継投 仲間、家族、世界の形

西暦2059年4月15日(火) 07:30

 善幸は前世の夢を見た。

 生まれ変わる前の朧気な記憶。

 起きたら薄れて消えていく思い出の残滓。

 近未来でもなんでもない、見慣れた現代の球場で、『風成善幸』よりも大きな体をした前世の彼が、誰かと何かを話している。


 骨まで溶けて流れ出そうな、真夏の日差し。

 焼け付き、香りを発するグラウンドの土。

 汗と脂を吸ったグローブの革。

 前世の彼と向き合う、男の表情。

 残滓になった記憶は、完全な形で思い出すことができない。


「お前、何言ってんだ」


「───」


 向き合う男が言葉を発し、前世の彼が何かを言う。


 口が動いているのは分かるが、何を言っているのかは分からない。

 声は、夏に飲まれて消える。


「そりゃそうだろ。基本的には皆に努力を称賛されるのはただ1人の優勝者だけ。デカいコンテンツになればなるほど、準優勝とかも持ち上げられるようにはなるが……それでも大半の人は、優勝者だけを見てるもんだ。3位までの入賞者全員見てるだけでも大したもんだと思うぜ」


「───」


 向き合う男が言葉を発し、前世の彼が何かを言う。


「断言するね。大半のやつは覚えてねえよ。野球の中継を見てるやつで甲子園出場校とかいう選ばれた奴らの名前を覚えてるやつは何人居る? サッカーファンは全員が前回のワールドカップのベスト8を言えるのか? ニュースでめちゃくちゃ勝ってるプロの将棋指しの名前は覚えても、そいつの次に勝率が高いやつの名前なんざ憶えてねえもんだろ?」


「───」


「そりゃあ、お前が憶えてるだけだ。お前が憶えてるそいつらの名前を、大半の人間は憶えちゃいない」


 向き合う男が言葉を発し、前世の彼が何かを言う。


「誰も憶えてなんかいねえよ、負けたやつのことなんか。憶えるだけ無駄だって言われるさ。お前は勝ってるからいいだろ、憶えていてもらえる」


「───」


「いいや、ない。そんなことは起こらない。だからな。お前に負けたやつも。お前に負けたやつに、負けたやつも。そいつに負けたやつも。そんなやつにさえ負けたやつも。世の中には溢れてるし、世の中に溢れてるものに価値なんてねーんだ」


「───」


「人々は勝ち残ったやつのことしか憶えねえのさ。じゃあ、お前に負けたやつに負けたやつは、誰に認めてもらえば良いんだろうな?」


 向き合う男が言葉を発し、前世の彼が何かを言う。


「ねえよ。結果に繋がらない努力に意味なんてない。敗者の努力は時間の無駄って言うんだ。お前が勝ったから、お前以外の敗者の群れの努力は99%無駄になった。お前に負けたオレも含めてな。お前のせいと言えばお前のせいなんじゃね? お前がそう思ってんなら、だけどよ」


「───」


 向き合う男が言葉を発し、前世の彼が何かを言う。


「何言ってんだお前。他の奴より努力してる奴が潰し合うから意味があるんだろ? その辺の誰も知らん奴らを集めて大会開いても、誰も見ねーよ。優勝者がすげーとかも言われねえ」


「───」


「いいか? 世の中の大半の奴らはな、頑張ってねえんだよ。娯楽も全部断ち切って3年間努力してるやつなんて全然いねーの。ぼくは頑張ってます! みたいなこと言ってる奴らですら、時間さえありゃSNS見てて、暇な時間に漫画さえ読めねえ生活とかには耐えられねえんだよ。そんな奴らにとって、頑張ってる奴らは特別なんだ。だからそういう奴らを集めた大会が、意味があんだよ」


「───」


 向き合う男が言葉を発し、前世の彼が何かを言う。


「勝ち残ったやつの努力にだけ意味がある。成功者の言葉にだけ意味がある。当たり前だろ。って、皆無意識の内に思ってるもんだ。だから勝ちまくった奴、成功した奴、そういう奴らの書いた本だけ売れるのさ。敗者の意見に参考にする価値なんてないだろ」


