バラード
金平糖
1
「24時間以内にこの曲を。さもないとあなたは消えてしまう。」
不思議な夢を見て目覚めた僕は見知らぬ部屋にいた。
お腹には、身に覚えのないCDケース。これもまた夢なのだろう。
手に取ってまじまじと眺めてみる。何の曲だろう。
不思議と胸騒ぎがした。
僕にはいい感じの奈々という女の子がいて、明日は初めてのデートなのだ。
絶対にこんな所で死ぬわけにはいかない。
聴くくらい簡単だ、省吾はたまたまあったコンポにそれをセットした。
こうした記録媒体を視聴する事で死が迫るという有名なホラー映画があるが、夢に恐怖的印象はなかったため、戸惑いなく再生ボタンを押した。
が、何も聞こえてはこなかった。
「これでいい・・わけないよな?」
何度も入れなおしたり、ホコリが詰まっていないか確認して再生を押し直したが、依然コンポはうんともすんとも言わない。
まさか、この曲を再生できるプレイヤーを探せという意味か?それも24時間以内に。
事態を楽観視していた僕は頭を抱えた。
こういう夢は大抵、問題を解決しない限り終わらない。
ーーー
「接近禁止命令が出ています。今後加奈子さんには近づかないように。」
「ストーカーじゃないです。あっちが理不尽な事を…」
「とにかく、そういう事ですから。」
俺は納得行かなかった。
酒癖が悪いのは認めるが、そもそも客との線引きをしっかりやらない加奈子が悪いのだ。
だから客が勘違いして、どんどん寄って来る。
加奈子は俺の安心よりも知人程度の男とのコミュニケーションを大事にしているという事実に、無性に腹が立った。
自宅の広いダイニングチェアに腰掛け、加奈子への着信を繰り返す。
もう12回目になるが、一向に出る気配がない。
「都合が悪くなったらストーカー呼ばわりかよ。」
ドンと一度テーブルを殴ると、ガシャンと卓上の小皿や調味料が跳ねる。
そして酒に伸ばしかけた手を引っ込め、はっとする。
俺は静かに目を閉じた。
ーーー1、2、3、4、5、6。
そしてノートに手を伸ばし、全てのイライラを書きなぐる。
一角目でシャー芯が折れる。
紙を抉るほどの筆圧で乱雑に文字を書き連ねてゆく。
"加奈子の自分勝手な行動と生意気な態度が気に食わない。全面的にあいつが悪いのにみんなあっちの味方。俺はいつも悪者。本当にイライラする。死ね。"
少しだけすっきりしたと同時に自分の成長を感じた。
これでいい。
もっといい、新しい女を見つければいい。
といっても、あいつ以上に顔の良い女は滅多に出会えないだろうが。
加奈子の性格は確かにオワッテいたが、ルックスは芸能人だと言われても納得できる程の美人だった。
視覚情報というのは強烈で、あの顔が頭に焼き付いて離れない。
その事実が俺をここまで執着させ、苦しめた。
「クソ。」
俺はタバコを一本だけ吸うと、病院へ向かった。
「その調子ですね。アンガーマネージメントは、怒っている自分に気付く所から始まります。」
「…はい。」
「恋愛関係については、その後どうですか。」
「それが……。」
俺は自分が思うことを素直に話した。
臨床心理士の佐藤先生は職場の先輩の紹介で知り合った。
以前加奈子からも受診は勧められていたのだが、当時は喧嘩になってまともに取り合わなかった。
そんな時、お前はカッとなると周りが見えなくなる所があるからと先輩に立て続けに言われ、受診するに至ったのだ。
先輩のお墨付きなだけあって、佐藤先生は俺の言う事を否定せず、遮りもせず、しっかりと受け止めてくれる良い先生だった。
その日も俺の長い話を黙って聞いてくれた。
「気を付けて帰ってくださいね。」
「ありがとうございました。」
俺は車のエンジンをかける。
ラジオでは道路交通情報で、事故があった事を報じていた。
それを右から左へ聞き流しつつ、逡巡していた。
本当の所、納得していない。
