西暦2059年4月15日(火) 08:05

 パジャマ風のファッションコーディネートが生まれたのは、2013年~2014年のパリコレにおけるルイ・ヴィトンのショーであったと言われている。

 そこから10年ほどかけて、パジャマコーデは徐々に支持層を増やし、そこでマイナーメジャーコーデとして定着したというのが定説だ。


 女子のパジャマ風コーデは2059年現在、オシャレの選択肢として無くもないという位置付けにある。


 締め付けが嫌いな子が好んで着たり、やや体重が増えたのが気になった女子が体のラインを隠したり、周囲の人のお世話になる障害持ちがお世話になる人の肌をチャックなどで傷付けるのを嫌って着る、等々の理由でチョイスされることが多いらしい。


 しかし、パジャマ風コーデにパジャマみたいと言うのは禁句である。

 絶妙に罵倒の色が残るからだ。


 『パジャマみたいでダサいね』という意見と、『パジャマ風コーデ可愛いね』は、世の中に両立する意見であり、言い方を考えないと混ざりやすい言葉なのである。

 ゆったりファッション、余裕のある可愛さ、などと言っていくのがベストであると言えよう。


 と、いうことを、デバイス越しに善幸に説明するみみであったが、善幸の表情は何も理解していない虚無のそれ。みみはここに来て、ことに気付いてしまった。


「しぃーまったぁー……」


 今まで生きてきた世界が違いすぎて、兄と妹の使う語彙があまりにも違っている。みみの言葉が想定した意図が、みみが誘導している善幸に対し、100%伝わらない。


 このラジコンには"女子"が分からないのだ。


「違うんだ、俺は……別にパジャマを悪口のつもりで言ったわけでは……いやパジャマで外を歩いてる奴が居たら流石に変な服で外を出歩くなと思ったりするが、違う」


「何が違うっちゅーねーん!」


「待ちな不寝屋ちゃん! 男子が女子のパジャマを可愛いと思うのは一般的だぜー! 僕もそうだぜー! だからあまり強い言葉を使うな。僕が泣いてしまう。僕が弱く見えるぞ」


 割り込むアチャ・東郷。


「なんやて……!? ほんならヨシは今、言葉が致命的に足りのーて、話すのがアホほど下手やっただけで、いのいのを褒めてたっちゅうんか!?」


「そうだよ(便乗)」


「おもしろ~」


 涼芽がまた笑っている。


「俺は面白くないが……」


「すまへん、ヨシ……うちはヨシに完璧なイメージがありすぎたっちゅーか、そこまで他人の服を褒める性能が低かったなんて想像もしとらんくて……」


「いい言葉のボディブローだな、まう。どこのジムで習ったんだ?」


 遠くから見ていたみみはほっとする。

 率直に言って、今の流れは東郷に助けられたと言う他ない。

 人より多くの事柄を察し、最適なタイミングで最適な言葉を差し込めるのが、この男の強みである。


 今度こそは兄を上手い感じに助けよう、と妹は奮起する。

 みみは絵師系Vliverとして成功した少女であり、設定的にはファッションデザイナーの獣人だが、兄に通じなさそうな語彙は封印しなければならない。



【兄さんぅー。話題を切り替えてこぅー。天気の話でもしよぉー。そっから反応を見て別の話題に接続してくのがいいんだよねぇー】



 妹の的確な助言を受け、兄は誰にも見えないように親指を立てて確認したことを明示する。

 兄妹の絆此処に在り。

 妹のアドバイスは誤解なく兄に届いたのだ。


「……今日は、どうでもいい天気だな……特筆してなんか言うこともねえ太陽、つまんねえ雲、強くないけど無風ってほどでもねえ風……なんか本当に何も言うことねえや……」


「えぇ~」


「雑談の振り方ヘタクソなん?」


「ねぇ、今から晴れるよ。もう晴れてたわ。ヨッシー! このつまんねえ春晴れを僕と壊しに行こうぜ」


 なんでこのラジコン真っ直ぐ走らないんだろう。みみはそう思った。


 話の流れを気にせずのんびり皆の朝ごはんを作っていたいのりの手料理が、4人の前に並べられていく。


 仏頂面の下、内心で悪戦苦闘する善幸を見て、何やら考え込んでいた東郷が納得したように手を打った。


「おのれ、偽物め」


「あん?」


「僕らのYOSHIをどこへやった! 僕らのYOSHIを返せ! 僕らのYOSHIは雑談を盛り上げようとしてド下手な話題振りをしてド滑りするような情けねえやつじゃないんだ!」


