13:水の形
滝の人の村も、前の村と同じようにベッドではなく床で寝るようだった。
厚手の敷物を敷いて、その上で眠る。
下に敷く敷物も、上掛けも、中にみっちりと柔らかな何かが入っていて重かった。
朝食は、昨日は塊になっていた穀物が器に盛られた状態で出てきた。
それから、焼いた魚。
何かの野菜を煮たスープのようなもの。
温かく、空腹を刺激する匂いの湯気を立てている。
さっそく帳面を開こうとするわたしをローワンさんが止める。
「せっかく温かい食べ物ですし、冷める前に食べてしまいましょう」
「で、でも、スケッチが」
「あとから思い出して描いてください。イリスさんならできます」
できます、といつもの調子で言われて、自信はなかったのだけれど、わたしは頷いてしまった。
というのも、魚の焼けた匂いがとても美味しそうで、空腹が我慢できなくなっていたからだった。
「はい……頑張り、ます」
「では食べましょう」
今回もまたスプーンやフォークは見当たらない。
二本の細長い棒が置かれていて、どうやらそれが食器らしい。
「これで食べるなんてできるんでしょうか。両手に一本ずつ持つ? いやでも、ナイフやフォークのようには使えなさそうですし」
ローワンさんが細長い棒を回したりいろいろして見ているけど、それはやっぱりどう見ても棒にしか見えない。
わたしは荷物からスプーンとフォークを二本ずつ出して、ひとつずつをローワンさんに渡した。
ローワンさんは二本の棒を置いて、スプーンとフォークを受け取った。
「あの……これ」
「ああ、ありがとうございます、そうですね。これで食べるのは難しそうなので、今のところはこっちで食べましょう。あとで誰かに使い方を聞いてみたいですね。とても面白い食器だ」
床の上に背の低いテーブルを置いて、その上にごはんを並べて食べている。
スープは特に食べにくかったのだけれど、味は美味しかった。
不思議な匂いのする、塩っぱいスープだった。
いろんな野菜が入っていて、汁気よりも具が多い感じだ。
具の野菜はいろんな食感のものがあって賑やかで楽しい。
魚は小骨が多くて食べるのが大変だったけど、香ばしく焼けた温かな身はふっくらとしていた。
何より、どちらも白い穀物にとてもよく合っていた。
この白い穀物は、塩っぱいものと一緒に食べると、より甘く感じられてとても美味しい。
一足先に食べ終えたローワンさんは、さっそく手帳を出して何かを書き始めた。
わたしも、早く描かなくちゃ。
焦ったわたしに、ローワンさんが柔らかな眼差しをくれる。
「ゆっくりで大丈夫ですよ。僕はきっと食べるのが早いんでしょうね。僕に合わせる必要はありませんから」
「はい、いえ、でも……わたしも早く、覚えているうちに描いておきたいので」
「それならなおさら、ゆっくりと見て味わうのも大事なことです。僕が言っても説得力はないかもしれませんけど」
ローワンさんは苦笑した。
それでわたしも、少し落ち着くことができた。
そうだ、まずはちゃんと見て、覚えなくちゃ。
そんな、少しゆっくりの朝ごはんと食後のスケッチを終えて、ようやく調査に出かけることになった。
調査は何よりもまず滝。
三筋の滝を近くで見たいとローワンさんが言って、「滝の人」に案内をしてもらった。
村は滝の周囲に集落を作っている。
滝から川が流れ出していて、それが村の中を通っている。
この川が、この村に来るまで遡ってきた川だ。川を下れば森に辿り着く。
滝が見える方に向かってゆくと、上り坂になっている。
そうやって進むと、川の始まりが見えた。
岩場から水が短い滝になって溢れ出し、それが川の流れになっていた。
その岩場の向こうに、あの三筋の大きな滝がある。
近くで見上げると、まるで大きな壁に囲まれているみたいな迫力があった。
どうやら岩場は滝壺らしい。
滝の人が何か言う。
「これ以上は近づかないように、とのことです。この人たちはこの滝とその水をとても大事にしている。神様の宿る場所だと言っています」
ローワンさんの言葉に頷いて、わたしはまた滝を見上げる。
水が流れ落ちる音が、絶え間なく響いている。
ローワンさんがそのまま、滝の人と何かを話し始めた。
わたしも帳面とペンを取り出して、スケッチを始める。
何よりもまず、この滝の姿、この景色を描きたい。
描かなくちゃ。そんな気持ちだった。
恐ろしく切り立った崖。そこから流れ落ちる水。
岩と水を描き分けるのは、なんだか思ったよりもずっと難しかった。
水が流れ落ちるように見えてくれない。
それに、流れ落ちる水がでこぼこした岩肌でその動きを変えて、しぶきを跳ね上げながら落ちてゆく様子。
その迫力を、どう描いて良いのかわからない。
思ったように描けなくて、わたしは流れ落ちる水の様子をいくつもいくつも描いてみた。
それでもまだ、気に入ったようには描けなかった。
いつの間にか、ローワンさんがわたしの手元を覗き込んでいた。
「ひぁ、あ」
見られて描くことにも慣れてきてはいたのだけれど、ちょうどうまく描けなくて困っていたところだったので、咄嗟に描いたものを隠すように帳面を胸に押し当ててしまった。
「ああ、すみません。邪魔をするつもりはなかったのですけど」
ローワンさんは困ったように笑って、わたしを見下ろした。
わたしはうつむいて首を振る。
うまく描けないことが悲しくて、惨めだった。
きっとローワンさんはそのことでわたしを怒ったりはしないだろうけど──役に立てないことは、とても悲しいことだった。
そんなわたしの態度をローワンさんはどう思ったのだろう。
いつものように柔らかな声が降ってきた。
「もうしばらく、ここで話を聞こうと思いますが、イリスさんはそれで大丈夫ですか?」
「えっと……はい。あの、何か描くものはありますか?」
見上げると、ローワンさんは微笑んだ。
「今はまだ……イリスさんが見て、気になったものを描いていてください」
わたしはまたうつむいて、帳面をぎゅっと抱き締めた。
もしかしたらわたしは、自分が思うほどにローワンさんに期待されていないのかもしれない。
そんなはずはない、と思う。
ローワンさんのその言葉だって、きっとわたしの様子を気遣った、優しさからのものなんだと思う。
それでも、なんだか突き放されたような惨めな気分で、わたしはうつむいたまま頷いた。
「はい」
描かなくちゃ。役に立てるように。
見たものを描き残さなくちゃ。ローワンさんのために。
わたしはそのためにここにいるんだから。
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