「───」


 向き合う男が言葉を発し、前世の彼が何かを言う。


「そうだよ。だから負けたくねえんだよ、誰もが。負けたくねえから本気で勝ちに行く、当たり前だろ? 勝っても負けても同じなら誰も本気でやったりしねーよ。負けたやつが悲惨じゃねえと、勝った奴がとびっきりに特別に褒め称えられてねえと、人は命を削るくらいに本気でやったりしねえんだ」


「───」


 向き合う男が言葉を発し、前世の彼が何かを言う。


「いい疑問だな。やっぱお前、天才だよ。そうさ。気取った奴らが言うだろ? 『この世には勝者と敗者しか居ない』ってさ。だけど、勝者と敗者がきっちり半々になるのなんてじゃんけんかよ、って話だよな」


「───」


 向き合う男が言葉を発し、前世の彼が何かを言う。


「本当に世の中にあんのは、『勝者になった1番』『惜しくも敗者になった2番』『敗者に負けた3番』『表彰台にも上がれない敗者の4番』『憶えてもらえない敗者の5番』……そういう階層だ。だってそうだろ? 世の中に勝者と敗者しかいねえなら、スポーツの個人戦なんて勝者1人、敗者数万人とかになるんだぜ。こんな分け方、とんだバカだろ」


「───」


 向き合う男が言葉を発し、前世の彼が何かを言う。


「世の中には勝者と敗者しか居ない? 世の中には『順番』があるだけだろ。人間は平等? 教師くらいしか言わねーな今時。短距離走でもさせてみりゃ分かるだろ? ただ、順番が出来て、1番前の奴が勝者扱いになるだけだっての」


「───」


 向き合う男が言葉を発し、前世の彼が何かを言う。


「『敗者』で一緒くたにするには敗者は多すぎる。勝者と、1番上の敗者には実力的に大した差はねえ。だけど1番上の敗者と1番下の敗者には、実力的には天と地ほどの差がある。本当に違いがあんのは、そこなんだけどな」


「───」


「だけど現実的には勝者と敗者の間には無条件で天と地ほどの差がある。1番と2番の差が1番でけえ。変な話だろ? 実力的にほぼ変わらねえ1番の勝者の敗者の扱いが、めっちゃくっちゃにデケえのさ。ま、敗者で一緒くたにして全員バカにしたいカスとかにとっては都合がいいんだろうけどな、こういう世相は」


「───」


 向き合う男は、大いに驚いた。


「……お前、正気か?」


 そして、前世の彼を嘲笑する。


「こいつはたまげた! お前の口から、『負けたやつも頑張ってる』なんていうクソつまんねえ大人の定型文的美辞麗句みたいな台詞が聞けるなんてな! たまげた!」


 男は、泣き出すような空気を纏い、嘲笑わらっていた。


「あのな? 頑張ってることそのものに価値なんかないんだ。だから頑張ってることに価値を付けようとする奴が居るんだろ? こんな人生と物語を生きています、とかさ。この成功者は昔こんなに苦労しました、とかさ。これは他のジャンルのあれの基礎になりました、とかさ。だけどそれでも、大半の頑張りには価値なんて付きやしない。頑張り自体は無価値だとガキに思わせたくないから、大人は価値が後付けできそうなもんを探して、価値を後付けしようとするもんなんだ」


「───」


「お前に負けた頑張りは、ただの無駄な時間になるんだよ。ここに付けられる価値なんてない。お前に負けたオレがそう言ってんだからさ、少しは信じてくれや」


「───」


「頑張ったら勝敗関係なく褒められ、認められ、周りに人が集まって、仕事として成立するもんなんてあったら、それこそ夢みてえな話だろ。少なくとも競技の世界にあっていい理屈じゃあない。そんな生温い馴れ合いの中に勝者の栄光は生まれない」