「お前、しまいにゃ反吐が出るまで走り込ませるからな」


「失せろ、邪悪なるなりすまし野郎!」


 東郷の親指が、五円玉を弾いた。

 くるくる回る五円玉が、ゆったりとした放物線を描いて善幸の額に迫る。

 最近映画になった銭形平次の必殺技として有名な小技、銭投げだ。


 友人同士のじゃれ合いで済む速度で迫る五円玉。

 善幸はいのり特製コーンスープに心身共に満たされながら、迫る五円玉を見つめ、テーブルの上のつまようじをつまんだ。

 そして、回転する五円玉の真ん中の穴につまようじを通し、するっと五円玉を受け止める。音もなく、つまようじに穴が引っ掛かった五円玉が空中で静止した。

 東郷はちょっと引いた。


「本物だこれ」


「当たり前やろがーい!」


「わぁ~! すご~! かっこよ~!」


 東郷はやんややんやと会話を盛り上げておいて、涼芽とまうの意識が善幸から逸れた瞬間、善幸に馴れ馴れしく肩を組んだ。そして肩組みを隠れ蓑にして、耳元でこっそりと善幸にささやく。


「……冗談は置いとくとして、もうちょい上手くやれ」


「ぬ」


 バレている。

 善幸とみみは瞬時に察した。

 兄妹の儚き絆、此処に敗北する。


「楽しい遊びしてるみたいじゃーん。混ぜてくれよオイオイ。僕は百合の間にも混ざる男よ?」


 みみの話の、東郷の得意ジャンルがラジコン配信だという話を善幸は思い出す。


───兄さんの仲間のとーごーさんとかも得意なジャンルじゃなかったっけぇー?


 おそらくそこを取っ掛かりにして気付いたのだろう。

 取っ掛かりがあるとはいえ、恐るべき察しの良さである。

 伊井野いのりが『ある』と『ない』を見極める創造性のセンスを持つ少女であるように、東郷にもYOSHIが見た"何か"の可能性が備わっている。


「まあ僕にもちょっとは想像つくぞ。昨日、伊井野ちゃんと建築雑談配信して、雑談を上手くやる挑戦する気になったとかそんなんだろ? お前すぐ『自分がどこまでできるか』を試してみたくなる人間だもんな」


「……」


「で、ヨッシーが誰かと会った? んだよなたぶん。そんでそいつのアドバイスを今受けてる気がする。ヨッシーが自分から頼むわけねえし、そいつからアドバイスを申し出た? ヨッシーは一回申し出断ってそうな気がするな。上手く行ってないのはそいつとヨッシーに大した付き合いと信頼関係が無いからか……?」


「…………………………………」


 図星であった。


【兄さんごめんさぃー……】


「誰だろ。昨日今日のヨッシーの行動範囲でそんな色んな奴と出会うわけないと思うんだよな、僕は。仁山ちゃん……が一番ありそうだけど、仁山ちゃんならもうちょい上手くやってる気がするするするのスルメイカ」


