第2章 滝と巫女と神様
11:笑顔
お祭りを終えた村を後にして、村の人に案内を頼んで、森の端っこを進む。
思えば村に来るまでは馬車を使っていたので、ここまでしっかりと歩いて移動するのは初めてのことだった。
馬車は馬車で体が痛くなったり、乗り心地の良いものではなかったけど、思えば歩くのよりもずいぶんと楽だったのだと思う。
歩いている今は荷物だってある程度は自分で持たなくてはいけない。
一部は村の人にもお願いして運んでもらっているのだけど。
森の気配が濃い道は、一応普段も人の行き来がある道らしい。
手入れされている様子があるとローワンさんが言っていた。
それでも、草や背の低い木の枝なんかが足元──特にスカートの長い裾に絡んで歩きにくい。
村の人は当たり前にすいすいと歩いてゆくのだけど、ローワンさんとわたしはそれについてゆくのもやっとだった。
そうして、休憩をとることになったのは、予定していたお昼よりもずいぶんと早い。
ローワンさんが荒く息を切らせて村の人に声をかける。
村の人は何か言ったけれど、ローワンさんは眉を寄せて首を振った。
村の人はローワンさんとわたしを見て、それからまた何かを言うと、道端に座り込んだ。
「少し早いですが、休憩にしましょう。イリスさんも疲れたでしょう」
ローワンさんが振り向いた。
わたしは慌てて首を振る。
「いえ、あの、わたしなら大丈夫、ですから。もっと進んでも」
「ああいえ、その」
わたしの言葉を遮って、ローワンさんは気まずそうに大きな手で口元を覆った。
「僕の方が疲れてまして……少し休ませて欲しいんです」
「あっ」
恥ずかしそうにしてるローワンさんに、余計なことを言ってしまったと気づいて、わたしは顔を伏せた。
「あの、ごめんなさい。その」
「イリスさんは謝らないでください。その……お恥ずかしい話、僕はあまり体力もある方ではないので……」
ローワンさんは背負っていた荷物をおろし、中から大きな布を出すと地面にしいて、その上に腰を降ろした。
わたしも隣に座る。
「このペースで進むと、到着はだいぶ遅れると言われてしまいました」
「あ、あの、わたしは大丈夫ですから、ローワンさんが大丈夫なように、どうぞ、してください」
「ありがとうございます。本当に情けなくてすみません」
「いえ、情けないなんて、そんなことない、です」
ローワンさんは穏やかに目を細めて微笑むと、荷物から水筒を出して中身を煽った。
それでわたしも水筒を出して水を飲む。
歩いて疲れた体に、水が心地良い。
一息つくと、わたしは帳面と魔法のペンを取り出して、森の景色のスケッチを始めた。
人が通るところは草がなく、地面が見えている。
その脇にたくましく生えている背の低い草。
少し離れれば、背の低い木が生えていて茂みを作っている。
そして、木陰と木漏れ日を作る背の高い木。
こういう景色の記録も、後から見たら貴重なのだとローワンさんは言っていた。
だから、時間があればできるだけ、絵に残すことにしている。
「この森をもう少し進むと、川があるそうです。その川を遡ったところに、滝があって、そこで暮らしている人たちがいると。この前の村とも交流があって『滝の人たち』と呼んでいるそうです」
「滝の人、ですか」
わたしは少し手を止めて、ローワンさんの白い指が進行方向を指差すのを見る。
当然だけど、水音はまだ聞こえない。
「はい、次の目的地はそこです。話を聞く限りですが、似ているけど全く違う文化なのだとか。とても興味深いです。どこが似ていてどこが違っているのか。滝というのも気になりますね。どのくらいの大きさなんでしょう。何か面白いものが見つかると良いのですけど」
滝、というものを想像する。
高いところから水が落ちてくるものだ、というのは知っている。
でも、思いつくのは広場の噴水の姿だけだった。
広場には女神の像があって、その足元から水が溢れ出て下の池に流れ落ちるようになっていた。
滝はもちろん、そんなふうにはなっていないと思うのだけれど──わたしには、うまく想像できなかった。
「わたし、滝を見たことが、なくて」
何気なく言えば、ローワンさんはひどく驚いた顔をした。
それから、いつものように穏やかに目を細めた。
「それでは、余計に楽しみですね。きっと面白いと思いますよ」
ローワンさんの言う「面白い」はわたしにはまだよくわからなかったけど、ローワンさん自身がとても楽しみにしていることはわかったから、わたしは頷いた。
そしてまた、わたしはスケッチを続ける。
最近は、ローワンさんに見られながら描くのも、少し慣れてきた。
まだちょっと緊張はするけど──それでも、ローワンさんは怒ったりしないから。
「イリスさん」
葉っぱの様子を描いていたとき、ローワンさんに声をかけられて顔をあげた。
ローワンさんはその手にドライフルーツを摘んでいた。
「あ、えっと」
ペンを置こうとあたふたするわたしに、ローワンさんは微笑んでその手を差し出してきた。
そのまま口元に近づいてくる。
慌てて、わたしは口を開く。
唇の間に、ローワンさんの指が入り込んできて、ドライフルーツの酸っぱい匂いがした。
ローワンさんの指はわたしの舌の上にドライフルーツを乗せて、唇から離れる。
刺激のある酸味の後、噛み締めればじわりと甘さが広がる。
疲れた体に染みるような、美味しくて幸せな味だった。
「イリスさんが笑うようになって良かったです」
わたしは瞬きをして隣を見る。
ローワンさんはいつものように、穏やかな表情でわたしを見ていた。
「えっと……あの、わたし、今、笑っていましたか」
「はい、とても素敵な笑顔でした」
「それまで、わたし、笑っていなかったのでしょうか」
ローワンさんは重々しく頷いた。
「最初のうちは、ですけど。申し訳ないと謝ってはうつむくばかりで……最近はこうやって、自然と笑顔を見せてくれますから、安心しています」
わたしはなんだか急に恥ずかしくなってしまって、表情を隠そうと両手で頬を押さえた。ペンを持ったまま。
「そんなふうに隠さないでください。笑顔は、良いことです。イリスさんの笑顔を見ると、僕も嬉しいですよ」
「そんなふうに言われると、その、余計に恥ずかしい、です」
うつむくと、ふふっと笑い声がふってきた。
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