「───」


「違う。敗者の頑張りも等しく称賛されてほしいっていうその気持ちは、お前の願いだ。お前がそうであってほしいと思ってるだけだ」


「───」


 向き合う男が言葉を発し、前世の彼が何かを言う。


「やめてくれよ。お前のそんな人間らしい言葉なんて聞きたくねえ。負けたやつのことを想うお前なんて見たくねえよ。不安になるだろ」


「───」


「分からないのか。その不安。そうか。まあ、お前には分からないのかもな」


「───」


 向き合う男が、指を差す。


「絶対に忘れるな」


 前世の彼に、指先を向ける。


「お前が勝ち続ける限り、誰かはお前を悪者にする」


 発される言葉は、競技の真理の一側面。


「お前が悪いことをしたからじゃない。敗者の全てを引き立て役にして、たった1人の勝者という太陽を輝かせて、雑魚は負け犬の遠吠えしか許されない。それが競技の世界であり、そうでなけりゃ競技の世界を名乗っちゃならねえからだ。技を競うからこそ競技なんだからな。人は特別な人間が競い合い、勝敗を決める娯楽に飢えてる。いつでもだ」


 栄光は、人の努力から血を吸い上げて輝いている。


「オレは、黙ってなんていられなかったが……オレは、お前に何かを言わずにはいられなかったが……オレは、お前を心底恨んでるが……」


 向き合う男が、言葉を発する。


「お前は何も悪いことをしてない。だからどっかで開き直れ。お前には……オレみたいな、お前に負けたことを恨みに思うようなゴミ野郎のことはすぐ忘れる人間であってほしい。敗者のことなんてすぐに忘れる人間であってほしい。オレなんかの恨み言を憶えてるような人間であってほしくない。お前が負かした雑魚のことなんて、一瞬で忘れていくお前でいてくれ。でないと」


 どこまでも虚ろで、悲しみの残骸が詰まりに詰まった言葉だった。


「お前が、敗者の声を聞いて。敗者を想って。敗者の恨み言を真に受けて。敗者に同情して。それが何万と積み重なって。もしお前が、万が一にでも、野球を嫌になったら……もし、負けを受け入れでもしたら……お前のチームに負けたオレたちは、どうしたらいい? お前のチームに負けたチームにも負けたオレたちは、どうしたらいいんだ? ……そんなを真に受けて、お前自身が、どうしたらいいか分からなくなったら、お前はどうすればいい?」


 言葉は発する者の肩書きに影響を受ける。


 勝者が述べたからこそ意味のある言葉がある。

 勝者の指導は価値があるものとして受け止められ、敗者の指導は戯言として受け流される。


 敗者が述べたからこそ意味のある言葉がある。

 敗者のことを気遣う者に対しては、時にファンから向けられる声援より、敗者が発した怨嗟の声の方が強く響いてしまうこともある。


「忘れちまえよ。敗者の言葉なんて、敗者の存在ごと。敗者を気にしてる今のお前を捨てていけ。お前はきっと、純粋なままのお前で居るのが1番強いさ」


「───」


「雑魚を忘れろ。お前は雑魚を自然に忘れるほど傲慢じゃないが、忘れられるようになっとけ。きっとその方が、お前はずっと楽に生きられる」


 向き合う男が言葉を発し、前世の彼が何かを言う。


「お前に負けた奴らは全員、お前が敗者を気遣うだけの情けねえ奴になることなんて、求めてねえ」


「───」


「期待してるんだ。お前が……オレたちに勝ったお前が、本当に誰よりも強くて……オレたちは誰よりも強いお前に負けただけで……お前と戦えただけでも、誇りに思えることなんだって……」


 それは、まるで。


「期待していたいんだ」


 悪夢から逃げるために、夢を見ようとするような、そんな入り組んだ感情から生まれた言葉だった。






 善幸は目覚めた。

 目覚めた瞬間、夢の記憶が抜けていく。

 その忘却が転生の影響なのか、本人の心の在り方によるものなのか、善幸自身さえそれを認識できていない以上、この世界の誰にもそれは分からない。


 風成善幸は、忘却と共に生きている。

 良くも悪くも。


「んぁ」


 西暦2059年4月15日火曜日、朝7時30分。

 エヴリィカ参加4日目の朝だ。

 寝起きに善幸がのたのたし、枕元に置きっぱなしのデバイスを手首に巻いてポシビリティ・デュエル関連のニュースを見ようとするが、ニュース画面を空間に展開したところで、ベッド前のテーブルが目に入った。


