第41話 最終話
窓の外には見慣れ始めたビルたちが青空を背に立っていた。入院さえしていなければ、日向ぼっこしたくなるような天気だろう。
だが今ザクロにその景色を見る余裕はない。
ベッドサイドの脇に、腰に手を当て仁王立ちした看護師長が立っている。
この看護師長、看護師のはずだが物腰柔らかな医師と比べても怖い。
ザクロはベッドの上で、体を小さくさせた。
「西園寺さん、今度はこんなことをしたら、命の保証ができませんからね!」
「はい、すみませんでした」
看護師長の言葉に、ザクロはベッドの上で深々と頭を下げる。折りたたまれたことで傷が少し痛んだ。
琥珀たちに連れ帰ってもらって、すぐに病室に叩き込まれた。
手術後にも関わらず、勝手に抜け出して、動き回り、発熱までしている。
すぐさま点滴を取られ、検査へ回された。
結果はセーフ。
傷口も開いたりはしていなかった。だが、発熱しているなら、感染している可能性がある。ザクロは再びベッドから動けない身となった。
「いやぁ、怖かったですね」
こってり注意事項を言い渡された。
それを隣で黙って聞いていた琥珀に向かい、ザクロは眉を下げる。
首筋に手をやって首を回した。固まった筋がわずかにほぐれていく。
「何ですか?」
うんともすんとも言わない琥珀に視線を向ければ、目を丸くしてこちらを見ていた。
ザクロは訝し気に首を傾げる。
はっと今気づいたように琥珀は目を瞬かせると、首を何度か横に振った。
「いや、ザクロも謝るんだなと」
「わたしだって自分が悪いときは謝りますよ」
ましてや、今回は全部自分が悪い。
抜けると決めたのも、無理すると決めたのもザクロ自身だ。怒られるのも込みで行動している。
仕方ないじゃないか。琥珀のピンチにベッドの上でいる方が、体に悪い。
「見たこと無かったから」
いまだに信じられないと思っていそうな琥珀の言葉に、ザクロは小さく息を吐く。
「それは、琥珀さんが怒らせてばかりだからでは?」
「はーい、すみませーん」
お決まりのような軽いやり取りに、お互い顔を見合わせて笑った。
笑った振動が傷に響く。それでも何だかおかしくて。
二人で笑っていたら声が大きすぎたらしく、また看護師長が飛び込んできた。
今度は二人で怒られて、目くばせしあったのも悪い気分ではなかった。
「まーくん、どうなるのかしら」
「さぁ、社長に任せちゃいましたから。まぁ、あんまり大事にはならないでしょうけど」
くすくす笑いもようやっと下火になって、部屋には残り火のような温かさが漂っていた。
琥珀は笑いすぎたせいで出てきた涙を指ですくう。
その横顔をザクロはじっと見ていた。
「でも、ほんと、ザクロのせいで心臓が止まるかと思ったわ」
涙のあとで潤んだ瞳がザクロを見る。琥珀の顔立ちでこれをされると、心臓に悪い。
ザクロはぶつけられる視線から逃げるように顔をわずかに逸らした。
気まずさに頬を指でかく。
どうにか話を逸らそうと、布団の上で指を何度も組み替える。
「それで、歌いたくなりました?」
「この状況で歌いたくなるってどんな人間よ」
ザクロの言葉に琥珀は肩を竦めた。
もっともだ。ザクロは苦笑して、さらにらしくないことを提案する。
「歌ってあげましょうか?」
思わせぶりに琥珀を見あげる。
歌なんて歌わない。カラオケさえ行かない。ザクロがそういう人間だと、一緒に生活した琥珀が一番知っている。
琥珀にせがまれてカラオケに行った時も、聞いたり録音したり写真を撮ったり。マイクを握る事さえ一度もしなかったのだから。
琥珀の大きな瞳がこぼれそうなほど見開かれる。
「ザクロが?」
こほんとザクロは小さく咳ばらいをした。
たった一つだけ、ザクロにも歌える歌があったのだ。
「小さい頃の歌ですけどね」
「笑わないでくださいよ」と断ってから、静かに息を吸って歌いだす。
歌詞は不思議と口から出てきた。
『小さい時を~♪』
たったワンフレーズ。
だけど、琥珀にとって何の歌か知るには充分だっただろう。
琥珀は歌の情報を膨大に記憶している。それは祖母であるキヨの英才教育によるものだったのかもしれないし、琥珀自身の歌好きのせいかもしれない。
ましてや、この歌は琥珀が歌ってくれたことがあるものだ。
「その歌……」
「前、琥珀さんも歌ってくれたでしょ?」
驚きと戸惑い。
笑っていいのか、泣くべきなのか。
色んな感情が琥珀の表面に現れて、消えていく。
口元には笑顔。眉毛は情けなく垂れさがる。そんな顔で、琥珀は首を傾げた。
「ザクロも知ってたの?」
「流行りの歌ですから。わたしの年代なら大体歌えますって」