【出来が悪い妹で兄さんごめんさぃー……】


「いや……」


「ヨッシーって昔の女とか居る? その子がVliverやってるとかある? ってかどこ住み? ラインやってる?(笑)」


【兄さん様ぁー、とぼけてどうにかならなぃー?】


 喋っている東郷。

 網膜に映し出される妹の助言。

 1つの会話の流れにまとまらない、独立した2つの流れが善幸に並行して襲いかかる。善行の思考は止まり、発言は適当になった。


 王者YOSHI、またの名を戦闘思考以外は適当な男。


「後で話す。今は適当に雑談しててくれ」


「あいよ」


 仏頂面の善幸。

 それ以上突っ込んでこない東郷。

 蛇海みみはほっとする。

 "今のは相手が誤魔化されてくれただけだけっぽ"と、みみはアチャ・東郷の気遣いに助けられたという所感を持った。


 ともかく、なんとか乗り切れた。

 みみは次なる言葉を考える。

 兄を周りから尊敬させる、そのために。

 "この壊れたラジコンを助けてあげられるのはみみしかいないんだ"という責任感が、みみを突き動かしていた。



【リーダーの兄さんはぁー、仲間を気遣う姿と仲間の状態を把握する姿を見せて信頼を勝ち取ろぉー! とりあえず睡眠時間から把握しよねぇー?】



 妹は既に配信者中心のチーム活動の経験があるようだ。

 そのアドバイスには迷いがなく、過去に誰かがそうしていたという既知の感触があった。


 善幸は妹の助言に従い、所作や表情の活力から、仲間の体力の残量を推測する。

 これは前世の野球が培った魂に宿る技巧。

 野球で最も肝要なものの1つ、"相手チームのピッチャーの体力残量を推測する"という技術を応用したものである。


 おそらく、体力残量はYOSHIが220、まうが200、いのりが65、東郷が45あたり。

 まうは体力の上限も回復速度もオバケなので考慮の外に置いておくとして、日付変更まで配信をしていたいのりはそこそこ寝ても回復しきっておらず、東郷に至ってはかなりの疲れが見て取れる。


「君ら、昨日何時に寝た?」


 善幸はいのり製コーンスープの優しい味に癒やされるつつ、問いかける。


「わたしは~……2時前くらい~?」


「紅白対抗戦がめちゃくちゃ延長しててェ……4時くらいまで長引いててェ……」


「うちは1時くらい? 起きたのが6時くらいやったかなー。さっきまで全力で提出物作りまくっとったわ。ゴールデンウィーク近いねん」


「……」


 現在が八時半。

 東郷以外は寝不足というほどではないが、それでも寝すぎないように寝る癖が付いているのが透けて見える。

 この事務所のVliverは、全体的に寝すぎないようにする傾向があるようだ。


 善幸はVliverを指導する難しさを、改めて感じていた。

 高校球児に寝不足で練習や試合に挑むものはほとんど居なかった。

 皆がしっかりと寝て、フルパフォーマンスで練習や試合に望んでいた。

 しかしVliverは違う。

 寝不足のまま練習に挑まなくてはならないことも多い。

 何故なら、忙しいから。

 時間に余裕が無いから。

 仕事をし、収録をし、配信をし、コラボをし、ゲストに出て、合間に練習。

 当然、寝不足のまま練習をしてもその効率はさして高くはならないだろう。


 善幸は、教え子が寝不足で迎えた練習においても、ちゃんと練習の効果を出さなければならない。

 時間の無さ、疲労の蓄積を言い訳にしてはならない。

 それが人気のあるVliverを教えるということなのだ。


「わたしは今日ちゃんと寝るけどまうちゃんはどうする~?」


「うちもそうしよかなぁ。ってか全員そうやろ」


「僕はもう今寝てえ。これは心も原始に戻りますよって感じだ。おい眠か、起きてはおれんご」


 ただ、Vliver達は長期的に見ればきちんと自己管理できている。それは彼女らの会話からも明らかだ。で、あるなら、善幸が行うべきことは、頑張っている彼女らのメンタル面を支えることだろう。



【兄さん! 頑張ってる仲間に気遣いチャンスぅー】



 みみの助言を受け、善幸は小さく頷く。


「これは俺が、国際指名手配犯が多く出場するポシビリティ・デュエルの裏大会がメキシコで開かれると聞いて、メキシコに行った時の話だ。俺は道端でいい人そうなメキシコ人から貰ったカレーを食べ、気絶し、気付くとマフィアのボスの家のソファーに寝ていた。メキシコでは人の良さそうな町人が旅行者に睡眠薬入りの食べ物を振る舞うのはよくあることらしい。俺はそこで、昔から俺のファンで話してみたかったというマフィアのボスと話し始め……」


「唐突になんや!?」

「何何何の何!?」

「え、ええ~!? せんせ~どうなっちゃったの~!?」


「……いや、なんだ。俺はこう……他人を眠らせる悪い眠りがあって……日々の中に楽しさを創出するために君達が意識的にしている良い眠りがあるみたいな……眠りに善悪があるなら善は君達だなみたいな良い感じの話をしようと……」