 そこには、昨日寝る前に善幸が買い込んできたメロンパンの山があった。

 総数30。

 『前日に次の日の朝ごはんの準備をしておくんだよ』という、いのり/涼芽のライフスタイルを安易に真似した愚かしさが産んだ馬鹿の山だった。


「すげえな。昨日の俺、何考えてメロンパンだけ30個買ってきたんだ? 完全にバカだろ」


 口調とは裏腹に、善幸はワクワクしていた。

 メロンパンが好きだからだ。

 コンビニのメロンパンが大好きだからだ。

 朝に腹いっぱいメロンパンを食べて、寝るまでずっと試合をして、その間なにも食わないという生活で満足感を得る人種だからだ。


 善幸は昔から、右手に持ったチョコチップメロンパンを食べながら、左手に持ったメロンクリームメロンパンの味に期待してじっと見つめているタイプの少年である。


 けれど、その時。

 善幸の手首の端末に、仲間からのお誘いが届いた。


『起きてたら8時に朝ごはん一緒に食べませんか~』


 善幸はフッ、と吐息を漏らす。


 所詮メロンパンはメロンパン。

 仲の良いお友達からのお誘いには敵わない。

 メロンパンから男を寝取る魔性の美少女、伊井野いのり。

 その罪が1つ増えた瞬間であった。


「お前とは昨日からの付き合いだが、涼芽とは一昨日からの付き合いなんだ。こっちを優先したい。だから、俺をそんな目で見るな、メロンパン……帰って来たらちゃんと食うから……約束だ」


 メロンパンに背を向け、善幸は部屋を出る。


 そしてこの後ほどなくして忘れ、部屋に帰るまでメロンパンのことを忘れたままなのであった。






 『先生』が善幸/YOSHIと涼芽/いのりの配信中に打っていた手は、"現地におけるYOSHIのサポーターの動きを調整する"というものであった。


 先生は善幸と比べれば遥かに先のことを考えており、センターとエヴリィカの契約もかなりセンター有利だ上で、それだけに留まらずに頼み込み、エヴリィカにおけるYOSHIのサポーターになってもらうことに成功していたのである。


 その人物は、YOSHI×エヴリィカのコラボなど寝耳に水であり、エヴリィカのVtuberを本業としてこなしていたため、YOSHIのサポートまでこなそうとすれば日常がかなりの激務になることは目に見えていた。

 かつ、特に理由もなく嫌なことを言ってくる先生も嫌いで、その言うことなど聞きたくもないという関係性の人間であった。

 その2点だけ見れば、YOSHIのサポーターになってくれることなどありえなかったように見える。


 だが、その人物にとって『』は、この上ないほどに特別だった。


 だから、善幸が来る前から準備はしてくれていた。

 昨晩、先生の連絡を受けて今日の朝にもう動いてくれていた。

 そして今、善幸の目の前に居る。


 先生の依頼は、『彼女』にとっては多忙な自分の生活にねじ込まれてきた新たなタスクであり、大嫌いな人間が頭を下げてきた頼み事であり、そして"大好きな人に会える口実"でもあった。


「おはよすぅー」


「……?」


 共用ロビーに入ったところで、善幸は1人の少女に声をかけられた。


 色素が薄い、染めた茶髪のサイドテール。

 茶の髪の先の方はやや赤っぽい色に染められていて、いわゆる髪先グラデーションになっている。

 銀の髪留めや、艶のある髪色、ちゃんと手入れが行き届いている肌質といい、相当にオシャレに気を使っていることが見て取れる。

 涼芽が天然の絶世の美女なら、こちらの少女は努めて綺麗であろうとする人工の美の体現のようだだ。


 細身の美人顔に気怠げな表情、全体的に肉付きの薄い体つき、体のラインの美しさに自信がないと着れない体型が出る白とピンクの服に、特徴的な萌え袖が手元に見える。袖からちらりと見える紐の端はミサンガだろうか。

