鈴原鈴香のみじめな顛末

 目には目を、歯には歯を。

 これを同害報復という。つまり、自分が遭った苦しみと同じ苦しみを相手に与えることで溜飲を下ろすのだ。

 はじめ、鈴原鈴香はこの原則に則った復讐を考えた。寝取られには、寝取られを! つまり、花笠花火の想い人を寝取り返すのだ。

 しかしこの考えはすぐに行き詰まった。

 花笠花火にロザリオを交わした姉はいない。恋人も、鈴原鈴香以外の友人もだ。さりとて、梨奥院梨子を真に愛している様子もなかった。むしろ夢中になっているのは梨奥院梨子の側であり、花笠花火の態度は非常に素っ気ないものであった。情熱的なのは体育倉庫の中だけであり、まさしく寝取られである。


 鈴原鈴香は姉の目を覚ますことも考えたが、やはり断念した。もし自分が見たものを明らかにすれば、ロザリオで繋がれた絆さえも失われてしまうだろう。花笠花火に夢中とはいえ、梨奥院梨子は鈴原鈴香にも姉としての親愛を注いでくれていた。

 ならば、どうすればこのくすぶる炎は満足を得るのか。

 鈴原鈴香は三日三晩に渡り結跏趺坐を行い、遂に結論に至った。

 よし。花笠花火と付き合おう。

 しかるのちに、私がお姉様に抱かれるのだ。

 こうすれば、花笠花火に「恋人が寝取られる」という地獄を味合わせたうえで、お姉様に抱いてもらうことができる。

 自らの悪魔的発想に、鈴原鈴香は一晩中笑いが止まらず、ルームメイトにしこたま叱られた。


 翌日から、鈴原鈴香は猛然と花笠花火へのアタックを開始した。寒い冬の日には腕に抱きついて「えへへ、花ちゃんはあったかいね」と耳元でささやき、暑い夏の日には「汗、かいちゃったな……(チラ)」と鎖骨を露わにする。プラトニックなものからセンシティブなものまで、鈴原鈴香は花笠花火を陥落せしめるためにありとあらゆる手練手管を尽くしに尽くした。

 そして、崑崙女学院に入学して二度目のクリスマスが近づいてきた、とある休日。


「好きです」


 ついに、その日がきた。


「はじめて会った日から、ずっと好きでした。鈴ちゃん、私と付き合ってください!」


 左右の頬を真っ赤に染めた花笠花火が、観覧車の中で、鈴原鈴香に告白した。

 あの震える睫毛を見よ。もはや疑いようがないほどに、花笠花火は鈴原鈴香の虜である。

 勝った。そう思った。

 あとは梨奥院梨子に抱かれさえすれば、鈴原鈴香の復讐は完遂する。寝取られ返しだ!

 しかし、この後におよんで下らない嘘を吐くものだ。ずっと好きだった? ひとの姉を寝取っておいてよくもぬけぬけと。

 鈴原鈴香は内心を押し隠し、笑みを誤魔化すように俯いて答えた。


「……うん、私も。花ちゃんのこと、好きだよ」


「鈴ちゃんっ!」


 涙ぐんだ花笠花火が、胸元に飛び込んでくる。ふわりと清涼感のあるシャンプーの香りがした。


「鈴ちゃん、鈴ちゃん……」


 花笠花火がぐいぐいと身体を押し付けてくる。コート越しでも分かるくらいに柔らかい。鈴原鈴香の脳髄を蕩かす柔らかさだ。はて、彼女はこんなに女性的な身体つきだっただろうか。いや、初めて出会ってから一年半以上経っているのだ。身体つきも変わるだろう……。

 観覧車が地上につく寸前、花笠花火は鈴原鈴香に口づけをした。少女漫画に出てくるようなフェザーキスだった。鈴原鈴香にとってはファーストキスだったが、これは必要経費とする他ない。


 気がつくと、鈴原鈴香は薄暗いホテルの一室にいた。照明の色はピンクだった。ラブホテルである。


「え、えっ⁉︎」


「あ、起きた?」


 鈴原鈴香が横になっているベッドには、花笠花火が腰掛けていた。今更だが崑崙女学院の制服姿だ。今日は休日だが、制服で遊びにきていたのだ。制服姿でラブホとは大胆不敵だが、十七歳とはそういった年齢である。

 花笠花火は制服を着ていたが、首元のスカーフタイは、ふしだらに乱れていた。


「おはよう、鈴ちゃん。気分、どう? 身体、痛くない?」


「平気、だけど……あれ、どうして私……」


「覚えてない? 鈴ちゃんってば、帰りの電車で寝ちゃったんだよ」


 そういえばそうだった気もする。だからといって、どうしてラブホテルに……。

 花笠花火が、甘い声でささやく。


「ごめんね。告白した日にベッドインなんて、ちょっとはしたない、よね」


「あ、あの、花ちゃん?」


「でも、鈴ちゃんが可愛過ぎるからいけないんだよ? それに私、ずっとずーっと我慢してたんだから。恋人になったんだもん。ね、もういいよね? 私、鈴ちゃんのこと、ずーっと好きだったんだよ。だからいいよね? ね?」


 四つん這いでにじり寄る捕食者の姿に、鈴原鈴香は本能的な恐怖を感じ、そして叫んだ。


「う、嘘つき!」


「嘘?」


「だって花ちゃん、私のお姉様を寝取ったじゃない! し、知ってるんだからね! 梨子様と、体育倉庫で何度も何度も」


「ああ──あの女?」


 花笠花火が、冷笑を浮かべた。


「あれは鈴ちゃんを守るためだよ」


「……は……?」


「知らないの? あのひと手が早くて、結構な数の下級生が泣かされてるんだよ。内部生なら皆知ってるよ。私が誘ったときも、二つ返事だったんだから」


 なんだ。花笠花火は何の話をしているんだ。


「しっかり調教しておいたから、鈴ちゃんには手を出さなかったでしょ?」


「ちょ、調教……?」


「もちろん、鈴ちゃんにはそんなことしないよ。鈴ちゃんは、私のいちばん大切なひとだから」


 ベッドのスプリングが軋む。


「だから、いいよね? はしたなくても、許してくれるよね? ね、鈴ちゃん……?」


 花笠花火の手が、鈴原鈴香のスカーフを解いた。


 翌朝。

 手ごめにされた鈴原鈴香は、「ううう」と唸りながらその身を起こした。

 端的に言って、花笠花火の技量は最高だった。これではもし鈴原鈴香が誰かに寝取られようとしても、すぐに花笠花火の指先を思い出してしまうだろう。ここに鈴原鈴香のセルフ寝取らせ復讐作戦は崩壊した。リベンジ失敗である。しかし鈴原鈴香はタイムリーパーではなく、覆水は盆に返らない。ちゃんちゃん。

 鈴原鈴香は負け惜しみで呟く。


「いつかぜったい、寝取られてやるんだから……」


 花笠花火が、花のように微笑んだ。まことに悔しいがとても可愛い。怒りの炎が消えていく。

 鈴原鈴香の世界が、再び色づき始める。


(終)

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お姉様を寝取られた鈴原鈴香の復讐について。 深水紅茶(リプトン) @liptonsousaku

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