15:役に立てない

 休憩して、昼ごはんを軽く用意してもらった。

 また、あの穀物を丸く塊にしたものだった。

 それを食べて、午後からはいろんな人に話を聞かせてもらうことになった。


 ローワンさんが話を聞いている脇で、わたしはその人の服だとか持っているものだとかをスケッチする。

 滝を描いたときみたいにうまく描けないという焦りはなかったけれど、でも、自分のスケッチがどのくらいちゃんと描けているのかは、わからなくなってしまった。

 それでも、ローワンさんに失望されたくなくて、わたしは懸命にペンを動かした。


 身にまとっている服をどう着ているのかは、外から見ただけじゃよくわからなかったけど、わかる限りは描いた。

 前にはボタンがないのに、きっちり合わせて帯で留めていること。

 その帯の模様。袖が大きく膨らんでいることも。


 黒い髪は後ろで結んでまとめている人が多い。

 その髪に飾りをつけている人もいる。

 その飾りの紐が揺れる様子。


 それでも、なんだかうまく描けている気がしなかった。

 何がいけないんだろう。

 わたしが見ているのと、スケッチが、違うような気がしてしまう。


「イリスさん、どうですか?」


 話を終えたローワンさんがわたしの手元を覗き込む。

 咄嗟に隠してしまいそうになるのをこらえて、わたしはうつむいた。


「ああ、そうですね、この服の特徴がよく描けています。少し失礼しますよ」


 ローワンさんはそう言って、わたしのスケッチの隣に文字を書いてゆく。

 いつもと変わらない。褒めてもらえた。

 なのになんだかうまくいかないような、そんな気持ちが苦く、胸に残る。


 わたしのスケッチ以外、調査は順調なようで、日が傾き始めた頃にローワンさんは機嫌良くその日の調査を終えた。

 そして夕ごはん。

 夕ごはんは朝ごはんと似たメニューだった。


 届けにきてくれた人を引き止めて、ローワンさんが二本の棒を手に話しかける。

 きっと、使い方を聞いているのだと思う。


 その人は、ローワンさんの手から棒を受け取って、それを片手で持ってみせた。

 指の間に棒を挟むようにして、二本の棒の先を閉じる。

 それから、スープの中に入っている野菜をその二本の棒で摘み上げた。

 それはなんだか、鳥のくちばしのように見えた。


「イリスさん、スケッチをお願いします」


 ローワンさんの声に、慌てて帳面を出して開く。

 手を描くのは思ったよりも難しかった。

 親指と人差し指で棒を挟んで、それから中指と薬指の間にも挟んでいる。


 わたしの描く手は指の長さがちぐはぐに見える気がする。

 棒の長さだっておかしい。

 こんなことじゃ、駄目な気がする。


 その人は、野菜を摘んで持ち上げたり下ろしたりしていたけど、ローワンさんに向かって何か言った。

 それに頷いたローワンさんがわたしの方を見る。


「イリスさん、どうですか?」

「あ、えっと……」


 うまく描けない、という言葉が出てこなくて、唇を噛む。

 それでも、いつまでもその人を引き止めるわけにいかない、ということはわかっていた。


 わたしはうつむいて、描いた手のスケッチをローワンさんに差し出した。

 ローワンさんは頷くと、持ってきてくれた人に笑顔で何事かを言った。

 その人は二本の棒を元の通りに置いて、出ていった。


「ありがとうございます、イリスさん。使い方が、ちゃんとわかるように描けています。助かりました」


 いつものように褒めてくれるローワンさんに、わたしは大きく頭を振った。


「いいえ、駄目なんです」

「駄目……ですか?」


 ローワンさんは驚いたように目を見開いて、わたしを見た。

 わたしはうつむく。


 何か言わなくちゃと思うのだけど、口を開いても言葉はうまく出てこない。

 ローワンさんはきっと困っている。

 だから何か言わなくちゃと思うのに、何を言えば良いのかわからなくなってしまった。


「駄目、なんです」


 ようやく言えたのは、それだけだった。

 ローワンさんは立ち上がると、わたしの隣にやってきて座った。

 わたしの前に開いたままの帳面を置く。


「何が駄目なのか、話せますか?」


 ゆっくりと、落ち着いた声でローワンさんが言う。


「あ、あの……わたし……ごめんなさい、役に立てなくて……」


 泣くつもりなんかなかったのに、勝手に涙が出てくる。


 どうしよう、ローワンさんを困らせている。

 役に立てないどころか、こんなふうに泣いて、困らせて、どうしよう。


 丸めた背中に、ローワンさんの大きな手が置かれる。

 温かく、わたしを拒絶しない手。

 余計に涙が溢れてきた。


「ゆっくりで構いませんよ。まずは落ち着いてください。待ってますから」

「ご、ごめんなさい……」

「謝らなくて大丈夫です。こちらこそ、すみません。イリスさんがそこまで思いつめていることに、気づけませんでした」


 わたしは頭を振る。

 ローワンさんは悪くない。


 わたしが泣いてしまったのが駄目で。

 わたしがちゃんと言えないのが駄目で。

 わたしがうまく描けないのが駄目で。

 役に立てないのが駄目なのに。


「ごめ、ごめ、なさい……わたし、役に立てない……」

「そんなことはないですよ、イリスさん。あなたは、とても役に立ってます。本当に、期待以上に」


 ローワンさんの優しい慰めの言葉は、きっと嘘じゃないとは思う。

 それでも、涙は止まらなかった。


「でも、でも、わたし……」


 自分でも泣きたいわけじゃないのに。

 泣いて、ローワンさんを困らせたりしたくないって思っているのに。


「あのですね、イリスさん。お恥ずかしい話、僕はこういうときに何も気の利いたことが言えなくて……あなたが泣いているのをただこうして見ていることしかできないのですが。それでも、イリスさんが落ち着くまで待ってますから。ゆっくりで良いですよ」


 わたしはローワンさんにしがみついた。

 しがみついて、やっぱり泣くしかできなかった。


 ローワンさんは言葉通りに、わたしをそのまま泣かせておいてくれた。

 そうして、わたしが泣き止むまで、ただ待っていてくれた。




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