 どちらがメインかは不明だが、穴を空けない銀のイヤリング型デバイスを付け、剣十字型ネックレスのデバイスを首元から吊り下げている。


 全体的に装飾品の情報量が多い、そんな少女であった。

 歳は善幸のいくつか下か。

 容姿だけ見るなら、15歳から18歳頃。

 気怠げで、やる気が無さそうで、だらっとした雰囲気が、それより更に幼い印象を彼に与える。


 全体のイメージを一言でまとめるのであれば、『オシャレだが化粧っ気が薄く、気怠げだが美人な今時のギャル』といったところだろうか。


 当然、と言ってはなんだが。

 善幸はこの少女に全く見覚えが無かった。


「……」


 少女は善幸に忘れられていることに気付いたのか、むっとする。

 はぁーと溜め息を吐き、細身の自分の体を抱くようにして、言葉を選びながら考え込み始める。

 少女の苦笑には、"なんで自分だけ憶えてもらえると思ってたんだろ"という、自分の思い上がりを戒める自嘲の色があった。


 寂しいな、という気持ちがあって。

 残念だな、という気持ちがあった。

 少女の期待はあえなく打ち砕かれたが、それで泣き出すような子供じみた脆さをその少女は抱えてなんていやしない。


「まぁー、そだねぇー。覚えてもらってないだろうなと思うなどしていましたぁー。無念ぅー」


「誰だ」


「誰かって言うとねぇー」


 少女は、名乗りを上げようとした。

 何年も考えていた名乗りだった。

 何年も前から、彼にあったら、そうやって名乗ろうと決めていた。

 そしてそこから、数年分の話をしようと思っていた。


 だけど、言葉は出ない。

 言葉より先に、想いが先走る。

 口から言葉が出る前に、想いで胸が一杯になる。

 そのせいで、言いたいことは何も言えなくて。


「……まいっちゃうなぁー。たっくさんなぁーにか言おうと思ってたんだけどぉー。顔見たら考えてたことぜぇーんぶ吹っ飛んじゃったなぁー……」


「大丈夫か?」


「大丈夫だよぉー。あんねぇー……あんねぇー……ええとぉー……」


「俺はYOSHI。ここの事務所の人間なら、1人残らず俺の味方だ。俺はそいつの栄光を支える手伝いをするだろう。君の名前は?」


 善幸のYOSHIらしい言葉に──善幸には分からない何らかの理由で──何故か少女は落ち着きを取り戻したようで、何を言えばいいのかも分からない状態から、なんとか会話が可能な状態まで復帰した。


「まいねーむいずぅー蛇海みみ。この前すれ違った時はちょっとぉー、ちょっとぉー……? 緊張してしまってぇー。そっちの練習の邪魔するのも嫌だなぁー、って思ったのでぇー。話しかけないでいましたぁー」