「本題が遠すぎひんかぁっ!?」

「久々でもなくワロタ」

「せんせ~はどうなっちゃったの~!?」


 どこに大事なパーツを落として来てしまったんだろう、このラジコンは……妹は、素直で純粋な気持ちで、そう思った。



【兄さんもうこの辺でええかっこするの諦めよぅーよぉー】



 善幸は小さく首を左右に振った。


 このラジコン、真っ直ぐ走らないくせにブレーキはないんだなぁ、と妹は思った。


「待て、3人とも。俺はまだ負けてない」


「何と戦っとんねん」


「俺はまだ陽キャになれる」


「せんせ~陽キャをなんだと思ってるの~」


「しかしだな」


「もうやめましょう善幸さん。普通に話そうとすれば普通に話せるのに上手く話そうとすると途端にぎこちなくなる貴方がトーク上手になるなんて土台無理だったんだ。僕が代わりに激ウマトークで場を繋いで見せますから……」


 みみは生暖かい空気の3人に囲まれている善幸がああだこうだと言い訳を述べているのを見て、両手で顔を覆った。


 兄に恥をかかせてしまったという意識は無く、ただただラジコンの操作をミスしてコースアウトしてしまったような、軽い無念が妹の胸中を満たしていた。


 雑談は絶え間なく展開されていたが、その途中、ふと東郷が何かを思い出したように手を叩く。


「おお、そうだった。僕としたことが忘れてしまうところだった。ここまで雑談が無駄に盛り上がること普段無いからな……うん。今日僕がこんなにも眠いのに寝てないのも、皆に集まるよう呼びかけたのも、理由あってのコトウラさんなんだな」


「俺と走り込みをして体力を作るって約束を思い出したからか? 今から走るか。まず何km走る? 30km? 40km?」


「ちゃうわい! 僕らのチーム結成がニュースサイトでニュースになって、SNSでも連日騒がれてるから、早いところ"ムーブメントの心臓"を造っておかないと駄目だろって思ったんだよォ!」


 ムーブメントの心臓。

 2059年の配信界隈ではごく一般的に使われる、されど善幸にとっては耳慣れない言葉が、善幸の耳の内に引っ掛かった。


「ムーブメントの心臓……?」


「教えてしんぜよ~」


 得意げな笑顔の涼芽が、横から顔をのそっと出してくる。


「涼芽。説明してくれるのか」


「うむ~」


「……なんやあんたら急に仲良くなっとらんか?」


 真面目だがどこか抜けている善幸。

 善幸といつの間にか距離が縮んでいる涼芽/いのり。

 そんな2人を、まうが怪訝そうに見つめていた。

 東郷がふふんと鼻で笑う。


「おう、嫉妬するな不寝屋ちゃん。我が血は嫉妬のために湧きたり。我もし、人の幸福をみたらんには、汝は我の憎しみの色に覆わるるをみたりしなるべし……という言葉を僕は君に授けよう」


「………………しとらんわ嫉妬なんて! そういうんとちゃうねん!」


 まうが表情に浮かべた一瞬の感情は、彼女の言う通り嫉妬と言うには何か違うもので、されどその感情は誰にも汲み取られることなく、まうが隠した想いの内へと溶け落ち消えた。


 まうのそんな挙動に気付かず、涼芽はのんびり話し、善幸は耳を傾けている。


「ムーブメントの心臓っていうのはね~。流行の中心点のこと~。その流行に触れてる人たちが必ず触れる所のことなんだよ~」


「必ず触れる所?」


「WEB漫画が流行ったら~、最新話が公開される作者アカウントが心臓~。週間連載漫画が人気になったら~、感想や考察を書くのがすっごく上手い人のサイトが毎週心臓になるかも~。Vliverは~、Vliverが告知をするアカウントが心臓~。人気ゲームは~、運営アカウントが心臓かな~?」


