7:精霊の誕生を見守る儀式

 夜は木の板を並べた敷物を敷いて、その上に厚い敷物を敷いて、さらにその上で寝るのだった。

 朝になったらその敷物を全部畳んで片付けてしまう。

 それでベッドがないのだそうだ。


「寝台のない文化圏というのもあるんですよね。どうしてベッドという形にならなかったのでしょうか」


 ローワンさんは興味深そうに木の板を並べて繋げた敷物を眺めていた。

 わたしはその隣で、ベッドがわりにした敷物をスケッチした。

 そのスケッチを差し出すと、ローワンさまは「よく描けています」と言って、その隣に文字を書いた。

 褒められる言葉がくすぐったくて、わたしは首をすくめた。


 こんなわたしでも、ローワンさまは褒めてくれる。

 わたしのスケッチは役に立っている。

 そのことが嬉しかった。


 心の中に灯ったローワンさまの言葉の炎は、今日も明るく温かく、わたしを照らしてくれていた。

 それから何日も。


 森の入り口に案内してもらって、木や草や花を見たりした。

 鳥や小さな獣はちょっとしか見えなかったけど、それでもできる限りを帳面に描き残した。

 ローワンさまはいつものようにわたしに質問をしながら、隣に言葉を書き足した。


 織物を織っているところも見せてもらった。腰と足の間に紐を掛けて、その間に糸を渡して織っていた。

 その様子もスケッチした。

 ローワンさまは隣に文字を書きながら「とてもわかりやすく書けています」と褒めてくれた。


 わたしでも、役に立っている。

 そう思ったら、描くのがとても楽しくなってきた。


 不思議だ。

 わたしなんて、わたしなんか、そうやって暗いところに引っ張り込もうとする自分はまだ胸の奥にいる。

 でも、ローワンさまの言葉は、そんなわたしも優しく照らしてくれた。


 自信はない。

 それでも、ローワンさまが褒めてくれるなら、頑張れる。描いてみようと思える。


 そうやって、その村での調査にも慣れてきた頃。

 村の女の人と話していたローワンさまが、急に「イリスさん」とわたしを呼んだ。


 わたしは、その女の人の羽織の模様を描き写していたのだけれど、手を止めてローワンさまを見上げた。


「はい、なんでしょうか」


 調査中、特にわたしが描いているときに、こんなふうに呼ばれるのは珍しい。

 いつもは、わたしが描くのを邪魔しないようにしてくれるのだけれど。


 ローワンさまはいつものように、穏やかな表情で口を開いた。


「祭りがあるという話はしましたよね」

「ええと、はい。森の精霊を祝うとか……そんなふうに聞いたと、思います」

「はい、その祭りです。その森の精霊の誕生を見守る、なんというか、儀式のようなものがあるそうなのです。それに参加したいのです」

「……はい」


 その儀式というものをスケッチして欲しい、ということだろうかと理解して、わたしは頷いた。

 けれど、ローワンさまの言葉はまだ続いた。


「なんですけど、その儀式に参加できるのは既婚女性だけ、とのことでして」

「既婚女性」


 話の先行きが見えなくなって、わたしは首を傾けた。


「僕は参加できないと言われてしまいました」

「それは……えっと、なんというか……残念ですね……?」


 自分の言葉が合っているのか、自信がない。

 それは、ローワンさまがあまり残念そうにしていないからだった。

 なぜかローワンさまは、参加できないというのに嬉しそうですらある。


「ですが、イリスさん、あなたは既婚女性だから参加して良い、と」

「……?」


 確かに、わたしはローワンさまと結婚しているのだった。

 だから既婚女性ではある。あまり実感はないけれど。

 それに普段は忘れてしまいそうになっているけれど。


「というわけで、あなたには僕の代わりに、儀式に参加して欲しいのです」

「……わたしが、ですか?」


 なんだかまだ飲み込めないまま訊ねれば、ローワンさまは大きく頷いた。


「ええ、あなたが、です」


 ローワンさまは参加できないという儀式。

 それにわたし一人で参加する、ということ。

 そこでローワンさまの代わりに……何をすれば良いのだろうか。


 ようやく事態を飲み込めたわたしは、大きく首を振った。


「そんな。一人でなんて、どうしたら良いか」

「大丈夫です。この人の隣に座って、ただ黙っていれば良いそうです。声は出さないように気を付けて。あとは隣の人にしたがって動いてください」

「でも……その、だって……わたし、ローワンさまの代わりなんて」

「大丈夫、いつものようにしてくれたら良いので」

「いつものように……スケッチを?」

「ああ、いえ」


 ローワンさまは申し訳なさそうに眉を寄せた。


「帳面とペンは持ち込めないそうです。服も、決められたものに着替えないといけないそうで」

「スケッチもできないなんて! そんなの、わたし、何もできません!」


 大きな声になってしまって、ローワンさまと話していた女の人が、びっくりした顔でこちらを見ている。

 話の内容は伝わらなくても、表情や声音は伝わってしまう。

 わたしは慌てて口をつぐんだ。


 それでもまだ、納得したわけではなかった。

 わたしなんかが、ローワンさまもいないのに、一人で儀式に参加して、スケッチもできずに、何か役に立てるとは思えない。


 ローワンさまはわたしの肩に優しく手を置いた。

 安心させるように、わたしの顔を覗き込んでくる。


「イリスさん、僕があなたを選んだのは、絵を描けるからというだけではないんですよ」

「……どういうことですか?」

「あなたには、観察眼がある。対象をじっと見て、対象の特徴を捉えることができる。その様子を記憶することができる。だから、あなたは絵が描けるんです」

「でも、スケッチできないなら、お役に立つことはできません」


 心細さに泣きそうなわたしに、ローワンさまはにっこりと微笑んだ。


「その観察眼は、絵を描くとき以外も発揮されています。だから、大丈夫。あなたはいつもの通りに、ただ見ていれば良い。興味を持って、体験して、ただ見てきてください。そして、それをあとで僕に教えてください。僕は、あなたなら大丈夫だと思っています」


 最後にローワンさまは、ペンを握っているわたしの手をとって、両手でそっと包み込むようにした。

 ローワンさまの手は温かい。まるで胸の奥に灯った炎みたいに。


 正直、自信はない。

 一人きりなんて、不安しかない。


 でも、わたしの心の奥には、ローワンさまからもらった、温かな炎が灯っていた。

 この炎があるなら、できるかもしれない。そんな気もしていた。


 わたしはローワンさまを見上げて、覚悟して頷いた。


「はい、あの……頑張り、ます」




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