「蛇海みみ……ああ」


 善幸の記憶に、1つのアバターの姿が思い出される。


 白いドレスに、薄青の髪。

 眠そうな目に小柄な体格。白いドレスから垂れ下がる無数のリボンが、身動きする度にひらひらと揺れる。

 揺れるリボンの先には赤い点の模様があって、リボンが揺れるとまるで白い蛇のように見えた。

 目の錯覚により、全身が蛇の群れのように見えるデザインの少女。


 善幸が初めて4人のチームで揃った時に、YOSHIより先にフィールドに居て、フィールドの再設定を行っていた、うづき・タツミ・みみの3人のVliverの1人。

 蛇の抜け殻を思わせるデザインで、儚い美しさを備えたかのVliverの中身が、この少女なのだ。


「十二支の蛇。蛇海みみか」


「そうだねぇー」


 少女は勇気を出す。


 絞り出すように勇気を振り絞る。


 ここで身の上を語らなければ始まらない。


「それでぇー……あ、あのぅー」


「なんだ」


「兄さんの……妹だよぉー」


「……何?」


 それこそが、彼女が善幸を慕う理由であり、『先生』がエヴリィカ内部におけるYOSHIのサポーターとして、彼女を頼った理由なのだから。






 少子化対策の工業生産児童プロジェクトチャイルドは、遺伝子提供者の精子と卵子を別々のパターンで組み合わせて生産され、作られた子供はいくつかの世代に分かれる。


 善幸と同時に作られ、善幸と比べられた第一世代。

 善幸が幼い頃に作られ、ある程度育ったところで善幸の活躍の報を受け、教育方針を切り替えられた第二世代。

 善幸が前世ゆえ幼少期から稀な知能や能力を発揮したため、"技術的に、風成善幸のような天才を安定して生産できるのでは?"という考えからある程度の試行錯誤が行われた第三世代。

 そして上記の子供達を生産する過程で得られたノウハウを反映し、最適化した教育を行っている第四世代である。


「世代は?」


第二世代セカンドステージだねぇー」


「2期生か。俺のせいで苦労は無かったか?」


「全然だよぉー。むしろ兄さんのおかげで美味しいごはんが増えたなぁーって、みぃーんな分かってたんだからねぇー。ありがとってぇー、みぃーんな言いたがってたよぉー?」


「そうか。よかった」


「えっへへぇー、第二世代で1番にお礼を言ってしまったなぁー」


 プロジェクトチャイルド2期生にしてエヴリィカ4期生。それが蛇海みみというVliverの本当の肩書きである。


「そんなに嬉しそうにすることか?」


「それはもぅー。血が繋がってない義理の兄妹と言えどねぇー、家族だからねぇー、言いたいこともいっぱいあったもんですよぉー」


「血以外も繋がってないだろ」


 善幸はしれっとラインを越えた。


「兄さん!」


「うおっ」


 みみの表情に、初めて真剣な色が宿った。


「プロジェクトチャイルドは皆家族ぅー! みみは兄さんの妹ぉー! これは繋がりぃー! ……兄さん、家族じゃないなんて、言わないよね……?」


「……まあ、それもそうか……そうだな。これも一応繋がりか」


「だよねぇー、だよねぇー」


「しょうがないな。いつでも頼れ、妹よ」


「さんきゅーだよ兄さんぅー」


 善幸が珍しく気圧された瞬間であった。


 気怠げながら可愛げのある微笑みを、妹は浮かべている。


「兄さんにねぇー……あの、えっとねぇー……いっぱいいっぱい面倒を見てもらったのでねぇー。みみは兄さんをここで助ける仕事を受けたんだぁー」


「何?」


「なんでも言ってねぇー。みみちゃんねぇー、あの頃の何も出来ない子供じゃないのでさぁー。だいじょーぶだいじょーぶ。もー兄さんが頼れる妹だからねぇー?」


「いや、別にお前の助けが必要なことは……」


 善幸が手助けを拒もうとすると、ふっ、と少女の表情が曇る。

 だがそれも一瞬のことで、少女は一瞬の後にすぐさま先程までの気怠げな微笑みへと戻っていた。


「……そ、そうかもねぇー。兄さん、凄いもんねぇー。みみちゃんが成長したって兄さんの足手まといなのは変わらないやぁー。そりゃそうだぁー。ごめんねぇー兄さん。なんか兄さんの助けになりたいなぁーってみみの願望押し付けちゃったみたいでぇー……」


