14:滝の音

 ローワンさんは、ここまで案内してきてくれた滝の人とまた話し始めた。

 頷きながら、手帳に何か書いている。


 わたしはまた、滝を見上げた。

 滝はずっと水音を立てながら、絶え間なく流れ落ちている。

 その様子をただ、紙の上に描けば良いだけだと思うのに、なぜかわたしの描く線は水のように見えてくれない。

 どうやったら水になってくれるのだろう。


 でも、思えばわたしのスケッチは、ずっとそうだったのかもしれない。


 木は木の形をしているから、木に見えた。

 草は草の形をしているから草。

 鳥も、虫も、みんな形がそう見えただけで、本当にちゃんと描けていたかはわからない。


 人だってそうだ。

 頭があって、手足があって、体があって、だから人だとわかるだけ。


 水には形がないから、描けない。

 だからわたしが、もともとちゃんと描けていないことが、あきらかになってしまった。


 だとすると、わたしのスケッチはローワンさんの役に立っていないのかもしれない。


 そこまで考えて、わたしは頭を振った。

 いっぱい描いた滝の絵はどれも気に入らなくて、帳面のページをめくる。

 新しいページにもう一度、とペンを握って向かい合ってみたけれど、怖くなってしまった。


 どうしよう。描かなくては。

 そう思うのに、手が動いてくれない。


「イリスさん、戻って少し休憩しましょう」


 ローワンさんに声をかけられて、わたしは少しほっとしてしまった。

 休憩の間は、描かなくても良い。逃げられる。


 でも、そんなのは気休めでしかないって、自分でもわかっていた。


「はい」


 わたしはうつむいて、帳面を閉じる。

 滝が描けないことをローワンさんに見られたくなかった。

 見られて、何か言われるのが怖かった。


「今、とても面白い話を聞いていたんです。『滝の人』たち──彼らは自分自身を『大地の者』と呼んでいるんですが、彼らにとって滝は『空の方々』──ああ、つまり、神様の通り道なんだとか」


 ローワンさんは興奮した様子で自分の手帳をめくりながら話をする。

 わたしのスケッチのことを気にする様子はなくて、わたしはほっとして見上げた。


 好奇心に緑の瞳を輝かせて、白いそばかすの頬を紅潮させて、ローワンさんは言葉を続ける。


「滝の向こう、つまり空ですね。そこは普段『空の方々』──神様がいる場所なんだそうです。滝を通って神様がやってくる。地上、つまりここで神様が過ごすための居場所として、巫女という存在がいるのだとか。地上で神様が過ごす間、巫女の体が神様の器になるということですね。その神様は新月の晩に滝を遡って空に帰るんだそうです」


 勢いよく放たれるローワンさんの言葉を全部理解できた気はしない。

 けれどローワンさんが楽しそうに話すので、わたしはその勢いに頷いた。


「新月の晩はもうすぐですから、神様が帰るというところを見れるかもしれません。楽しみです。なんでも神様の姿は、蛇に似ているのだとか。川と蛇とを繋ぐ文化というのは確か他にもあったはずで、もしかしたらそれとの共通点も見つかるかもしれません」


 その興奮を溜息で締めくくって、ローワンさんは手帳を閉じた。

 それから、いつものように穏やかに目を細めて微笑んで、わたしを見る。


「それで、イリスさんの方はどうですか? スケッチは」


 わたしは閉じた帳面を胸の前で抱き締める。

 もしかしたら、正直に滝がうまく描けないのだと言えば良いのかもしれない。

 でも、それを言ってしまえば、失望されるかもしれない、と思ってしまった。


 ローワンさんはきっと怒らない。

 優しい言葉をかけてくれる。

 それでも、自分が役に立てないことを自分で伝えるのは恐ろしかった。


「えっと、あの……」


 言葉がうまく出てこないわたしに、ローワンさんは首を傾けた。


「何か、ありましたか?」

「いえ! あの、その……まだ途中で。なので、あまり見せたくなくて……」


 ローワンさんは口を閉ざすと瞬きをしてわたしを見た。

 もしかしたら、何かおかしいって感づいているのかもしれない。


 その視線が怖くて、わたしは帳面を抱きしめたままうつむいた。

 その沈黙も怖かった。


 ローワンさんはしばらく黙っていたけれど、やがて静かな声が降ってきた。


「わかりました。描きあげたら見せてくださいね」


 何も言われなかったことにほっとして、でもすぐに、うまく描けないことをごまかしてしまった、と苦い気持ちが喉の奥に広がった。


 ちらりとローワンさんを見れば、まるっきりいつも通りに見えた。

 穏やかで、わたしを責めたり怒ったりする様子もなく、機嫌良さそうに歩き始めた。


 わたしもそれについて歩いてゆく。

 帳面をしっかりと抱き締めたまま。


 ざわざわと、滝の流れ落ちる音が追いかけてくる。

 その音はまるで、ローワンさんの代わりにわたしを責めるようだった。



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