「……ああ、なるほど」


 善幸の1000倍雑談が上手い涼芽は、善幸に理解できる言葉を選び、善幸にとって未知の世界の単語を瞬く間に把握させることができる。

 聞き上手で話し上手、なればこそのVliverの雑談勢だ。

 ついでにいつもにこにこしている美女なので、なおいい。


 ムーブメントの心臓とは、古くからある懐中時計などを動かす中心機構の呼び名である。

 社会が時計。

 歯車が流行。

 それを回すのがムーブメントの心臓だ。

 だからこそ、この時代においては流行の基点にその名が引用されている。


 機械の心臓の名は、流行の心臓の名として、2059年の現在に至ってもまだ使われ続けているのである。


「僕らがこれからチームを組んで戦うなら、その流れを追いたい人は必ず出て来る。なら必要なんだよな。試合の告知、練習配信の予告、ショート特訓動画の投稿、僕らの仲良し写真の掲載、大会の日程の掲示、チームの日常の垂れ流し、リスナーへの感謝の言葉……そういうのをするアカウントと、アカウント名になるチームの名前ってやつが絶対に必要だ」


 東郷の理路整然とした説明は、"いつもふざけてないでこうしてればいいのに"と周りに思わせる程度には理知的だった。


「なるほど、分かった」


 善幸は、全く考えていなかった。

 心臓が必要だという前提も。

 その心臓が必要な理由も。

 心臓を用いて何をするかも。

 心臓があることで長期的に何がもたらされるかも、何一つ考えていなかった。

 無知である。


 だが、配信者である彼女らにとって、それはまさしく息をするように当たり前のことだったのだろう。

 善幸は目から鱗が落ちる気分であった。


「ヨシが設立して管理しとるチームアカウントっちゅーことにしといてなー。ほんでパスワード共有して4人の誰でも管理できるようにしとくねん。あと事務所のスタッフの何人かにも管理できるようにしといたろ。そーしたらうちらが寝てる間にもスタッフの誰かしらが、迷惑アカウントやら荒らしアカウントやらブロックしといてくれるんとちゃうかなー」


 にひひ、とまうが笑う。


「そんなことまで考えてるのか。俺にとっちゃ全部新たな知見だな」


「で、ヨシ。聞いときたいんやけども……」


 まうが何を聞きたいのか、流石の善幸にも話の流れから汲み取れる。


「俺はアカウント取らないでSNS眺めた経験はあるが、アカウントを取ってSNSを運用したことはない。一度もな」


「せやろなっー! そんな気がしとったわ」


 妹は遠くで感激していた。



【兄さん……! 相手が言おうとしたことを察してるぅー……! 成長してるんだぁー、この戦いの中でぇー……! 戦いの中? まあいっかぁー……】



 妹は、パーツが足りないラジコンがたまに察しの良さを見せるだけで感動するような体にされてしまっていた。


「ヨシ、SNSアカウント作ったことないんやろ?」


「ああ」


「そんなやから、ヨシが初めてネットの海に降臨する! っちゅー話題性が期待できるんやな。ネットに一切興味持っとらんかった天才少年かつ世界王者が、とうとう距離に、ネットの俗世に現れる……! みたいな、感じでなぁー?」


 まうはまるで、宝物を皆に見せびらかす前の子供のように、ワクワクを滲ませた笑みを浮かべていた。


 宝物が何かなど、いや、誰かなど。考えるまでもない。


 善幸にはおそらく、言わなければ分からないだろうが。


「俺はそこまでネットに疎くはないが」


「試合にばっか熱上げてなぁ、今時SNSのアカウント一個も持っとらんやつはなぁ、一般的にはネットに興味が無い仙人や」


「む」


 正論であった。

 反論の余地がない。



【正論だぁー】



 妹さえも認めていた。


「今日はチーム名決定編、かつチーム用SNSアカウント開設編ちゅーわけやー! これ記念日になるでー!」


「なるのか」


「なるんやなるんや!」


「なるなるぅ~!」


「なるほどくん異議無しってわけ」


 善幸が雑務に使う手首のデバイスを渡し、4人で肩が触れ合う距離まで密着し、空間投影画面を覗き込んで、SNSアカウント開設の手続きを踏んでいく。


 善幸の左から東郷が肩を組んできた。

 "いいだろ"と言わんばかりに、東郷が二ッと笑む。

 "しょうがないな"と、善幸は受け入れた。


 善幸の右から、涼芽が善幸の服の裾の端を、指先でちょこんとつまんでいた。

 善幸が目を向けると、涼芽は車椅子の上でのんびりふんわりと微笑んで、けれどちょっと照れくさそうにして、善幸から顔を逸らした。


 そんな涼芽の右側から、涼芽の頭をまうがよしよしと優しげに撫でていた。

 どうやらまうが無自覚にやる手癖らしく、涼芽はくすぐったそうにしている。


「登録するのはXeT(エクセット)。大昔吹っ飛んだ超巨大SNSの、名前変更騒動とか色々をモチーフにして名前ついたっちゅー話や。世界最大のSNSやなー。"人が多ければ多いほどSNSは価値を高める"っちゅー理屈の体現で、新世代AIを導入して途方も無いデータ量を管理しとるとかの話や。ここに色々投稿してくんやでー」


