12:滝の人

 休み休み森の中を進めば、すぐに川に突き当たった。

 今度はその川を遡るように進む。


 普通なら──つまり村の人だけなら、二日ほどで辿りつける道らしい。

 それを五日もかけてしまった。

 ローワンさんとわたしは、村の人からしたら休みすぎのようだ。


 それでも、慣れない道だったから仕方ない。

 しかも、ずっと緩やかな上り坂だったのだ。

 ローワンさんも、とても疲れている様子だった。


 森がひらけて、ようやく目の前にその光景が見えたとき、わたしは「わぁ」と声をあげてしまった。

 森の木々より高い、そびえるような土地がある。

 そこから、水が落ちてきている。落ちてくる水の流れは三筋あった。

 その落ちてゆく先がどうなっているのかはよく見えない。


 ああ、これが、この落ちてくる水が滝なんだ。

 流れ落ちる水が、日差しを受けて、跳ね返し、きらきらと輝いている。

 噴水の水と比べて、それはすごい勢いだった。

 とても力強く感じた。


 そんな滝の手前に、寄りあつまるように家が建っている。

 木の家。けれど、屋根は木ではなさそうだった。レンガ屋根とも違う。


 集落の人たち──「滝の人」たちは、顔立ちや体つきは前の村の人たちによく似ている。

 黒い髪は同じだ。


 服装は似ているようで少し違う。

 羽織った織物を腰のところで布を巻いて止めている。額に巻いている布もない。


 ここまで案内してくれた前の村の人は、滝の人を紹介してくれて、それから来た道を戻っていった。

 ずいぶんとあっさりした別れではあったけど、そういうものかもしれない。


 滝の人はローワンさんとわたしを連れて集落の端っこの家に連れていってくれた。

 前の村と同じで、室内は靴を脱いで入るらしい。

 床には草を固く編んだ敷物が敷き詰められていた。

 靴下ごしでも、足の裏に敷物の草の感触がわかる。


「早速にでも調査に行きたいところですが、まず今日のところはもう休みましょうか」


 荷物を降ろして一息ついたローワンさんは、敷物の上に腰を降ろした。

 そして、面白そうに敷物の折り目を撫でている。


「話には聞いていましたが、似ているようでずいぶんと違う。言葉も、文化も。興味深いです」


 わたしも荷物を降ろすと、ローワンさんの前に膝をついて、身を乗り出した。


「あ、あの、ローワンさんが気になるなら、調査に向かっても大丈夫、です。わたしはまだ、動けます」


 ローワンさんはわたしの顔を見て、申し訳なさそうに眉を寄せた。


「ああ、いえ、その……僕の方が疲れてしまったので、今日はちょっと」

「あっえっと……ごめんなさい」


 ローワンさんは疲れている。

 それはわかっていたのに、思い至らなかった自分が恥ずかしい。

 うつむけば、ローワンさんはいつものように優しい声で言葉を続けた。


「謝らないでください。イリスさんは悪くありません。むしろ僕の体力がないのが問題で、その……情けない話ですけれど」

「そんな、情けないなんて」


 思ってもいない。

 そう言いたかったのだけど、滝の人がやってきて会話は中断してしまった。

 ローワンさんが頼んでいたらしい。

 滝の人は食べ物を持ってやってきた。


 透き通った緑色の液体。なんの飲み物だろうか。

 それから、白いつぶつぶとした──穀物だろうか、それを丸く塊にしたもの。


 初めて見るものだったので、わたしは帳面とペンを出してスケッチをする。


 穀物を丸く塊にしたものの白さは、よく見れば透明感があって、まるでつやつやと輝くようだった。

 甘いような独特な匂いがしている。


 緑色の液体は、中に細かな葉っぱのような、茎のようなものが沈んでいる。

 何かの草を使っているのだろうか。


 ローワンさんが身を乗り出して、わたしの手元をじっと見る。

 ある程度描けたところで、声をかけられた。


「メモを書いても?」

「はい」


 わたしが帳面を差し出すと、ローワンさんはわたしのスケッチの隣に、いつものようにメモを取りはじめた。

 相変わらず、その字は何が書かれているかわからない。


 それでも、この前から字を教えてもらって、自分の名前だけは読み書きできるようになった。

 ローワンさんは、自分の字が下手だと思っているものだから、わたしに教えるときにはとても丁寧にゆっくりと文字を書く。

 そうやって丁寧に書かれた文字も、今みたいにメモで急いで書かれる文字も、わたしはどちらも好きだった。

 読めなくても。

 どちらもローワンさんらしい文字だと、勝手に思っている。


「さて。スケッチも観察も良いですが、食べましょうか」


 ローワンさんは帳面を脇に置いて、わたしを見た。

 わたしは頷く。


「はい」


 その食べ物には、スプーンとか、フォークとか、そういったものがついていなかった。

 どうやって食べるのだろうと困っていたら、ローワンさんが少し考えてから、直接手で穀物の塊を持ち上げた。


「手で食べる、のでしょうか?」

「それらしい食器は見当たりませんし……世の中には手で食べる文化もあると聞きます。それに、この塊はほら、手で持ちやすい大きさです」


 ローワンさんに言われて、わたしもそっと両手でその塊を持ち上げる。

 表面は少しべとついている。

 指先に穀物のつぶがくっつく。

 本当にこれで良いのだろうかとそっと伺うと、ローワンさんはその塊にかじりついて、一口かじりとったところだった。


「うん、美味しいです。塩が使われてますね、少し塩っぱい」


 まるっきりいつものようにしているローワンさんにつられて、わたしも一口かじってみた。

 つぶつぶとした穀物の塊は口の中でばらばらになった。

 表面に塩がついているのか、塩っぱい。

 それを噛んでいると、もちもちとした歯ごたえで、なんだか甘さが感じられる。

 不思議な味で、パンとはずいぶん違う。


 なんとなくローワンさんを見ると、ローワンさんもわたしを見た。

 顔を見合わせて、ローワンさんが微笑む。

 なんとなく気恥ずかしくなって、うつむいてまた一口。

 手で食べるのも、不思議な味も、戸惑ったけど確かに美味しいかもしれない。


 さっと何口かで食べ終えたローワンさんは、指先についた穀物を舐めとって、それからハンカチを出して手を拭いた。

 それから緑の飲み物を口にして、ふんふんと頷いた。


 わたしもようやく食べ終える。

 それほどたくさん食べた感じはなかったのに、とてもお腹いっぱいになった。


 ローワンさんの真似をして指先についた穀物のつぶを舐めとってから、ハンカチで手を拭く。

 それでもまだ少しべたべたしている。手を洗いたい。


 それから、緑色の飲み物をそっと口に含む。

 渋い。口の中がぎゅっとなるような渋さだった。

 けれど、穀物でべたべたとした口の中はさっぱりとした。

 それに、渋いけれど後味はやっぱりほんのりと甘いように感じた。


「美味しかったですね」


 わたしが飲み終えるタイミングを見計らってくれたのだと思う。

 ローワンさんに声をかけられた。

 器を置いて、わたしは頷いた。


「はい、あの……お腹いっぱい、です」

「それは良かった。今日はもうゆっくりしましょう」

「えっと、はい」


 ローワンさんは目を細めて、手帳を出して何かを書きはじめた。

 わたしは他にやることもなくて、また帳面を開いて部屋の中の様子をスケッチすることにした。



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