東郷がスケジュールで確認してる。お前と2人でイベントに参加するコラボ配信だったんだよな、今日は。だからお前と戦うかもしれないと、予想はしてたんだ」
当然、脳内で対策戦術も練られている。
「今日は兄妹対決ありえるねぇー」
「僕は呟いた。あれ、随分話のレベルが高いな……」
「高くねえんだよ別に。俺もみみの相方のレベルの高さは把握してる。前に一回すれ違うくらいはしたが、話したりはしてなかったからな。今日が実質初めての挨拶で……初めての、真剣勝負になる」
YOSHIが見つめる先、みみの背後から、ゆったりと1人の女性が歩み出る。
その女性とYOSHIが相対した瞬間、その場の誰もが息を呑んだ。
ポシビリティ・デュエルにおいて、強者は相手の姿勢を見るだけでその強さを見抜くことができるという。
近接戦におけるPD強者は、自身の身体運用を極めた者がほとんだ。必然的に、自身の身体運用を極めた者は、立っているだけ、歩いているだけでも、周囲の目を引く美しさを視覚的に発生させる。
人目を引くファッションモデルの歩き方のように。
人を魅了するダンサーの踊りのように。
街角に立っているだけで、道行く町民に只者ではないと思わせる、流れの剣豪の立ち姿のように。
極めた者は、ただそこに在るだけで惹かれる個性を魅せる。
その女性は、YOSHIに次ぐレベルに"極めた"姿勢の良さで歩み寄って来た。
竜の角、竜の翼、竜の尾。
焼けた鉄の如く赤黒い髪。
スレンダー・細身・高身長のモデル体型。
婦警の制服をアレンジした扇情的な服に、腰には殺意を感じさせる長大剣、そして背負われた陣羽織。
全体として、『辰巳芸者』の現代アレンジを加えている。
エヴリィカ4期生、Twin Twinkle Twelve十二支の辰。
『タツミ・ザ・ドラゴンスレイヤー』。
自分で自分に付けた名前が絶妙にダサい、という名前の設定部分を含めて個性を成り立たせている女性。
TTT最強と語られる配信者。
YOSHIに話しかけたくとも話しかけられなかった周囲の参加者達が、ざわめき始める。
「おい、見ろ……」
「タツミだ……」
「エヴリィカ最強格の……」
「強いの?」
「レートレベル5200くらい」
「5200!?」
「プロゲーマー1本で食っていけるだろ」
「しかし、相変わらず美しい」
「容姿と振る舞いが綺麗なんだよな、本当に」
ざわめきの中、二者の間に広がる沈黙。
YOSHIは、眼前の強敵に既視感を憶えていた。
タツミは、眼前の男に何を言えば良いのか迷っていた。
「……」
「……」
タツミは迷った挙句、最も使い慣れた言語に頼った対話を試みることを決めた。
タツミがスキルを発動する。
左手に、海賊風味の短銃が出現した。
そして右手に『アバターデザインとして設定された長大剣』が握られ、『スキルとして設定された長大剣』が発動される。
タツミの右手の剣が燃え上がり、アバターの一部であった時は西洋風だった剣が、スキル発動によって近未来SF風の燃え上がるスチーム・エンジン・ブレードへと形状を書き換えられて行く。
"肘から先を剣にするスキル"と同じように、アバターの一部をスキルで上塗りし、自身と剣の一体感を高めるという、基本にして究極の技能。
観衆がざわめいた。
それこそが、タツミ・ザ・ドラゴンスレイヤーの
長剣短銃、赤黒き竜人。
かつて日本代表を努めた者2人を同時に相手にし、1人で撃破したという伝説を持つ、最強格の戦士の一角。
対し、YOSHIもスキルを発動した。
風の体、風の刃。
風刃を携えて、竜人がぶつけてくる嵐のような戦意を、柳のようにするするするする受け流す。
観衆がざわめいた。
それこそが、YOSHIの
風に成り、風で斬る。
風を纏う、風の最強。
婦警と遊女と武士と竜を混ぜ込んだ容貌の女と、和風とレザーに風が乗っている容貌の男が、刃を構える。
「一手所望。其処で勝手に気付くが良かろう」
その女が告げ、構えた瞬間、YOSHIは気付いた。
構えだけで、その女だと理解した。
この女を、YOSHIは知っている。
否。
この女を、善幸は憶えている。
彼が覚えているということは、そういうことだ。
「その声、その雰囲気、その構え……」
「一問一答。如何か」
「構わない。来い。お前がお前なら、俺に拒む理由はない」
静かに、音もなく、両者はゆっくりと、間合いを詰めていく。
「わぁっ……!」
まうに憧れ、いずれエヴリィカに入りたいと願う魔法少女・ネムは、それを見て心底ワクワクしていた。
エヴリィカオタクであるネムにとって、エヴリィカ最強の呼び声高いタツミと、大先生YOSHIの最強対決は、ひと目見るためにママのお小遣いを全部使い切っても構わないというレベルのドリームマッチであった。
「なんか始まるみたいですね」
「若い子は元気だなぁ」
「恥まみ先輩、どっちが勝つと思うんスか」
「YOSHIだ。決まってる」
すっとこどっこいファイターズのリーダー、恥まみれの一歩は、ポシビリティ・デュエルにおける個々人の強さを見極められるほど、ポシビリティ・デュエルだけに嵌まり込んでいるわけではない。
ボクシングのついでにこのゲームを心底楽しんでいる、そういうタイプの人間だ。
彼には、タツミとYOSHIのどちらが強いかなど分からなかったが……それなら、『まうちゃんを好きでいてくれるまうちゃんの師匠を応援したい』と思い、YOSHIの勝利を信じることにした。
すっとこどっこいファイターズは、全員が大なり小なり、不寝屋まうを推しているリスナー達。まう推し軍団の男衆であった。
「2人ともがんばれぇー」
タツミのチームメイトで、YOSHIの妹であるみみは、のんべんだらりと両方を応援している。
「……」
タツミの挑戦を受けた直後、YOSHIが一瞬だけ東郷に目配せをした。
それが意味するところを、東郷の"察する力"はある程度正しく理解する。
この戦いを見て、イベント本番に活かせ、ということだ。
YOSHIは、本番で最大の壁となるであろうこの女を東郷が狙撃し、仕留める可能性にも期待している。この戦いは、既に布石の1つなのだ。
群衆の1人が"そろそろイベント開始だよなぁ"と思ってイベント司会の方を見ると、司会までもが夢中になってドリームマッチを食い入るように見ていた。
これはもはや、事実上の『
「イベントが始まる。俺達の本番はそこだ。5秒でいいな?」
「先刻承知」
YOSHIが提案し、タツミが受ける。
5秒間の、
ここに維持力を前提とした駆け引きは存在しない。
純然たる、技量の勝負だ。
一瞬。
両者の間で、目には見えない気迫のようなものがぶつかった。
それこそが、開戦の合図。
両者踏み込む。ただそれだけで、空気が破裂した。
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