 ごく自然に、無知な善幸向けの細かい説明を入れるのは、まうの優しさである。


「色々って?」


「朝飯食い終わったら4人で適当なフィールドにログイン、挨拶動画とコメント撮って、それ投稿やな!」


「おお。実際にそうなのか知らんが、なんかVliverっぽいな」


「実際にそうやでー!」


 "いのり製ひややっこネギ添え特製醤油ソースがけ"をガツガツと食べ終わり、まうは更に構想を語り出す。


「撮る時はセンターにヨシ置いて並んでなー、その左右に」


「いや、センターはまう。君だ」


「なんでや!?」


【なんでやぁー!?】


 まうと妹が騒いだが、兄は無視した。


 まうは善幸の判断に納得がいかないらしく、善幸がリーダーに相応しい1番の人間だと主張しているにもかかわらず、善幸の判断を否定すべく食い下がった。


「このチームの教師は誰や? 1番強いのは誰や? 試合で中心になるのは誰や? ヨシやろがーい! ヨシ以外がセンターでええわけないやろがーい! 宣伝広告でお菓子並べる時にセンターにきのこの山以外を置くやつがおるかぁー!」


「いや、リーダーは君だ。今日任せるつもりだった」


「なんでや!?」


【なんでやぁー!?】


 まうと妹が騒いだが、兄は無視した。


 善幸とまうが仲良く言い合いをしているのを、横で涼芽と東郷が見守っている。


「どうする伊井野ちゃん」


「様子見で全然いいんじゃないかな~?」


「ま、だろうな」


「せんせ~、いけ~、やれ~」


 涼芽のふんわりとした応援を受け、善幸は人差し指を立てる。


「まず1つ。俺の経験上、リーダーは1番人気のあるやつじゃないと成り立たない。仲間をまとめるのも、表彰台に上がるのも、インタビューを受けるのも、リーダーの仕事だ。加え、群衆って奴はリーダーに対し、仲間から尊敬される・慕われることを求める。『皆に慕われるリーダー』のポジは、他の仲間よりずっと人気者じゃないといけないんだ。でないと、"あいつの方が人気だしリーダー向きだよね"と思われる可能性がある」


「ならなおさらヨシやろがい!」


「俺にあるのは知名度だ。確固たる人気じゃない。今の時点でも、投げ銭スパチャをする人数だけなら俺より君の方が圧倒的に多いんじゃないか? チームとして活動すれば、メンバーの知名度は均一化していく。俺の知名度も君に流れていく。最終的にどんな指標を使っても俺より君の方が人気は高くなるだろう」


「……ないやろ、そんなこと」


「いいや、起こる。君にはその可能性がある」


「───」


「俺は俺達のチームを最高に仕上げるため、俺よりリーダーとして使可能性がある君を採用していきたい。得意分野を分担できるのがチームのいいところだ」


 どきり、とまうの心臓が跳ねて。

 涼芽が言動から懐かしさを感じて、微笑んだ。

 東郷の目の色に宿る色からは、感情が読み取れない。


 善幸は人差し指に続き、中指も立てる。


「2つ目。この集まりは東郷が集めたもんだったはずだ。だけど、いつの間にか会話をまうが引っ張っていく形になっていた。気付いてたか?」


「え……それはまあ、流れやろ」


「乗っ取られた僕……そして不寝屋ちゃんがもう1人の僕!」


 善幸のデコピンが横から生えてきた東郷の額を打った。


「まうには、人並み外れた活力と曲がらない意志力がある。それでいて、主張を展開する過程で他人の意見を蹴り出さず、他人を尊重するバランスがある。君には周囲を引っ張っていく力と、周囲の意見を汲みながら進める、方針の調整力がある」