俺がいくら穏やかになった所で、元は加奈子が浮ついた行動を繰り返したのがいけないーそういう気持ちがなくならなかった。
それに何回病院に通った所で、関係が元に戻る保証なんてない。
キーを抜いて、駐車場から自宅まで歩く。
何故俺ばかり、こんな事に金や時間を使わなければならないのか。
だんだんと馬鹿らしくなってきて、病院の領収書を丸めてそこらへんに捨てた。
商店街を抜けようとした時、スマホを車内に忘れた事に気付く。
――あぁもう、煩わしい。
舌打ちをして引き返そうとした時、たまたま加奈子を見つけてしまった。
加奈子はもう新しい男と思われる人物と仲睦まじく寄り添って歩いていた。
男と別れた加奈子は何も知らずにこちらへ歩いてくる。
その時、俺の脳内は真っ白に何かが弾けた状態で、自分の感情や状況を俯瞰する余裕も何もかもを忘れていた。
加奈子が近づく。
こちらに気付いて俺の顔を見るなり、驚いた顔をする。
なんだ、その顔。
それがかつて恋人だった男にする顔か。
いや、そもそも俺は正式に別れた記憶はない。同意もしていない。
それなのにこの女は、堂々ともう次の男に乗り換えているーーー
爆発した怒りが右腕に集中し、加奈子のコメカミに振り下ろされようとした時、商店街で流れて来たバラードが俺の意識を削いだ。
その曲は加奈子とまだ付き合い始めた頃、二人でよく聴いていた曲だった。
「この曲、私も好き。」
「マジかぁ。じゃあ今度ライヴいこっか。」
「え?行きたい。すごい楽しみ!」
俺は、彼女の笑顔を可愛いと思って抱き締めた。
加奈子はすぐにテンションが上がってはしゃぐ。
その顔が見たくて楽しい事をこれからもっと一緒にしたいなぁと思っていた。
それなのに何時からだろう、俺は加奈子を泣かせてばかりになっていたーー
固く握った拳は解かれ、手の平で加奈子のコメカミを撫でた。
「…加奈子、ごめんな。俺が悪かった。」
俺は柄にもなく泣きそうになるのを堪えた。
加奈子は体をかたくして縮こまっていたが、俺に撫でられた事に驚いたように顔を上げ、こっちを見た。
そしてしばらくの沈黙の後、何かを差し出した。
「…病院、通ってくれてたんだね。」
さっき捨てた病院の領収書だった。
「でも、そこらへんに捨てたらダメだよ。」
「ごめん、」
曲を聴いている間、俺は加奈子の好きだった事を一つ一つ思い出し、逆に怒りや憎しみは消えていった。
最初は一目惚れで、次に特に笑顔が好きという事に気付いた。
簡単にポイ捨てする俺とは逆に落とし物をわざわざ届けたり、自分のでもないゴミを逆に拾ったりする。
そしてそれをいちいち注意してくる鬱陶しい所も、今考えると好きだったのかもしれない。
性格がオワッテたのは俺の方だ。
「なんで教えてくれなかったの。」
「別に…なんかカッコ悪いから。」
「どっちがよ。」
加奈子は呆れたように笑った。
その笑顔は何故か女というより母親の風格をしていた。
ーーー
「省吾、彼女には優しくしろよ。」
玄関で靴を履いていると、父さんが言った。
「いや、まだ付き合ってないし。」
「いけるだろ、お前母さん似で男前だしな。」
「お母さん早く彼女の顔見たいなぁ。」
一時間以上洗面所の前で髪型をセットしていたため、これからデートというのはバレバレだったようで、両親に容赦のない冷やかしを受ける。
昨日の夢では、あのテープを最終的に商店街で流してもらう事で夢から覚める事ができた。
それが正解だと言うように。
僕はそれに何の意味があったのかいまだに分からないけど、こうして奈々とデートに行ける明日を迎えられたのでまぁいいか、と思う。
「行ってきます。」
玄関のドアを開けると、心地よい春の日差しが全身を包んだ。
バラード 金平糖 @konpe1tou
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