「いや、俺は……」


 しょぼんとした少女を見て、善幸は何かに引っかかりを憶えた。

 既視感である。

 このしょぼんとした姿だけは、いつかどこかで何度も何度も見た気がするが、記憶がそこから先まで掘り進められない。

 善幸の記憶が、この少女と繋がってくれていない。


 連鎖的に、善幸は1の記憶を思い出させられていた。

 暗い空気。

 無い会話。

 予算無き施設。

 泣いている女の子。

 善幸に突っかかる男の子。

 善幸に抱きつき泣きつく子。

 食堂に並んで無言で食事を取る子供達。

 何も楽しくなさそうな『先生』。

 右往左往する大人達。

 しっかりとした知的な大人達。

 センターに乗り込んで来るADAM's。

 テレビで放送されたYOSHIを見る子供達。

 センターで流行るYOSHIの真似。

 内閣から来た偉そうで性格が悪い大人を殴る善幸。

 謝りまくる『先生』。

 センターで妹をいじめた子供を殴る善幸。

 爆笑する『先生』。

 弟にあたる子をいじめた小学校に乗り込む善幸。

 善幸を叱る『先生』。

 生まれのせいでアイデンティティに悩んだセンターの男の子に万引をさせた、普通の家庭の不良の子供達が溜まり場にしているゲームセンターに乗り込む善幸。

 善幸を叱るADAM's。

 最近大人しくなってきたことを『先生』に褒められる善幸。


 様々な記憶の残滓が、ツギハギ編集動画のように、善幸の脳裏を駆け巡っていく。

 残滓のため、善幸は思い出せない。


 この頃から既に善幸は""のノリで生きていたのだが、それさえ善幸はてんで憶えていないのだ。


 その日々の中で『何か』をしていた記憶は善幸にもあるのだが、善幸はその時期からもう自分の可能性を研鑽することに夢中になっていたため、その時期に自分が何をしていたかまるで思い出すことができない。


 "あの頃何してたんだっけ"

 "どうでもいいことだったんだろうなあ"と、善幸は自分の中で勝手に納得して思考を終わらせた。1人で。


 ともかく。そうして過去の記憶を漁ったことで微妙に心変わりをしたのか、善幸は『せっかくだから頼ってみてこの少女の可能性を見極めてみるか』と思考する。


「みみ」


「! な、なにかなぁー、うへへぇー……」


 兄に偽物の名前を呼ばれただけで、妹は心底嬉しそうにする。


「俺はこれからお前を頼る。結果で示せ」


「!」


「この後、4人で集まる食事がある。俺はおそらくトークスキルにおいて最弱。しかし、お前のサポートによって上手いこと会話を乗り切ることができれば、俺は仲間からの信頼を盤石にし、今後の指導の効率を上げ、周囲からの俺に対する評価が話に聞く"陽キャ"なるものになるのかもしれん」


「よ……陽キャ!?」


 妹は心底驚いた。兄の人生の指針、その頓珍漢さに。


「よく知らんのだけどな陽キャ」


「会話が上手い=陽キャの認識なのぉー……?」


「そもそも後ろに付いてるキャってなんだこれ」


「に、兄さんっ……!」


 兄と妹はああでもないこうでもないと語り合い、これはだめこれはやばそうと話し合い、結果として『善幸がこれから仲間と朝食を取りながら語り合う。なので会話の節々でみみが後方からアドバイスをして支援する』という形で落ち着いた。


「みみ、その型のデバイスとペアリングする方法を知らん。俺のデバイスを渡すからお前が設定してくれ」


「あははぁー、うけるぅー」


 みみが会話の輪に最初から加わって、善幸の発言を適宜フォローしていくという方法も考えられたが、みみ曰く「チームの仲間だけで雑談する時間が大事。チームメンバーだけの時間が肝心」だと言うもので、善幸もGhotiで過ごした時間を思い出し、その意見に同意した。


「兄さんの網膜にこっそりみみの指示がたまに表示されるからねぇー。離れたところからこっそり見てるからぁー、みみのアドバイスの通りに上手くやるんだよぉー? 兄さんってばぁー、昔から誤解されやすい人なんだからぁー……」