「か、過大評価やって! まーたヨシは無意味に褒めくさって! 照れるしかなくなるやろもー! 誰にでもそういうこと言ってるん知っとるんやからなー!」


 顔を赤くするまうに、善幸は語り始める。


「たぶん、最も活動的な君が旗振りをする効果は君が思ってるよりも大きい。これまで配信で見てきたが、リスナーも、仲間のVliverも、君の在り方に引きずられ、君に味方していく傾向があるからだ。ジャンヌ・ダルクだって元気一杯の女子が前線回って旗を振って、その影響力で戦争を勝たせたって話だしな」


「うちじゃジャンヌ・ダルクにはなれへんやろ」


「ジャンヌ・ダルクなんて要らん。俺に必要なのは君の勇姿だ」


「ぅ」


「俺の仲間は君なんだからな」


 まうの顔がどんどん赤くなっていく。

 考えたこともなかったほどの、彼からの褒め・評価・期待・信用。それらが少女の頭の中で混ざって、まうはどう反応すれば良いのか分からなくなってしまう。


 善幸は、まうのことを"そういう目"で見ていないから、平然とこんなことが言えてしまう。

 まうは逆に、平然と聞いていることさえできないのに。


 善幸が、3本目の指を立てる。


「3つ目。俺はリーダーに向いてない。俺は基本的には自分のことしか考えてねえからだ。自分の可能性にばかり興味が向いてる俺は、自分の嗜好のせいで他人が見えなくなりかねない」


「……言うほどそうやろか?」


「君が思ってる以上にそうだ。目の前の戦いに全身全霊を懸けた時、俺は一瞬一瞬の攻防に思考の全てを費やす。仲間の指揮も仲間の援護も安定してできないやつは、リーダーには向かない」


「……ヨシ以外がリーダーやったら、ヨシは思いっ切り戦えるっちゅーことか?」


「少なくとも、俺が単騎に専念した時の安定度は抜群に変わるはずだ。が1つあるだけで、戦いの流れは大きく変わる」


「……そか」


 まうは言葉を噛み締めるように頷く。


 蛇海みみは混乱していた。

 妹は思う。

 なんで最初からこれができないのか、と。

 壊れたラジコンがたまたま上手い具合にコースを走る姿を、妹は手に汗握りつつ半ば呆然とした気持ちで見ていた。


 涼芽はうんうんと頷いている。

 涼芽には最初から分かっていた。

 善幸にトークスキルはない。

 しかし、知識と、言葉と、真摯さがある。

 善幸は上手く語ろうとしても上手く行かないが、ただ思うままの言葉をぶつければ、その言葉はちゃんと相手に響いていく。


 それは、トークスキルで会話を構築するVliverとは違う世界に生きてきた、善幸の個性なのだ。


 善幸は上手く話せない。

 けれど、正しく話すことができる。


 善幸が、4本目の指を立てる。


「4つ目。俺は君らを引き立て役にしに来たんじゃない。君達が自分の力で勝ち上がり、勝利の果てに"私達の頑張りで勝ち取ったんだ"と胸を張って言えるようにしに来たんだ」


