天使の勧誘

尾八原ジュージ

天使の勧誘

 新卒で入った会社を二ヶ月で辞めてダラダラしてた時期に、通販のピッキングのアルバイトをしていたことがある。伝票に従って巨大な倉庫に納められた商品をカゴに入れ、所定の場所まで運んで梱包する係にバトンタッチ、そしてまた新しい伝票が渡される。作業を続けているうちに、だんだん無心になってくる。なんだか自分が人間ではなくなっていくような、まるでこの巨大倉庫に組み込まれたロボットか何かのような気がしてくる。

 その段階になると、視界の隅に白くてヒラヒラしたものが見えることがある。最初は目にゴミが入ったのかと思ったが、そういうものでもないらしい。とりあえず害はないようだから、あまり気にしないことにしていた。

 同じバイトをやっていた内藤くんも、そのヒラヒラを見ていたひとりだった。いつもボーダーの服を着た小太りの男は見かけによらずロマンチストで、白いヒラヒラのことを「天使」と呼んでおり、いつしかおれもそれに倣うようになった。

 内藤くんはなんと、天使の体に触ったことがあるという。ヒラヒラが見えたときにぱっと手を伸ばしたら、一瞬触れたそれはマシュマロみたいに柔らかく、ふわっといい匂いが漂ったという。

「アレ何なんですかね、まじで」

「何だろうね、まじでわからんよね」

 みたいな中身のない会話を、おれたちは何度か交わした。


「俺、留年するかもです。必須の単位落としそうで」

 ある日、内藤くんがぽつりとそう言った。そんなことを言うわりに、おれがピッキングのバイトに入ったときは必ず彼もいるので、かなりの頻度でここに来ていることは明らかだった。

「やばくない? てか今日も平日だけど、大学行かなくていいの?」

 そう尋ねると、内藤くんは恥ずかしそうに笑って「天使に会いたくて」と答えた。

 そのときふと、(やばいな)と思った。こいつ、おかしな方向に転がってってないか? おれはちょっぴり人生の先輩風を吹かせながら「ちゃんと大学行っといた方がいいぞ」と忠告した。

 するといつも温和そうな内藤くんが、突然鬼のような恐い顔になった。

「おまえ、俺のいない隙に天使と仲良くなるつもりだろ!」

 周りの人たちがみんな振り返るような大声で怒鳴り散らし、おれを睨みつけると、ぷいっとどこかに行ってしまった。

 それからというもの、めっきり内藤くんとは話さなくなった。それでもピッキングのバイトは続けていたのだが、ある日それを後悔するときがやってきた。突然「わああああぁ」と叫び声を上げながら倉庫の奥から走り出てきた内藤くんが、その辺にあったボールペンを掴み、勢いよく右の眼窩を突き刺したのだ。悲鳴が上がった。内藤くんは取り押さえられる前に左目も潰し、「天使天使これでおれも天使になる」と叫びながら血塗れで倒れた。

 おれはピッキングのバイトをやめた。おれにだって天使が見えているのだ。これ以上深入りしたらまずいと悟って、逃げた。

 その後、おれは親戚の伝手で小さな会社に入り、今はそこで経理の仕事をやっている。案外相性がよくてもう何年も続いているのはいいのだが、仕事に集中しているとき、たまに視界の端に手が見える。血がべったりとついた肉付きのいい手で、ボーダーの服を着ていることまでうっすらとわかる。

 それが見えると、おれは一旦仕事を中断し、休息をとることにしている。伸びをしたり肩を回したりしているうちに手は消えてしまうので、今のところはそれで済んでいる。

 内藤くんとはバイトで会うだけの間柄だったから、彼がその後どうなったのかおれに知るすべはない。ないのだけど、とにかく彼は死んだんだろうなという気が無性にしている。

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