「頼んだぞ。上手く話せれば俺の勝ち。そしてお前の勝ちだ。俺とお前、兄妹の力で勝ちに行く」


「雑談に勝ち負けはないよぉー兄さん……」


 妹は兄に振り回されていたが、同時にワクワクもしていた。

 血の繋がらない家族な兄。

 ずっとテレビ越しにしか見れなかった兄。

 会う機会も全然なかった兄。

 だけど、胸の奥に"大好き"をくれた兄。


 ちょっとしたお遊びみたいなことであっても、兄が自分を頼ってくれたことが嬉しくて、妹はにまにまと笑顔になってしまう。


「ラジコン配信みたぃーだねぇー」


「ラジコン配信?」


「あははっ。兄さん、ちゃんと知ってなきゃ駄目だよぉー? ラジコン配信ってのはねぇー。2人以上で集まって片方の口を塞いじゃってぇー、口を塞がれた人がゲームをプレイしてぇー、塞がれてない人が塞がれてる人の真似をして偽物の実況をする配信とかそういうののことなんだぁー」


「なんだそりゃ、面白いのか」


「おもしろいよぉー? 口を塞がれてない人が、口を塞がれてる人の真似をして、どのくらい面白いかにもよるけどねぇー。兄さんの仲間のとーごーさんとかも得意なジャンルじゃなかったっけぇー?」


「……」


 蘇る会話の記憶。


───一番、男東郷! YOSHIのモノマネやります! ヨーシヨシヨシ、世の中の奴らはとんだザコばかりヨシねえ……ヨシが本気を出したら全員小便漏らして逃げ惑うに決まってるヨシよ


───不寝屋まう、お前船降りろヨシ


───ヨーシヨシヨシ!


 つまり、口を塞がれたYOSHIがゲームをプレイしてる横で、ひたすらアチャ・東郷がYOSHIの愚弄モノマネを展開していくような配信が、ラジコン配信と呼ばれるというわけだ。


「つまりこの場合は俺がラジコン。お前が俺を操作するというわけだな。妹よ。俺はお前の操作を受けてこれから雑談に勝つと」


「そうなんだよ兄さんぅー」


「語尾にヨシは付けねえからな?」


「な、なにそれぇー!?」


 みみが現場を離脱してから数分後。

 東郷、まう、いのりの順に仲間達がやって来た。


「おっはーでライフちゅっちゅギガント」


「元気だな、東郷。おはよう」


「おはよーさん。朝配信終わらせて来たわ」


「元気だなまう。おはよう」


「ぉぁょ~」


「蚊の鳴くような……涼芽、おはよう」


 全員私服の、4人の集まり。


 みみの瞳がきらりと光り、みみの端末から善幸の端末にデータが送信、それが善幸だけに見える形で網膜に直接映し出された。



 【兄さん今だぁ女子の服を褒めろぉー】



 善幸がみみにだけ分かる形で頷いた。

 みみはほんの少しばかり、痺れるような気持ちになる。

 頼れる兄。

 誇れる兄。

 信じる兄。

 遠くで頑張っている兄の勇姿を、妹はいつだって見守ってきた。

 いつだって期待に応え、いつだって勝つ兄の姿を、いつも妹は熱っぽい瞳で見つめてきた。


 みみにとって善幸はずっと、永遠に慕っていられる、永遠に自慢できる、素敵なお兄さんである。


 みみの指示通り、善幸はとりあえずいのりの服から褒めようとする。


「涼芽」


「ひゃっ。な、なにかなぁ~?」


 まだ慣れない名前呼びに気持ちが有頂天になり、涼芽は上擦った声で応えた。


「女子のパジャマみたいな服着てるなお前」


「が~ん!」


「!?」


 そして、上げて落とされた。


 車椅子の上で、涼芽の首ががくっと落ちる。


「おどりゃヨシ! 女子の私服をパジャマ呼ぶてなんちゅうことを! これが配信中やったら炎上しとったで! 許されへんぞ!」


「しかしだな」


「食い下がるなや!!!!!!!!」


「え~ん」


 まうが半ギレとなり、涼芽をおーよしよしと抱きしめて撫でる。

 涼芽は大して気にしていないようだったが、ふざけて流れに任せた。

 東郷は爆笑している。


「久々にワロタ。これが僕のチームメイトなんだよな」


 すっ、とみみの目が細まる。


 このラジコン壊れてるな。


 みみはそう思った。

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