10:調査は続く

 さらに翌日は、村全体でのお祭りだった。

 村の広場に集まった人たちを、ローワンさまとわたしは少し離れて眺めていた。


「日が昇る頃から、沈むまで、歌と踊りを絶やさないようにするそうです。昨日森から持ち帰った精霊の卵、それを囲んで、今度は未婚の男女が踊る」


 ローワンさまの説明に頷きながら、全部で十人ほどの男女が踊る姿を帳面に描いていた。

 激しく動く様子を描くのはとても大変だけど、じっと見ているうちに、踊りのパターンのようなものがわかってきた。

 男女で別の動きをしながら、それでもお互いに会話でもするように、その動きは呼応している。

 そうしているうちに、特徴的なポーズが繰り返し出てくることにも気付いて、その姿を帳面の上に描く。

 色とりどりの織物が、踊りの動きに合わせて大きく広がる。


「この踊りは、きっと、若い男女の出会いの場という意味もあるんじゃないかと思います」

「出会い」

「まあ、出会いといっても、もともと顔見知りでしょうけど。未婚の男女が、お互いを知る機会、のような」


 わたしはペンを動かす手を止めて、瞬きをして踊る人たちを見る。

 そのとき、新しく女の人が踊りに参加して、そのくるりと回る姿に周囲が盛り上がった。

 それに引っ張られるように、何人かの男の人がまた新しく踊りの輪に加わった。


 入れ替わるように、何人かの人が踊りの輪から外れる。

 そして、少し離れたところで飲み物の器を受け取ってそれをあおる。


 どうやらそうやって、人が入れ替わりながら、朝から夜までずっと、踊りを絶やさないようにしているらしい。


「楽器と歌は、未婚の男女だけでなく、様々な人が参加するようです。歌と手拍子だけであれば、子供も参加できるみたいですね」


 ローワンさまの言葉の通り、様々な人が踊りの輪を取り囲んで、歌い、手を叩き、あるいは太鼓のようなものを叩いたり、木の板を並べたものを叩いたりしている。


 ああ、あの楽器も描いておきたい。

 描かないといけないものがたくさんある。もっと、もっと描かなくちゃ。


 わたしはまたペンを走らせる。

 描くもの、描きたいものはたくさんあって、どれだけ描いてもまだ足りない気がしていた。


 気付けば、ローワンさまが隣で、わたしの手元をじっと見ていた。

 それでもわたしは手を止めずに描き続けた。

 だって、手を止めるのが惜しいくらいに、描くものがある。


「イリスさん」


 ふと、名前を呼ばれて、手を止めてローワンさまを見上げた。


「あの、ですね。あちらの、飲み物や食べ物が気になってまして、少し向こうへ行ってみませんか? 手を止めさせて申し訳ないのですが」


 わたしは慌てて首を振った。


「いえ。あの、わたしも、もっと近くで見れたら、と思っていたので」

「良かった。それで、もし分けてもらえるようなら、一緒に食べてみましょう。いつも食べてるパンとは、少し違うように見えるんですよね」


 ローワンさまはよほど食べ物が気になるのか、そわそわと、楽しげな顔をしていた。

 わたしもなんだか顔が緩んでいて──ああ、変な顔になってないと良いのだけど。


 そうやって、分けてもらったのは、揚げ菓子だった。

 さっくりとした生地を噛むと、中からねっとりと甘い果物が出てきた。それがとても美味しかった。

 飲み物は、さっぱりとした果実のジュース。酸味が喉を通って体に落ちてゆくのが心地よかった。


「美味しいですね」

「はい」


 顔を見合わせれば、ローワンさまは嬉しそうに目を細めた。

 その表情を見て、わたしは帳面を抱える手に力を込める。

 そして、思い切って口を開いた。


「あの、ローワンさま」

「なんでしょうか」


 ローワンさまはいつものように穏やかに、首を傾けた。


「わたし、あの……文字を覚えたいな、と思うんです」

「文字、ですか?」


 わたしの言葉は、思いがけないものだったらしい。

 ローワンさまは驚いた顔になった。


「はい。その、それで、文字を教えてもらえないでしょうか。もし、文字を書けるようになったら、わたし、もっとローワンさまのお役に立てると思って」