「あ……」


「俺は教えに来ただけだ。君達は俺の力じゃなく、君達自身の可能性によって勝つ。俺はそんな未来を見るため、今積み上げている」


 善幸はずっと、まうのリーダーとしての適性、彼女の中の未知なる可能性について話しているだけだ。

 なんなら、まうを褒めているつもりさえ無い。

 善幸主観における事実を並べて、まうに選択と決断の権利を委ねている。


 彼は、まうに命令しない。

 まうがリーダーを強く拒めば、静かに頷いて受け入れるだろう。


 善幸は上司ではない。

 偉い人でもない。

 リーダーをやるつもりもない。

 彼女らに強くなる方法を教えられる対等の仲間として、ここに立っているつもりである。


 善幸が、5本目の指を立てる。


「そして最後に。俺は君の願いに応える形で仲間になった」


「……あ」


「君がリーダーじゃないと、俺は此処にどういう理由で立っているのか見失うかもしれない。だから君がリーダーだ。俺はそうであってほしい」



───どこまで行きたい? 俺が連れていく


───一番……上まで。誰も見たことがない所まで



「……せやなぁ」


「だけど、決めるのは君だ」


「最後まで待たんでえーわ。今決めたる。やったるでリーダーのお仕事ー! うおー! ぜあっー!」


「そうか。頼んだ」


「淡白やな! もっと喜びぃーや! ヨシの意向が通って、まうちゃんがヨシを尊重したんやでー!」


「君はいつも俺を尊重してくれているだろう。別に今突然尊重してくれたわけじゃない。俺はいつも感謝している。俺が初日からやりやすいのは、君がそう接してくれて、君の姿勢が周囲に伝搬しているおかげだ。君が俺を尊重してくれていることを喜ぶなら、タイミングは今じゃないと思うんだが」


「ぅぉ」


「とにかく。任せたぞ、リーダー」


 蟻の鳴き声かと思うほど小さな声を漏らし、まうはまた顔を赤くして照れた。

 涼芽がふんわりとにやにやしながら、そんなまうの頬をつつきに行く。



【壊れたラジコンってぇー……人の心を震わせる会話ができたんですねぇー……】



 蛇海みみは、感動していた。

 プロジェクトチャイルドとして生まれ、ちょっとした自己主張でギャル的な小洒落たファッションに身を包み、世の中やセンターにささやかな反抗をしたつもりになって、『他人の都合で作られたかわいそうな子供』を脱するため、『自分のためのオシャレ』を重ね、苦悩を乗り越え、社会を斜に構えて見ながらも、敬愛する兄への想いによってスレることなく(けれどちょっとズレた感じに)育ってきたイラストレーターVliver。それが蛇海みみである。


 みみは世を、兄を、知った気になっていた。

 だが違った。

 壊れたラジコンには、みみでは推し量ることもできない力があったのだ。

 壊れたラジコンにだって会話はできたのだ。

 なんだかどんなアドバイスをしても無意味なような気がしていたが、そんなことはなく、壊れたラジコンには壊れたラジコンなりの良さがあったのだ。

 クールでかっこよく完璧で偉大な兄はもう最初からどこにも居なかったことが分かったが、愛すべき壊れたラジコンにしか言えない言葉がある。

 妹として、それを知ることができたことを、嬉しく思うみみが居た。


 みみはそっと、目の端の涙を指先で拭う。


 そして。






 東郷が、まうを見ていた。

 誰も見ていない顔の角度で、善幸に褒め称えられて照れに照れるまうを、東郷が見ていた。

 射抜くような視線。

 冷たい瞳。

 何かに対する殺意か何かにも見える負の感情。

 へばりつくような、粘着質な想いがあった。


 東郷の視線は、まうと善幸の間を往復している。


 ほんの数秒、底知れない負の感情を隠し切れなくなっていたアチャ・東郷であったが、すぐにそれをまた覆い隠し、剽軽ひょうきんで軽薄なオルスラ使いのダメなオタクの顔へと戻る。


「リーダー、僕にお小遣いくださ~い!」


「ちょーしのんなやぁー!」


「うおおおお! 富が手に入ればあとは名声と力だけで揃うのにィー! うわァー!」


 そしてまうに雑に絡んでいく。

 まうが善幸の真似をし、デコピンをする。

 東郷がそれを受け、大げさに痛がる。

 善幸が仏頂面のまま、呆れたように溜息を吐く。

 流れを見ていた涼芽が、陽気に笑った。


 アチャ・東郷が内に秘めたものは、何年もかけて醸成されたものであり、まうや涼芽では引き出すことすらできないものである。同期の十二支Vliverでは片鱗を見ることすら叶わないものである。

 何故ならば。


 アチャ・東郷は、女性に負の感情をぶつけること・女性に負の感情を吐き出すことを、『ありえないくらいダサいから絶対にやっちゃならないこと』だと、定義しているからだ。


「じゃ、チームの名前決めるぞ。リーダー、仕切れ」


「そやでリーダー、仕切ったれ。ってリーダーはうちやった! HAHAHA!」


「きゃ~、リーダー~、しっかりしてください~」


「ボス! 僕を贔屓してくれたら靴でもなんでも舐めますよ!」


 だから、彼女らに彼は救えない。


 どんなに仲が良かろうとも。


 どんなに信頼していようとも。


 アチャ・東郷が、女に寄り掛かることはない。



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