知っていた。だけど、その理由は年代のせいにする。
あの日会っていたなんて、このタイミングで言いたくない。ザクロの事情に琥珀を巻き込みたくなかった。
「そう」と少し落ち着いた表情で頷く琥珀に、ザクロは曲について話し続ける。
「ただ、この歌詞、今歌うと中々凄いですよね」
「え?」
「だって、この後」
流行っていた頃は、何も思わず歌っていた。
メロディに乗せて自然と歌詞は覚えた。その意味までわかるようになったのは、自分でお金を稼ぐようになってからだったかもしれない。
ザクロはもう一度、息を吸って歌いだす。
『神様に願って……』
サビ前の変調部分。いきなり高くなる部分でむせた。
ごほごほと背中を丸めて咳をする。
咳自体は大したことなくても、そのたびに傷が痛む。反射で動く体と生まれる痛みに、ザクロは顔をしかめた。
琥珀が慌てたように席を立ち、背中を撫でてくれる。
「ちょ、大丈夫?」
「高くて、出ません」
こほっと小さく咳をしながら答える。
生理的な涙のせいで視界の端が歪んだ。大きく息を吸い込めば、ふわりと琥珀の香りに包まれる。
窓の外から差し込む光を浴びながら、琥珀がキョトンと動きを止めた。
「えぇ、そんなに難しくないわよ」
そりゃ、そうだ。
ドームでライブができるレベルの歌手と比べられても困る。
ザクロは唇を尖らせ、そう反論しようとした。
その時、自然と琥珀が小さく息を吸い、その唇からメロディが奏でられる。
「『神様に、願って、みよう♪』……よ?」
さっきまでザクロが奏でていた音とは、月とスッポン。
ファンであれば垂涎ものの生歌が、ただの病室に響いた。
余韻の音が消えるまでザクロは声を出すことができなかった。
何でもない顔で、琥珀が「歌う」から。
ザクロは声を失ってしまったのだ。
大きく深呼吸する。それから、琥珀の服の袖をつかんだ。
「琥珀さん」
「え?」
「歌えてるじゃないですか」
「え?」ともう一度、言葉を発して、琥珀は首を傾げたまま固まった。
しばらくそのまま待っていると、電池切れ寸前の時計の長針のようなぎこちない動きで直立した。
お腹に手を当てて、深呼吸する。それから、先ほどに比べると恐る恐る歌を紡ぐ。
『小さい時を~♪』
小さくても響く声。綺麗なメロディ。
ザクロがいつも聞いていた琥珀の歌声だった。
そのまま歌い終わるまで、ザクロは体を揺らしながら音に身を任せた。
「ほんとだ」
ぽつんと琥珀が呟いた。
その言葉に、ザクロは大きく頷く。
「だから言ったじゃないですか、歌えるようになるって」
照れくさくて、そうとしか言えなかったザクロに、琥珀が抱き着いてきた。
怪我のことを忘れた全力でのアタックに、ザクロはベッドに押し倒される。
あまりの騒がしさに再び飛び込んできた看護師長に、琥珀は病室を追い出されることになった。
それをザクロはどうしようもない子供をみる気分で見つめる。
決して、悪い気分ではなかった。
*
朝、日課になった新聞を郵便受けからとる。
リビングで広げていると、大きなあくびをした琥珀が目の前に座る。
半袖、短パン。上にパーカーが増えた分、露出は減っただろうか。
ザクロがジト目で見ているの気づいた様子もなく、琥珀は顎を手に乗せて首を傾げた。
「今回は、アメリカだったかしら?」
「ええ、約束がありまして」
琥珀の言葉に素直に頷いた。今日の正午ごろの飛行機で立つ。
無事退院して、琥珀もザクロも以前の仕事に戻っている。
ザクロは琥珀に付きっ切りだった間に溜まった仕事をこなしていた。
「怪しいわー」
新聞から目を上げると、唇を尖らせた琥珀がいた。
子供の様な言動に軽くため息を吐きつつ、新聞を閉じる。
「琥珀さんほど、浮気性じゃないんで」
「なっ、昔の話でしょ!」
「はいはい」
テーブルの脇に新聞を置いて、ザクロはキッチンへ移動した。
起きてきたなら朝ごはんにしよう。
忙しい中で何個か決めた約束のひとつ。できる限り一緒に家でご飯を食べる。
「まったく、何でこうなったんだか」
IHコンロの上にフライパンを乗せながらザクロは呟く。
だが、自分でも笑えるくらい、照れ隠しにしか聞こえなかった。
キッチンからリビングへと視線を向ければ、琥珀と目が合い、首を傾げられる。
「なぁに?」
「何でもないですよ」
じわりじわりとこみ上げる温かいもの。
これがきっと、好き、なんだろうなぁとザクロは一人思った。
女性ボディガードがスキャンダル歌手のお守りをしたら 藤之恵 @teiritu
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