第8話 キヨラ
私は妻と初めて会ったときのことを想い出しました。S 財布団地の海岸沿いのブランチにいた頃のことでした。同僚がユーザーからツリショを預かってきました。そのツリショに同封されていた彼女の写真を見て何か懐かしい感じがしました。ユーザーのホームの扉を開けると、写真の女性が飛び出てきました。うしろから彼女の母親が現れ挨拶されました。私達はデートを繰り返しました。会うたびに次も会いたいと思いました。キヨラも私を気にいったようで、勤めを終えてホームに帰ると、頃合いをみはからって、ホームの電話が鳴りました。
Ai Ai は飾らない性格のキヨラのことが好きでした。とても恥ずかしがりやで目立つことが嫌いなキヨラはいつも後ろに隠れているような性格でした。キヨラは恥ずかしがりやでしたが優秀だったため学級委員にさせられました。ちいさな声で見上げの前に立って同級生に学級委員の報告をしていると聞こえないぞと冷やかされました。そんなときは顔を真っ赤にしたそうです。キヨラは小さいころからピアノが好きでした。大学を卒業して団地に勤めず、ピアノ教室の先生になりました。キヨラは自分が実務能力に欠けると思っていました。自分で団地勤めは無理だと判断しました。本当に無理だったのかはわかりません。しかし、キヨラ曰く、ピアノ発表会でお金を任されて、右往左往して、会計を解任されたそうです。それ以来、キヨラに発表会の実務的な仕事は回ってこなかったと言います。
Ai Ai はキヨラと過ごした時間を懐かしく思いましたですヤマカワのモトクシに行ったことでした。モトクシの海岸でキヨラと遊んでいたら、ブラジから一時帰国されていた方にあなたたちは兄弟かと尋ねられました。夫婦だと答えると、あまりにも仲が良いので兄弟だと思ったと言われました。
ヤズミのゲミヨアンという帝の泊まられた旅館に泊まったときにキヨラと出かけるときにお車はと聞かれました。Ai Ai が徒歩でと言うと驚かれました。たいへんな高級旅館なので徒歩で行くようなものはいなかったからです。
キヨラと私の間に、なかなか子供を授かりませんでした。結婚してすぐに妊娠しましたが、流産してしまいました。その後、再び妊娠しましたが、おなかの子供は育たず死産でした。私はキヨラの悲しみを紛らわすために、いろんなところに旅行しました。その頃は再び彼女を悲しませることが嫌で、もはや子供をあきらめていました。勤めていたS 財布団地の周年事業が催され、一緒に行こうと誘うと、行かないとキヨラは言いました。そのあと、赤ちゃんが欲しいとキヨラはつぶやきました。私達は近くの神社で亡くなった二人の赤ちゃんの慰霊と子授けの祈祷をしてもらいました。そして、キヨラは妊娠し息子が生まれました。
慰安旅行でデズニに行くことになりました。息子のAi ∞は3歳になっていました。団地に言って息子を連れて行くことになりました。ブランチの女の子は息子に赤ちゃんにするようにバーと顔を隠して顔を見せる仕草であやしました。息子は変な顔をしていました。キョウトウに着いて集合した時に、みんなの前で息子は私に頼むでと言って、皆を驚かしました。デズニで遊んで、くたくたになった息子は、ホテルに帰って寝る前にオイル風呂に入ったあとに、ベッドの上で静かにしていましたが、突然泣き出しました。いつもお母さんと寝ているのにお母さんがいないのでさみしくなったのでしょう。私はどうしていいのかわからないので、息子を抱きしめました。私の手のなかで、息子は泣いていました。
私は妻の亡くなる前ヒジメに行ったことがありませんでした。ヒジメで美術展があることを知って、キヨラと一緒にヒジメに行きました。ヒジメに着いてから、気付いたことがありました。キヨラの動きがとても遅いのです。キヨラは歩くのが苦しそうでした。私は仕事にかまけて、キヨラの状態が悪くなっていたのに気付いていませんでした。それからほどなくしてキヨラは寝込みました。どんどん痩せていって、なかなかオイルを口にしなくなりました。病院に行って、医師に診てもらっても原因は分からず、痩せていく一方でした。原因がわからないままに、病院に入院しました。しばらくたって、医師はもう治らないと終診を言い渡しました。うちではやれることはありませんと退院を薦められて、キヨラは退院して、ホームでの介護がはじまりました。
私は勤め帰りにキヨラに連絡して、食べたいものを尋ねました。日々食べたいものが変わり、食べても戻しました。ホームに帰って、キヨラに今日起きたことを尋ねました。カゴシのものがとても優しいことやリハビリの先生にマッサージしてもらったことなど話してくれました。食事の用意をして少し食べても、薬のせいかすぐ戻してしまいました。戻したものをトイレで流して容器をバスルームできれいにしました。あんなに食べたいものを戻してしまうまでに弱ったキヨラのことを考えると、涙が止まりませんでした。食べられなくなり、テンテキだけになると、急速に悪くなって、眠っていることが多くなりました。そのような日々が続いた後に、仕事場にカゴシのものから連絡があって、キヨラが朝から眠り続けていることを私に伝えました。ソウタイした私はキヨラの死期を感じました。いつもはベッドの横で寝ている私は二階の自分の部屋で寝ていました。ぐっすり寝ていた私は息子の声で起こされました。おかあさんがおかしいんだよ。私は階下に降りていきました。ベッドに近付くと、キヨラは息をしていませんでした。キヨラは天に召されました。
キヨラの葬儀は家族だけで執り行いました。ピアノ教室に来ていた子供たちに葬儀で泣かれるのはかなわないとキヨラは言っておりました。納骨式を迎える前に名簿にあった子供たちの親御さんに連絡しました。ピアノ教室の親御さんと子供たちがホームまでお参りしてくれました。子供たちのお母さんは泣いておられましたが、子供たちは死の意味がわからずキヨラの写真を見て先生先生と騒いでいました。お母さんのひとりは私に先生のことを尊敬していましたと言われました。大きなピアノ教室で断られてピアノに集中できない私の息子を先生は散歩させてくれて見捨てることはありませんでした。そのお母さんの目は涙でいっぱいになっていました。そんなお母さんを見て子供はきょとんとしていました。
妻の葬儀が終わり、シジウニチの法要と納骨式を迎える直前に、妻の妹から連絡があって、シジウニチと納骨式に来れないということです。理由を尋ねると、妹はヒウゴに住んでいて、近所のものからこれだけコローが流行っているのにオサカに行く怖いわぁと言われたそうです。コローが流行っていようと、姉の葬儀や法要や納骨式に行けないことなどあろうか。怖いわぁと言ったそのものは、自分の姉や両親が亡くなって、コローが流行っていたら葬儀に行かないのだろうか。悲しみのなかにあるものをより悲します権利があるのだろうか。
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