 ローワンさまは、その骨ばった手で口元を覆って、困ったような顔になってしまった。

 その表情に、わたしは泣きそうになる。


「えっと、あの、もし駄目なら」

「ああ、いえ、駄目というのではないんです」


 ローワンさまは慌てたように声をあげて、それからわたしを見て、申し訳なさそうな顔になった。


「お恥ずかしい話なんですが、僕、実は字が相当下手なんですよ」

「……えっと、下手? ローワンさまが?」

「はい。走り書きが癖になってまして……というのは、言い訳ですけど。とにかく、他の人には読めないものらしくて。ですから、僕なんかが字を教えてしまって良いものかと、心配になりまして」


 申し訳ないと思いつつ、わたしは吹き出してしまった。

 そしてなんだか、いつも頼りになる優しいローワンさまのことを、可愛いと思ってしまった。

 ローワンさまはだいぶ年上の、立派な男性なのに。


「わたし、ローワンさまに教えて欲しい、です。だから、わたしに字を、教えてください」

「わかりました。僕で良ければ」


 頷くローワンさまにほっとして、それから字を書けるようになったら、と嬉しくなって、わたしは帳面を抱きしめた。


「代わり、というわけではないんですけど、僕からも一つ、お願いを良いですか」


 ローワンさまの言葉に、わたしは見上げて頷いた。


「はい、わたしにできること、でしたら」

「では……その」


 何か言いにくいことなのか、ローワンさまは少しためらうように、言葉を途切れさせた。

 わたしは何も言わず、ただローワンさまの言葉を待つ。


「そろそろ『さま』と呼ぶのをやめて欲しいな、と思いまして」

「えっと……ローワンさま?」

「そう、それです。あのですね」


 ローワンさまは、小さく目を伏せる。

 そのそばかすの白い頬が、赤く染まっていた。


「結婚したのは早く旅に出るためでしたし、それは僕の勝手な都合でしたけど、それでも、少しずつでも、ちゃんと夫婦らしくなれたら良いな、と思ったんです」

「夫婦、ですか?」

「そうです。あなたと、そうなれたら素敵だな、と思いまして」


 ローワンさまはそう言って、それから視線を持ち上げてわたしを見た。

 濃い緑色の瞳が、まっすぐにわたしを捉えていた。


 わたしは──どうして良いかわからずに、困って、うつむいて──。


「えっと……あの……」

「ああ、すみません。お金であなたを買っておいて、虫のいい話だとは理解してはいるんです。それに、急にということではないんです。あの、少しずつでも、そうなれたら良いな、と……その、嫌でなければで良いのですけれど」


 ローワンさまが慌てた声を出すものだから、わたしも慌てて首を振った。


「いえ、嫌というわけでは、ないんです。でも、あの、わたし、どうしたら良いか」


 ローワンさまが、ほっとしたように、小さく息を吐くのが聞こえた。


「すみません、困らせてしまって。とりあえずは、いつも通りでお願いします。あの、できれば、呼び方だけ……考えてもらえたら嬉しいです」

「はい、あの……ローワンさ、えっと……ローワンさん」


 呼んでから、恐る恐る見上げれば、ローワンさま──ローワンさんは嬉しそうに微笑んだ。


「これからも、よろしくお願いしますね、イリスさん。この先も、見て回りたい場所はたくさんありますから」


 その表情を見て、わたしもほっと力を抜いた。


「……はい!」


 そのとき、村の広場にたくさんの花びらが降ってきた。

 何人か、広場の周りに植えられた木に登って、そこから花びらを撒いているみたいだった。

 わあっとお祭りは盛り上がり、歌は一層激しく、踊る人たちも増えて、より賑やかになる。


 ローワンさんは、その様子を見て目を輝かせた。


「ああ、この花びらはどういう意味があるんでしょうか。誰かに聞けると良いのですけど」


 そしてわたしは、その隣で帳面を開いて、花びらが舞い散るその光景をスケッチし始めた。




『精霊の生まれる森』 完



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